第31話 あの日のみんなは忙しかった・前編

 デクレンスは20年以上前から異端宗派として活動して来た。

 外見上は20代後半の容姿も、異端宗派の特殊な『施しの数字』を受けているので、実年齢はもっと上だ。

 ある歴史から消された英雄の部下であった彼は、上司と思想を共にした。


 資金確保、新たな同志の勧誘、世論の情報収集。

 直接的に何かをすることは殆どない。

 役割が綺麗に分担されているからだ。

 その中でもデクレンスはを仰せつかっていたが、そのついでに間接的なアーリアル歴王国への嫌がらせも行なっていた。

 世間は知らないだろうが、異端宗派にとってアーリアル歴王国は彼らの認識のなかで最も敵に近い存在だったからだ。


 この国、ヨーラン平原国は古くはアーリアル歴王国の植民地であり、今も歴王国に依存ともとれる態度を示す事実上の属国だ。あわよくばヨーランが現代化しアーリアルに依存することなく発展すれば、それは依存からの脱却、すなわちアーリアル弱体化に繋がる。


 やったのは大したことではなく、大局を見れば実にささやかなことだ。あくまで重要なのは仰せつかった使命である。


 シェリアへの勧誘は偶然だったが、適合者だと思って功を焦った感はある。デクレンスも『アロディータの宝帯』を賜り幹部として正式に認められたことで驕りが出てしまったのだろう。アサシンギルドが活発化しているという知らせに無意識に焦れたのもあったかもしれない。


 すべては言い訳だが、使命そのものは果たすことが出来た。

 あのとき、素直にシオリを置いて去るべきだった。

 しかしデクレンスは本当にシオリに可能性を見出していた。

 欲を掻いた結果は脇腹を襲う軋むような痛みだ。


 ブラッドリーの一撃は障壁越しでも凄まじい衝撃を齎した。

 骨に罅が入っているか、内臓にダメージがいったもしれない。

 接触には細心の注意を払うべき存在だったというのに、彼と接触してしまったことは大きな誤算だった。


 一つのミスであらゆる計画が狂っていくことで腹の底に苛立ちの熱が燻るのを、努めて無視する。

 この私情は組織の幹部として相応しくない。


 転移を終え、デクレンスはアジトである工房の一室に戻った。

 面倒だが、出来れば捕まったであろう異端宗派の新人たちを救出したい。

 あれだけ恩寵を受けながら未だにクズの考え方が抜けきらないどうしようもない連中だが、それでも一度は組織に迎え入れた仲間だ。


(地下の迎撃機械オプスマキーネと、待機させているヤツを使えばその程度の混乱ならば起こせる筈だ)


 既にギルドが動いているなら急がねば。

 転移を終えた部屋から足早に出入り口を目指す。

 そして、ドアを開けた瞬間――デクレンスの顔面には拳が迫っていた。


「よう、クソ野郎。俺の八つ当たりにちょっと付き合え」

「なっ――!?」


 受付嬢のシオリによくため息を吐かせたり薬草仕事ばかりしている、すこしだけ術が使えるだけの筈の男、サクマのがそこにいた。直後、顔面に彼の拳が直撃し、デクレンスの頭と自制心を揺るがした。


 ここにはもう一人、仲間がいる。

 その仲間に激情のままに命じた。


「パフィー、全部起動しろッ!!」

「了解」


 感情のないリィバムの少女が、抑揚のない声で承諾した。

 工房の隠し部屋と地下室、空き部屋を塞ぐベニヤ板とブロックの奥で、無慈悲な無人戦闘兵器、迎撃機械オプスマキーネが一斉に赤い目を光らせた。




 ◇ ◆




 自分のせいだから、とサクマは言った。

 彼女はブラッドリーが助けるから、自分は大本を断ちに行く、と。

 ニーベルはそれに口を挟まず付き合っただけだ。


 サクマという男との付き合いは長くないが、濃密ではある。

 彼はやる気に欠ける男であり、どこか世間慣れしていないのに人の社会で時間を重ねてきたような事を言う。そんなサクマに最初は善意と好奇心で付き合っていたが、同時に彼の心の内に横たわる歪んだ闇を感じてからは、友達として隣にいる。


