第25話 受付嬢ちゃんが話を聞く
人間、生活していれば不満や愚痴くらい溜まっていくものです。
愚痴ばかり口にしていると他人に嫌われたり軽蔑されることもありますが、やはり時には口にしていかなければなかなかストレスから解放されません。そんな冒険者の相談に乗る係のギルド職員もいますが、受付嬢も多少の相談事には応じます。
それが有望な冒険者で、冒険者としての職務に係る事だというのならなおさらです。
実のところ、前々からシェリアさんは何かシオリに言っていない悩みがあるのではないかとは思っていました。根拠があった訳ではなく、経験則です。3割ほどは外れますが、残り7割は結構当たるものです。
既に推測できるだけの状況を見られてしまったシェリアさんは、少しだけ肩の荷が下りたような、でも決して楽にはなっていない顔で語ります。
「気付いたのは一か月くらい前……でも多分、それより前から目を付けられていたんだと思う」
これまでパートナー探しで人を見つけても長続きしないのは知っていましたが、それはあくまでシオリ視点の情報。実際にはやはり当事者の主観的な情報の中に多くの真実が眠っています。それが虚構や思い込みに彩られていることもありますが、彼女の冒険者としての信用を基準としましょう。
「それまで勧誘に成功しても実力差のせいで合わせきれないって抜けるヒトは多かったんだけど、あるとき、それが変わったの」
曰く、勧誘に成功した冒険者たちは組んで暫く経つと急に居心地が悪そうな顔をしたり思い悩んだ顔をし始め、理由を聞いても多くを語らず、やがて「別のギルドに行くことにした」「冒険者を辞めてまっとうな職に就く」と言ってシェリアさんの前を去っていったそうです。
ううん、とシオリは考えます。
冒険者を辞めて通常の職に就くことは自体はこの町のギルドのような場所では別段珍しい話ではありません。スポンサーもなしにその日その日の仕事を場当たり的にこなしていく通常冒険者は、思わぬ出費や仕事そのものの増減もあり、安定した職とは口が裂けても言えません。
腕利きになれば報酬額の高い依頼も回せますが、そうすると必然的に死のリスクも高まってしまいます。フェルシュトナーダさんやブラッドさんのような隔絶した実力の持ち主でなければ長続きはしないでしょう。
また、別のギルドに移るというのもそれなりにあることです。シオリ自身あまり自覚はありませんでしたが、この町のギルドは西大陸の中でも魔物の出現率が高めな場所にあります。つまり、難易度が高めの依頼の割合が多く、それをこなす競争相手も多いのです。
この敷居の高さに加え、人手が足りない別ギルドへ所属を変えてくれる人を探す業務も定期的にあるため、彼女の言うような理由で移転及び辞職する冒険者がいても普通の受付嬢は疑問を抱きません。
「最初は私の経歴のせいもあるのかと思ってたけど、変だなって納得できない気持ちは心の片隅にずっとあったの。でも同じことが十人以上続いたら、それはもう偶然じゃない」
ネイビィちゃんが漸く得心したと頷きます。
「確かにその人数は理由あるとしか思えないわ」
「でしょ? それで探りを入れたら、ある時のパートナー候補が別れる前にこう言ったの」
――お前がアイツにさえ目をつけられてなきゃな。
「ほんの小さな言葉だった。どういう意味かも分からなかった。そのすぐ後にデクレンスが集団で声をかけてきたの。一緒にやらないかって……その時はまだ疑ってなかったし、彼は実力ありそうだったから一緒に仕事をしたわ。でも正直チーム候補としてはかなり微妙だったから、内心この人たちはないなって……」
しかしデクレンスさんはその後から少し不信感のある行動をとり始めたそうです。
断っても断っても、自分たちとパーティーを組むことを勧める。
家の前に居座っていたり、昼食の店に入ってきて勝手に相席を取る。
勝手にシェリアさんの名前で依頼のパーティー申請をしようとする。
新しいパートナー候補との話にさりげなく割って入ってくる。
それは周囲から見ればギリギリで不審がられない頻度とタイミングで、しかし継続的に行われてきたといいます。それでいてデクレンスは尤もらしい言葉を並べながらも最後には譲歩する、といった先ほどのような態度で付かず離れずを維持し続けました。
そして、またもやパーティー候補が逃げるように別ギルドへと移転。そして狙いすましたようなタイミングで、またデクレンスさんは現れました。この時に彼の放った言葉で、やっとシェリアさんは疑惑を確信に変えたと言います。
――また逃げられてしまったね。
パーティー候補がギルド移転を申し込んだとき、彼らはギルドの外にいたので事情を後で知るタイミングはなかった筈です。なのにギルドに入ってきた彼は迷いなく、誰と話すでもなくシェリアさんの前にやってきてそう告げたのです。
「私の様子を見てそうなのだろうと推測しただけだって躱されたけど……あの確信を持った、疑問を挟まない一言を聞いた時、コイツの仕業だって確信した」
「……でも証拠がないから何もできなかった?」
ネイビィちゃんの遠慮無い指摘に、シェリアさんは悔しそうにぎゅっと手のひらを握りしめました。
話を聞いていたネイビィさんは現実的な提案をします。
「自分もギルド移転すればいいんじゃない? デクレンスはこの辺じゃ幅利かせてるけど、いくらアンタを口説きたいからって別ギルドまで追いかけ回すなんてことはないでしょ?」
「私は契約移転で、移転後それほど経ってないので移転規則に引っかかっちゃうんです。少なくともあと半年は鞍替えできません」
