第32話 あの日のみんなは忙しかった・後編

 あの日の酒場でシオリと話をして、寮にまで付き添い、忙しそうに調べ回っていたあの子が誘拐されたと聞いた時、サクマは後頭部から氷柱を突き刺されたような悪寒と衝撃に襲われた。


 自分は、余計なことを喋りすぎてしまった。


 世界の違い、社会の違いとは思考の差異だ。

 サクマが重要と思っていることが本当は重要でなかったり、逆にサクマが重要視していないことが周囲にとって重要であることがある。その無頓着が他人をこうも直接的に不幸にすることを想像できていなかった自分を殴りたい。


「雑兵は引き受けた!!」


 自律兵器たち相手に臆することなくニーベルが突っ込み、剣を振るう。恐らくサクマのような世界に住んでいた人間とは根本的に体の丈夫さや筋肉の質が違うのだろう、鋼鉄ほどの硬さがあろうかという兵器が次々に破壊されてゆく。機械の繰り出すレーザーやショックガンも弾いたり躱したり、やりたい放題だ。


 サクマにはそれは出来ない。

 ただ、手元にあるそれ――時代が時代ならありふれた携帯端末でしかなかった筈のそれに頼り切るだけだ。天才的な頭脳を持たないサクマにとって、それは強力過ぎて持て余す力だった。こんなことでもなければ検索機能を使う気はなかったのだ。


 しかし、サクマは思ってしまった。あのいつも世話になっている少女がこちらを恨むような事態に遭遇していると認識してしまったときから、逃げる事が下手なサクマは選択肢が絞られてしまった。

 セツナの面倒をよく見てくれる彼女。

 いい男にも変な男にも好かれる彼女。

 背負い過ぎて、いつか荷物の重みに負けそうなほど真面目な彼女。


 見ていると、どうしても昔を思い出す彼女。


「貴様……おのれぇ!!」


 今、目の前にサクマによって殴られた男がいる。

 憤怒、驚愕、困惑、恐怖……いくつかの感情がブレンドされた表情は狂暴性という一つの出口に殺到し、優れている筈の容姿を阻害していた。


「なぜここにいる!? なぜ転移という現象を正確に把握できる!? いや、もういい! 貴様もこの宝帯の餌食になれ! 儀式を用いずともたかがマギムの冒険者二人、完全催眠でなければやりようなどいくらでもあるッ!!」


 デクレンスが用途の知れない帯を出し、神秘術を発動しようとする。

 サクマはそれを見て、手に持った携帯端末を操作する。

 心配ないとは思うがニーベルを長々と手伝わせるのも気が引ける。

 だから、少しばかり目立つことをする。

 手にしているのはスマートフォン。

 このバリバリの異世界の中にあって余りにも異質で説明のつかないアプリがインストールされた、世界を虚仮にするふざけた文明の利器。


支配オクトの奔流よ、叛意を奪え!!」


 デクレンスの体から発せられた光がサクマに殺到し、そして目の前で止まる。

 直後、スマホの人口音声がスピーカーを通してつらつら喋りだす。


『障壁に干渉する未登録の神秘数列があります。設定に従い自動解析開始……終了しました。レベル2の判断能力抑制・誘導術式です』

「設定を登録。相殺」

『承認しました。カウンターロジックを発動します』


 ぱっ、と、光が舞い、デクレンスの術は消えた。

 盛り上がりもへったくれも、ドラマもなにもない。


「――莫迦な。反証数式、だと……?」


 デクレンスは口元を抑えてよろめく。

 彼の洗脳術はその場で解析され、複製され、真逆の解をぶつけられることで効力を失っていた。


 神秘術は全てが神秘数列によって構成されている。

 その数列を瞬時に全て読み取り、理解し、応用することが出来れば、術そのものを解くことが出来る。もちろんサクマにそんな高度な芸当が出来る筈もないし、だからデクレンスは言葉を失っている。


 サクマの後ろではニーベルが凄まじい勢いで迎撃機械オプスマキーネが破壊され、瞬く間に数を減らしていく。その実力の高さも予想外だったのか、デクレンスは後ずさりしていく。


