第28話 受付嬢ちゃんが暴く

 ぼうっとした意識の中、どこか遠くから話し声のようなものが聞こえます。寝ぼけ眼が次第に周囲の様子に焦点を合わせるうちに、話し声が思ったよりも近いことに気付きます。


「あちらの町に長居してくれれば向こうで処理出来たものを、行動が早いのが忌々しい……」

「どうするんで?」

「ボス次第だろ。またアレするのかもなぁ」

「勿体ねぇ。こんだけの別嬪、味見したかったんだけどなぁ。いや、逆に今のうちにやっちまうか?」

「財布の中身も今のうちに抜いとこう。持ち物検査ってやつ」


 男や女の話し声が明瞭に聞き取れるほどに意識を取り戻したシオリは、自分の手足が何かで縛られていることに気付きます。恐らくは椅子か何かで、身を軽くよじっても手足はびくともしません。

 両手の親指が紐で交差するように結ばれ、動かすとかなり痛いです。

 男女がシオリの様子に気付き、騒ぎ出します。


「やるなら今だよ。まだ旦那がいないうちに……」

「口は一応塞いでるし。もしかしたら気付かれずに出来るかもしれない。ちょっとだけさ、ちょっとだけ」

「へへへ、たまには役得がねえとなぁ!」


 身の危険を感じる恐ろしい会話に、シオリは青ざめます。

 悲鳴を上げようとしましたが、彼らの言う通り口が塞がれて喋ることができず、体が震えるのを自覚しました。


 男達が伸ばす無遠慮な手と、それに関せず自分の財布から札束を淡々と抜き取る女の手。迂闊な自分が呼び込んだ最悪の未来。

 手はまさぐるようにシオリの胸や太物に近づいていき――。


「気付かれないうちにちょっとだけ――何をするんだ?」


 今ならハッキリ分かる、意識を失う前に聞いた声。

 それが響くと同時にその場の全員の表情が凍り付き、手が止まります。


 ――やはり、というべきなのでしょう。


 そこは品のある屋敷の一室と言った雰囲気で、その出入り口から紫髪の気取った男がマントをはためかせて入室します。

 下卑た男達が震える声で振り返りました。


「へ、へへ……いやなに、ゴミがついてから取ってあげようと――」

「『アップデート』されたいならいつでも言ってくれよ、屑共。お前達が何故牢屋に入らずのうのうと人並みの生活を送れるのか、それが誰のおかげなのか、少しは考えるくせをつけることだ」


 先ほどまでの態度が嘘のようにその場の全員が震え、部屋をそそくさと退室していきます。『あっぷでえと』とはそれほど彼らに取って恐ろしいことのようです。


 そして、もう一つ。

 もしも彼が――デクレンスがそれをシオリに施そうとしたとき、抵抗することが出来ないという事実が目の前に突きつけられました。


 彼らを見送ったデクレンスは手近な椅子を取ってシオリの前に座ると、大物ぶって気取った手の組み方をして彼女に向かい合います。


「シェリアに絆されて随分嗅ぎまわってくれたようだが、満足いく答えは出たかね? 少々手荒になった無礼は認めるが、先ほどの下衆共はまぁ、大目に見てやって欲しい。まだ普通っていうものに馴染んでないだけなんだ」


 ――やはり貴方なんですね、デクレンスさん。


「やはり、とは?」


 ――補助金の詐取。


 その言葉に、デクレンスは動揺するどころか真逆の楽しそうな笑みを浮かべて続きを促すようにジェスチャーをしました。


 言えば、いよいよ何をされるか分かりません。

 しかし、黙っていれば無事でいられる保証もまたありません。

 恐怖の板挟みになりながら、それでも必死に理性を働かせ、シオリは喋ることを選びました。


 ギルド職員の突然の失踪に、誰かが気付く可能性を信じての時間稼ぎに。


 ――シオリの推測はこうです。


 まず、貴方が出入りしているあのお店は、登記の上では店主のものですが実質的な経営は貴方自身が行っているのでしょう。

 そしてあのお店は、恐らくお店でなく個人的に所有する工房であると考えられます。仕入れはデータ上で疑われないためのダミーで、実際には物資の購入など殆どしていないか、或いはデータに書かれた品とは違う何かしらを仕入れて帳尻を合わせているのでしょう。


 実は、土地にかかる税金は冒険者個人の土地よりお店の土地として登録されている方が安くなるのがこの国の税制です。本来お店でない場所をお店と偽っていると罰則があるのですが、表向きデータが揃っていて所得税も納めているので書類の上では何も問題がないように見えてしまいます。