 例えば通りかかった場所に具合の悪そうな人がいるとする。

 善意ある人なら声をかけたりするだろうが、自分の生活に余裕のない人は多少具合の悪い他人など放っておく。自分でどうにかするだろう、或いは他人がどうにかするだろう、と。


 しかしサクマは臆病だ。

 だから、「もし自分がここで見て見ぬふりをして相手が倒れたらどうしよう。恨まれるんじゃないか?」と思う。次に「もし助けて後々人間関係が面倒になっても嫌だ」と思う。そして出す結論が、「名前や顔を隠して助けて、そのまま帰ろう」となる。


 おかしな奴だ、と思う。

 いつも一人でいる時は光る板切れのような物を弄っているので何なのか聞けば、神のお告げだと言っていた。実際、あいつはあの板切れを見た後はまるで全てを理解したかのようにどんな難解で強力な術をもあっさり行使する。


 一度見せてもらったが、あの板切れに映るものは持ち主にしか見えないらしく、ニーベルにはそれがただ光っているようにしか見えなかった。

 ただ、恐らくはあれこそサクマの切り札であり、生命線であり、悩みの種なのだろう。


 あの道具は、余りにも多くの事を理解させすぎる。

 もしあれの存在と、それを読み取るサクマのことがギルドや大国に知れ渡れば、大きな世の流れを生み出すだろう。それは世界にとってはきっと幸せなことだが、幸せを独占しようとする連中、幸せを破壊しようとする連中はごまんと出てくる。


 サクマ自身の幸せは消えるどころか、悪い方に想像すればすべてを押し付けられるか、危険な存在として排斥される可能性もある。


 サクマは恐らくそれを知っている。

 だから彼は、『神のお告げ』をあまり使わずに生きている。

 最初に出会ったときはもっと迷いや躊躇い、葛藤の多い人間だったが、暫く一緒にいて、そしてセツナの面倒を見るようになってからは少しだけ生活を楽しみ始めていた。


 ここのギルドはユニークな人物が多く、意外と居心地が良かったのかもしれない。

 ニーベルも、そんな変な友人の意見を尊重していた。ニーベル自身、分不相応なものを背負う辛さは少しばかり心当たりがあったからだ。


 そんな中での、受付嬢誘拐だ。


 誘拐された受付嬢のシオリは、ギルド受付嬢の中でも面倒見がよく、てきぱきした女性だ。周囲からの人気もかなりのものだが、同じ人気受付嬢のアシュリーと違った純真な雰囲気がある。

 彼女は最近何かに悩み、少し前に偶然出会ったサクマと酒の席で話をしたのだという。


「冒険者の不正の話……やりようはあると吹っ掛けたのは俺だ。相手がそんな危ない奴だとも知らずに、本当にバカだな俺。完全に俺のせいじゃねえか……」


 あんなにも責任を感じているサクマを見たのは初めてだし、その責任感を抱えて自ら問題解決に駆け出すのも初めてだった。


 ニーベルはそれに同行した。

 最初はついてくるなと言われたが、この危なっかしい男を放っておくと俺の心も休まらないというと、渋々追い返すのを諦めたようだ。


 後は簡単だ。

 『神のお告げ』で主犯の場所を割り出し、何重にも重ねられた錠前や鍵を、彼は見たこともない術を使って全て開放した。建物内に犯人が転移してくること、その犯人の名はデクレンスであること、『はっきんぐ』とやらの使えない『すたんどあろんたいぷ』の迎撃機械オプスマキーネが用意され、あらかじめ壊す時間がないこと。


 この男は突拍子もないことを言うが、嘘をつくのが怖くて嘘をつけない変人だ。

 いると言うなら絶対いるし、来ると言うなら絶対来る。

 初めて出会ったケレビムの里の騒ぎでもそうだった。


 果たして、彼の言葉通りに事は進んだ。

 デクレンスが脈絡もなく部屋から出てきた瞬間にサクマがデクレンスを拳で殴打。デクレンスは普段の落ち着いた佇まいからは想像もできない奇声染みた罵声と共に襲い掛かってきた。

 同時に迎撃機械オプスマキーネが湧いて出るのを、使い慣れた剣を手に戦う。


 デクレンスは、無視した。

 サクマが自分でやると言い切った以上、それを尊重して邪魔者を排除するのが友達だろう。

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