「悪いけどさあ。素直に捕まってくれないかなぁ」

「ッ、こんな場所で誰が!!」


 彼の帯が更に強く輝き、術を放つ。

 しかし、阻まれる。


『障壁に干渉する神秘数列があります。データに類似あり。レベル3の判断能力抑制・誘導術式と確認。自動相殺します』

「何故だ!! アロディータの宝帯だぞ!? 世界最高の神秘術媒体なんだぞ!! どうして効果がない、何故見切られる!?」

「どうでもいいよ。これはただの八つ当たりだ」

「たかが八つ当たりで私の崇高な目的を阻むなぁ!!」


 今度は直接的に衝撃波や雷撃を放ってくるが全て同じ方法で無効化されていく。焦るデクレンスの表情はしかし、ある瞬間に勝ち誇った笑みに変わる。


「かかったな!」


 デクレンスの行動は全て目眩ましで、本命は背後から猛スピードで迫った垂れ耳のケレビムの少女が放った投げ毒針だった。サクマのような戦闘能力の無い人間では到底躱すこともできない――が、毒針は虚空で停止し、全て地面に落ちた。

 サクマはため息をつく。


「術がダメなら物理だって思うのは分かるけど、生憎とそういう問題じゃないんだわ。ちなみにこんなことも出来る」


 サクマは振り返りもせず背中から先ほどデクレンスが放った洗脳の術に似た光を放つ。すると彼の背後まで短剣を手にせまっていた少女がいきなり停止する。


「パフィー!?」

「身体機能、制限……命令実行、不能」

「武器を捨てて大人しくしてなさい。子供をボコしたらシオリに怒られる」

「任務……失敗……?」


 呆然としながら、操り人形のようにぎこちなく懐に隠した暗器をぼろぼろ床に落していく少女――パフィーに、デクレンスは歯がゆさの余り歯を食いしばる。


「何なんだお前はぁ……データ上はただの変わり者の貧弱な冒険者だっただろう!!」

「お前もその帯がなければ貧弱なんじゃねえの? ――ハイメレ、あの帯を奪え」

『かしこまりました』

 

 瞬間、グン、と宝帯が引っ張られてデクレンスはぎょっとする。


「やめろ!! これは女神から賜った神聖な……離せ! 離せぇぇ!!」


 帯を通じてデクレンスが何度も術を発生させて引っ張られる力を相殺しようとするが、単純な神秘量の差に押し切られる。よほど大事なものなのか抱きついてまで意地でも離そうとしなかったが、サクマは容赦なく奪い取った。


「ああ……なんで……」

「悪用するヤツからは没収だ」


 この世の終わりのような絶望的な顔をするデクレンスはその場で項垂れ、床に蹲る。彼に逃げ道はない。


「シオリを誘拐したり、書類で悪事したり、色々あるみたいじゃない。ここは一つ、素直に罰を受けて罪を贖うべきじゃない?」

「……何も知らぬくせに」

「あ?」

「誰が真なる罪人なのか考えもせずに世界を享受する愚民共に、私が贖う罪など何もない! 従うは神、呪うは己! いずれ知ることになる……誰が本当に正しいのかをッ!!」


 顔を上げてサクマを睨んだデクレンスの目は、まだ諦めていなかった。


「シフタロトォォォーーーーッ!!」


 雄叫びと共に、デクレンスの足下が妖しく輝いた。


『貴殿が私を喚ぶとは大事のようだな。良かろう、門を拓く!!』


 この場にいない何者かの気取った声と同時に、デクレンスの足下の光が孔となって拓く。咄嗟にサクマは妨害しようとするが、術の解析が間に合わないうちにデクレンスの身体は光に呑まれて消えた。


 全ての敵を片付けてきたニーベルが駆け寄る。


「逃げられたのか?」

「みたいだ。他に協力者がいたか……なんかすっきりしねえ」

「君にとってはそうだろうけど、君が奪い返した宝物は正直大手柄だよ。その帯、俺の予想が当たってればとんでもないお宝で、同時に危険物だ。くれぐれも丁重に扱ってくれよ」

「ふーん……」


 ぺらぺらと帯を弄んだサクマは、大きなため息をついた。


「きっちり片付けたかったんだけど、やっぱ俺って半端モノだな」

「皆が皆、割り切った選択を出来る訳じゃないさ。帰ろう、サクマ」

「ニーベル、お前は俺のこと聞かないのか?」


 先ほど繰り出された明らかに常人には実現不可能な現象の数々を彼も多少は見ていた筈だ。ニーベルはそれにきょとんとした顔をする。


「聞いて欲しいなら聞くけど?」

「いや、やっぱいいわ」


 逃げるのが下手くそなサクマを追いかけもしない。

 この異世界くんだりまできて出来た友達は、ちょっとできすぎなくらいにいい友達だった。

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