 いわば紙の上にしかないダミーのお店です。


「ほぉ……」


 感心したように唸るデクレンスの余裕の態度に、この男は何故こんなにも自分の不正を楽しんでいるのかと疑問に思わずにはいられません。


「実に興味深い話だ。続けてくれ」


 先を促され、微塵も動揺しない相手を見て自分の選択は正しいのかと理性が躊躇います。

 でも、ギルドの名を背負った自分が犯罪者に屈してはなりません。

 怯んではダメだと自分に言い聞かせ、シオリは話を続けます。


 あの工房には武具防具のメンテナンスに必要な道具は置いてあるのでしょうが、査察の日以外では中では書類通りの仕事は行われていないのでしょう。

 更に、貴方が実質的な支配人であるならば売り上げは全て貴方の懐に入るので損などありえません。今まで何故自ら損をするのか理解できなかったメンテナンス費も、今なら理由が推測できます。


 ――それは、補助金目的です。


 元々ヨーラン国はアーリアル歴王国の庇護の下、他国より補助金が非常に多い国でした。しかし、財源があるからとヨーラン平原国はやや雑なばらまきが多かった。実際、最近になってまたヨーラン平原国は冒険者の補助金を増やしました。


 ダミーの依頼を大量に発生させれば、システム上で補助金の額はどんどん膨れます。特に冒険者の町といってもいいこの町では装備のメンテは町の工房など各店で毎日のように行われているため、貴方方の補助金もデータだけ一見するとこれも問題がないように見えるのです。


「そうして君は私の不正を探して、受給の話に辿り着いたわけか。だが、それは何の証明にもなっていない状況証拠を根拠にした推論に過ぎない。そこはどう考えているんだ?」


 これ以上反抗的な態度を取れば、彼のジェスチャーの手が拳に変わって無慈悲な暴力を浴びるかもしれません。

 しかし、ギルド職員として、尊敬する姉に憧れる身として、嘘でも嘘つきに屈したくはないシオリはキッと彼を睨み付けます。


 確かに今のままでは貴方を逮捕することは今は出来ませんが、不正受給が一定の条件さえ揃えば可能であるという提言がつまびらかになれば、ギルドも行政も動かざるを得なくなります。


 そうなったとき、果たして不正受給者はどこまで逃げ切れるでしょうか?


 貴方が何故シェリアさんを引き込もうとしていたのかは最後まで分かりませんでしたが、少なくとも貴方がシェリアさんと組むに相応しい存在ではないことくらいは証明されることになります。


「いささか滑稽な脅しに聞こえるね。事態に気付いた君はこうして縛られて身動きも取れない。結局は無駄だったのではないか?」


 分かっていない。

 貴方はまるで分かっていない。


 シオリが真実に辿り着けなくとも、シオリの周りにいる人は優秀な人達ばかりです。きっかけさえあれば必ず誰かが真相に辿り着きます。

 幾ら貴方が口を塞ごうが、シオリがここ数日あちこちの部署をうろついていたという事実や調べた資料の内容まで抹消することは出来ません。


 噂好きの彼女なら、知識深い彼女なら、悔しいけど優秀な彼女であれば――シオリの足跡から同じ結論を導き出すことは難しくありません。


 だから――シオリは勝ったのです。

 これは、ギルドから貴方への勝利宣告です。


 ……言いました、言い切りました。

 シオリは背中の汗が止まらないまま、啖呵を切りました。

 勇気を振り絞りすぎて息が切れるほど消耗しましたが、シオリは悔いなく言い切りました。


 それに対してデクレンスの反応は――。


「実に」


 ――は?


「実に。実に実に実に実に実に……素晴らしいッ!!」


 溢れ出る感動に堪えきれないように。

 素晴らしい演劇の終幕フィナーレに思わず立ち上がる観客のように。

 彼は、狂喜していました。


「素晴らしいぞミス・シオリ!! 嗚呼、なんという僥倖!! 君はシェリアに並ぶか、或いはそれ以上に素晴らしい逸材だ!! 認めよう、私の目が節穴だったことを!! だから――」


 興奮しきりのデクレンスの顔が、その得体の知れない爛々とした輝きを放つ相貌が、シオリの眼前に突然迫り、深く深く、呑み込まれるほど深く覗き込んできました。


「君は、『こちら側』にいるべき人間だ」


 ――選択を誤ったのかも知れないと、シオリは心の片隅で後悔しました。

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