第26話 受付嬢ちゃんが相談する
いつものように働き、いつものように寝る。
いつものシオリの生活です。
しかし今、その生活にもやもやが付きまとっています。
そう、シェリアさんの話を聞いて以来、シオリは自分に対するもやもやを上手く消化できずにいました。
これまでさまざまに悩んだ夜がありましたが、今回のこれは理屈と感情のぶつかり合いが今までにないくらいに激しく、自分でもどう処理すればいいのか分かりません。こういったときはやはり、人生の先達たちに相談して何かしらの答えを見つけるしかないな、とシオリは思いました。
相手として適切なのは、やはりベテランのカリーナ先輩でしょう。
受付嬢経験が長く面倒見もよいので、こういった相談にも慣れている筈です。
しかし残念なことにそれを決心したのは既に仕事が終わった後で、先輩が自分の家に帰ってしまってからでした。これから押しかけて相談を……というのは流石に図々しすぎると思ったシオリは、相談の頼みは明日にしようと決めます。
しかしそうなると、現在胸にかかるもやもやをどう振り払えばいいのやら。少し悩んだシオリは、お酒でも飲みたい気分になりました。あまり強くないので量は飲めませんが、少しばかりアルコールが頭に入れば気分転換にもなるかもしれません。
明日に響くといけないですし、シオリ自身普段はあまりお酒を飲まないので、軽く飲めて常連のワンワン軒にでも行ってみましょう。
夜の一人歩きは危ないし帰りはどうしようか、最悪泊めてもらおうか、などと思いながらもフラフラとワンワン軒に入ります。夜はチョーチンというコマヌ国伝統の灯りがぼんやりと出入り口を照らすのがまた風情があるので、夜のワンワン軒も素敵です。
「いらっしゃい! あれ、シオリちゃんこんな時間に珍しいねー! 一杯いっとく?」
シバコちゃんの挨拶に返事をしながら特に何も考えずにカウンター席に座ります。
ただ、このときシオリは疲れていたのでしょう。
隣に誰がいるのかも確認しなかったのは、失敗だったと言わざるを得ません。
「ぐすっ……ひっく……味噌汁美味ぇよぉ……コメにはやっぱり海苔だよぉ……ダシ巻き卵ってこんなにしょっぺえ味だったかなぁ……」
突然の鳴き声にぎょっとして横を見ます。泣きながら出された食事を食べ続けているのは、なんとサクマさんではないですか。珍しくニーベルさんもセツナちゃんも一緒におらず、涙と鼻水を垂らしながら取り憑かれたように一人で食事を続けています。
前々から変人だと思っていましたが、ここまで重傷だとは予想外です。
後ろからこっそり近づいてきたシバコちゃんが耳元で囁きます。
(ちょっと前にお店に来たんですけど、料理を出して以来ずっとあんな感じで泣きながら食べてるんです。しかも朝定食を。ちなみに食べてるのはお代わりです。ナットウないのかって言われたんですけど、何のことか分からなくて困ったからイタズラに名前の似てるトゥナオ出してみたら感動で号泣しながらかき混ぜて食べてました)
トゥナオとは通称「腐った豆」と呼ばれる非常に臭いケレビムの郷土料理です。ねばねばと糸を引く柔らかい豆は確かに美味しいのですが、シオリはどうしても臭いが我慢できずリタイアした苦い思い出があります。
ときどき店主さんがサービスと称して迷惑客にくれてやることで有名なのですが、どうやらサクマさんには逆効果だったようです。
(ケレビム以外であんなにトゥナオを美味しいって言う人初めて見ましたよ……しかもそのあと、刻みネギと生卵を要求してご飯と一緒にかき混ぜて、ちょろっとショー油をかけて食べたんです。現地人しかしない食べ方ですよ……)
油が入っていないのに油と呼ばれる不思議調味料ショー油はさておき、彼が口にする料理名は全てケレビムの郷土料理を微妙に間違えて覚えているものの、食べ方は完全に現地人のそれらしいです。
よっぽどケレビム料理に思い入れがあるのでしょうか。
困惑しかありませんが、とにかくあまり長居すべきではないと思ったシオリは簡単なおツマミとお酒を頼みます。
さっさと飲んで帰りましょう。
間違っても今のサクマさんに絡まれたくありません。
「……あれ、シオリちゃん? 意外だな、夜のお店でお酒とか飲むんだ」
話しかけられてしまいました。
受付嬢シオリ、一生の不覚。
まぁ冷静に考えれば何も考えずに隣に座ったシオリの自業自得なので、ここは素直に普通に接することにします。幸いにしてサクマさんは不審な言動もありますが基本的には普通の人です。
逆に貴方こそ珍しいと聞き返してみます。
「いや、昼にこの店通りかかったらすごいノスタルジックな気分になって……夜来てみたらもっとノスタルジーを感じてしまったと言いますか。あ、俺もくださいお酒。ツマミは枝豆で」
やけにお酒の席に慣れている感じです。
さっきまでの号泣ぶりも布巾ですべて拭き取り、いつものけだるげな顔に少しハリと瞼の腫れがあります。あれほど号泣するとは、無神経そうな彼にも心に溜まるものがあるのでしょうかと失礼なことを思います。
「で、君はどしたん? こんな夜に一人でお酒なんてさ」
注文されたお酒をちびちび飲みながらサクマさんが話を振ってきます。
どうやら一通り泣いて心は安定を取り戻したようです。
普段は若干人と距離を取っている節のある彼が自分から話を振ってきたことは意外ですが、人間お酒の席になると少しばかり人が変わってしまうものです。
自分の悩みについて余りにも馬鹿正直に話す気にはなれないので、こちらもちびちびお酒を飲みながら迷惑冒険者の愚痴を申し訳程度にしてみます。
「あー、激臭のラジプタさんね」
言ってません。
確かに迷惑ですが。