「あー、そっちかぁ……それは確かにどうにも出来ないよね」
ネイビィちゃんがそうきたかぁ、と困ったように呟きます。
ギルド移転には二通りの移転があります。
一つは個人移転、もう一つが契約移転です。
個人移転とはすなわちニーベルさんが各地を転々としているアレです。一定以上の実績を修めた冒険者は自由意志でのギルド移転を許されます。
ただし、移転後一定期間そのギルドにいなければいけなかったり、その間に一定以上依頼をこなさなければならない等、決して楽ではない制約があります。
制約の理由は、ギルドの頻繁な移転は基本的によほどの道楽者か、或いは後ろめたいことをしている冒険者しかやらないからです。だから一定の制約を設けることで後者が移転を悪用しにくくしています。
もちろん安定性、経済性を考えれば腰を落ち着けて能力に見合ったギルドに所属し続ける方が楽なので、個人移転を多用する人はあまりいません。
問題はもう一つの契約移転。
これは先ほど説明した「ギルドの要請による移転」の場合です。ギルドの要請事項を満たしての移転は、ギルド側の都合を聞いてもらい、なおかつ目的に見合った成果を挙げてもらうという高い要求の代価として、一定額の補助金や住まいの工面などの好待遇が受けられるというもの。
その都合上、個人移転と違って移転できない期間がかなり長く、大抵は二年ほど設けられます。能力不足や不足の怪我などがあるとその限りではありませんが、シェリアさんはこの契約移転の任期を満了していません。
やっと得心したとばかりにアムちゃんが頷きました。
「それで証拠が欲しいんだね。デクレンスが不当な妨害行為を行っている証拠が」
「えっと……つまり、その証拠があればデクレンスさんを止められる?」
唯一ギルド関係者ではないので聞きに徹していたシバコちゃんの問いに、ネイビィさんが気のない声で答えます。
「或いはそれを理由にギルド側に移転禁止期間の無効を迫れるかもね。ギルドで招いておきながらその人に向けた現在進行形の嫌がらせを関知していなかったとなると、ギルド側の過失になるもの」
「そこまでするつもりはないの。このギルドは私にとって理想的な場所です。ただそのメリットがたった一人の男に遮られている現状が……もどかしくて、悔しい」
絞り出すような、涙が滲み出そうな声でした。
彼女は既に、デクレンスさんが自分を孤立させるために裏で汚い真似をしていると確信しているようです。それは少し行き過ぎた推測ではありますが、元々デクレンスさんはよくない噂を持つ人で現状最も疑わしいことは事実です。シオリも本音を言えばデクレンスさんが清廉潔白な人物とは思えません。
彼は担当の受付嬢を定期的に替え続けている、と、アシュリーちゃんが愚痴っていた記憶が蘇ります。
それは別段違法行為ではありませんが、そうすることでギルド側に不要な疑いや情報の辻褄が繋がりにくくしているのではないかという推測は出来ます。
ギルド内で発生した「いじめ」の加害者、教唆した人物に彼の名前は何度か挙がっていますが、実際に処分するに足る証拠が掴めるのは常に数人の実行犯のみ。そこで糸が切れて、どうしても彼に行きつきません。
事情を一通り聞いてどう言えばいいか悩んでいる間に、ネイビィちゃんがさらっと端的な選択肢を提示してしまいました。
「ま、そういうことなら諦めるか、もしくは妥協して組むしかないんじゃない?」
「ネイビィさん、相変わらずサバサバしてますねー……」
「だって現状どうしようもないんなら、それはどうしようもないんだよ。そんなこと真面目に考えてたらストレスでお肌が荒れるってば」
「……そう、ですね」
薄情にも言い切るネイビィさんですが、彼女の言葉も理屈の上では間違っていません。
ただ、感情と理屈の両立は難しいことです。
ネイビィさんは人の気持ちが分からないことをよく言いますが、理屈に全振りした彼女の判断力の高さは、感情の問題を抜きにすればいつも確実で最短の方向を示します。
シオリはううん、と唸ります。
今、彼女はオフです。
この話し合いもギルド業務として行っている訳でもなければ、シェリアさんを贔屓しようと行っている訳でもありません。
これはあくまで個人的に行っていることです。そして個人的な事情を仕事に持ち込むことは受付嬢としては公私混同。場合によってはギルドの人間失格です。
実際問題としても、こういった事情を探るのはシオリの仕事ではなく別の部署に回すべきケースです。可哀そうですが、ここでは話を聞いただけで具体的には何もしてあげられないと考えるしかありません。
難しい顔をしていることから察したのか、シェリアさんは自ら話を打ち切りました。
「……お話できて、少しだけすっきりしたよ。どうもありがとう。デクレンスの件は、まだ頼ってない伝手もあるので自分で色々してみるよ。もし証拠が出てきたら改めてお世話になるね?」
こちらの複雑な心境を悟ったように、シェリアさんは笑顔を作って話を打ち切りました。
一時とはいえトップランクに上り詰めたひたむきな彼女の心は、まだまだ折れてはいないようです。その言葉には気遣いもありましたが、諦めない人間の底力のようなものも混ざっていると、シオリは感じました。
だからこそ余計に、自分には本当に何もできないのかと思わざるを得ませんでした。
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