「マジで臭かったとはいえ、うちの子のせいでマジクサからヤヤクサとか言われててちょっとかわいそうだったな」
アレに情が湧くとは聖職者ですか貴方。
臭いが軽減されるならいいことでしょう。
セツナちゃんには今度アメちゃんを贈呈してあげましょう。
それにしても、セツナちゃんは本当に言葉を覚えるのが早いです。
まだ舌足らずで幼さを残す口調ではあるものの、最初にギルドに来た日には殆ど喋れなかったのが嘘のようです。
「いや、マジメにうちの子って天才なんじゃないかと思う」
子持ちの親バカがよく言うセリフを大真面目に言う血の繋がらない父親。
子育てが順調そうで何よりです。
結局あれから彼女の親は見つかっていないのが現状ですし、親を名乗る不審者は全て審査中に人身売買関係者の疑いが出てトンズラしたり逮捕されたりしました。彼女の目を引く容姿はよくないものも呼び寄せているようです。
「話が逸れたね。で、実際どうなの? 同僚にも言えないことなの?」
別にそういう訳ではありません。
しかしそういえば、サクマさんはイジメとか受けてないのでしょうか。
「イジメぇ? 今はないな……多分。多少陰口叩かれることはあるけど、実害はないし」
今は……以前は何か、いじめられていたのでしょうか。
「まぁ、子供の頃はドン臭かったせいで周りから謂れのない責任押し付けられたりしたな。でも大人になってからのイジメの方が辛かった。いい大人が私情丸出しでたった一人の人間を責め立てるの。どいつもこいつも間違いだって知ってるくせに、だーれも助けちゃくれないんだわ。わが身は誰でも可愛いものな……」
あまり、聞いてはいけない話を聞いてしまったようです。
その話を語るサクマさんの表情は、怒りではなく悲しみでした。
ギルド内でも稀にいじめが発生することがある以上、いじめは決して誰もが無関係でもなければ、程度の軽さ重さも当事者には関係のない話なのでしょう。
話をさせてしまったお詫びという訳ではありませんが、シオリは個人情報と詳しい状況は伏せ、迷惑行為の元締めとみられる冒険者のしっぽを掴めないといった感じの話をしました。概ね間違いではありませんが、話せるのはここいらが限界です。
「組織的いじめってのも性質は悪いけど、冒険者間のいじめって訳か……そりゃ確かにややこしい問題だ」
そう、ややこしい話です。
しかしシオリはそのしっぽを掴む係ではなく、積極的に関われません。
それがもやもやして、お酒を飲んでしまったわけです。
「関係なくはないでしょ」
でも、受付嬢はそういうのが担当では……。
「その人に追い出されたかもしれない冒険者の中に、シオリが担当だった人は何人いたの?」
正確な数は不明ですが、今になって思えばいたと思います。
「じゃあどれだけ被害が出たのか、今の所不明ってことだよね。関係のあるなし以前の段階だよ。そのいじめの犯人は、このギルドの公益性侵害や将来有望な冒険者の行動の妨害、同行者の行方不明とかやらかしまくってんだろ? これアレだよ? 業務妨害ってやつだよ?」
いつになく饒舌なサクマさんの話は続きます。
「そのいじめの犯人は人を使ってギルドの将来的な利益を不当に奪っている。他の冒険者から金を横領してる可能性もあるな。物理的におカネくすねてるかもしんないし。そういう奴は小さな罪を認めて大きな罪を隠そうとするからな……決定的な証拠で、一撃で仕留める必要があると思うよ」
シオリは強い衝撃を受けました。
もしもですが、デクレンスさんが本当に罪を冒しているならば、彼はれっきとした犯罪者であり、その犯罪者を冒険者登録しているというのは公的機関であるギルドが犯罪の資金源と化しているということです。
そうであるならば、それはギルド全体の大問題に他なりません。
無論、お酒の入っているサクマさんがオーバーな事を言っているだけとも受け取れますが、彼の言葉には妙な説得力を感じます。もう加害者側で確定した前提で言えば、あれほど狡猾な人間が嫌がらせ以外の違法行為をしていないなどという事は考えにくいです。
「まずはカネの流れを徹底的に洗う必要がある。カネをくすねてるならどこかに必ず帳尻の合わないところ、データと食い違う事が起きている筈だ。後は……公式の場で『秘密の暴露』をしてもらうとか」
秘密の暴露、とは?
「犯人じゃないと絶対に知りえない情報のこと。その情報を知っていること自体、それが犯行に関わった揺るぎない証拠になる」
正直、驚きました。サクマさんの口にすることは、極めて論理的かつ今の法律にはない考え方です。また、組織に対して害を為す存在を追い詰めるために間接的な罪から突き崩そうと働きかけるのは、少々狡い気もしますが有効な方法に思えます。
だとすれば、やるべきことは二つです。
第一に、彼が何をしているのかハッキリと実態を把握すること。
第二に、彼を追い詰めるに足る相当な事由と証拠、そして筋書きを用意すること。
シオリはこの二つを行う権限がないように自分では思っていました。
しかし、シェリアさんはシオリの担当であり、なおかつ彼女以外にも自分の担当した冒険者がこれの被害に遭っているというのなら、遡った調査と対策が必要になります。
シオリは、暗澹とした胸中に一筋の光が差した気がしました。
お酒を飲み終え、相談に乗ってくれたサクマさんにお礼を言ったシオリは、そのまま一直線に店を飛び出しました。明日から自分が何をすべきか決めた今、日常へと戻っていくのです。
が、すぐに店に引き返しました。
「あ、帰ってきた。どしたの?」
個人的に、女として寮まで護衛お願いしていいですか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます