第21話 受付嬢ちゃんが激臭にむせぶ

 ギルド所属の冒険者は、魔物との戦いを義務づけられています。

 しかし、そうは言っても冒険者側からすれば他に職がなくて生活のためにやってきたに過ぎないヒトも少なくないワケで、十分なお金を稼いだらそそくさと引退してしまうヒトがいるのは仕方の無いことです。


 肉体の衰えに無頓着で生涯現役などと言っているヒトに限って過剰なチャレンジ精神で身を滅ぼすというケースも時折存在するので、ギルドも時には引退を勧めることがあります。

 ただ、大抵モメるので辞めるメリットを明確に提示出来る制度があればいいのにとシオリは時折思います。


 補助金が大幅に増額されて新規冒険者が増える一方でベテラン層の中から冒険者を引退するヒトが段々と目立ち始めたのは、制度が始まって暫く経ってからのことでした。


「補助金はありがてぇ話さ。でもな、俺らがこれまで必死こいて頑張ってちょっとでも収入を増やそうとここまでやってきたのに後発の奴らばっかり得してるのを見ると、なんだか急にばからしくなってな……」


 切なく笑うベテラン冒険者さんがまた一人、ギルドを去って行きます。

 彼と同じようなことを言ってギルドを去ったヒトはシオリの担当冒険者では5人目、ギルド全体だと既に30人以上がこの一週間で冒険者登録を解除しています。これほどの引退者を出したことは今までのギルドで前例のないことです。

 新規参入者はそれを上回っているとは言え、経験豊富なベテランが手薄になるのはなかなか困りものです。


 しかし、シオリ個人としては自分の生活を大事にする意味でも引退という決断は重要だと思っています。引退したベテラン冒険者さんたちもギルドでは高齢の層が多かったですし、今目の前にいる方もそうです。


 なので、後ろ髪を引くようなことは言わず、再就職先の斡旋の案内や冒険一筋のヒトが引退後に陥りやすい燃え尽き症候群の話などをして、素直に「いままでお疲れ様でした」と見送ります。


「寂しがってくれないのかい、シオリちゃん? この道20年、かなりいい仕事してきたんだぞ」


 わざとらしくおどける冒険者さんですが、引退しても教導役として小遣い稼ぎに入り浸る元冒険者さんもいますし、大半が町に住んだままなのでお別れ感はあまりありません。

 なので、生きて引退出来たことをもっと喜んだ方がいいと思います。


「ははっ、確かに。シオリちゃんのそういうとこ、安心するよ……うう、受付嬢デビューした頃からずっと見てた身としては寂しくなるのはこっちなんだよなぁ」


 互いに笑い、そして別れます。

 冒険者との別れかくあるべしとまでは言いませんが、しんみりするよりは笑って別れるのがいいとシオリは思います。なので、仮にその人がいなくなることでクエストが思うように処理されなくなったとしても、引き留めようとは思いません。


 ただ、シオリも聖人君子ではないので正直とっとと辞めやがれと内心で思う人はいるわけで。


 その冒険者が現れた途端、ギルドの空気が一瞬で変わりました。

 具体的には「オエッ」とあちこちで小さな嗚咽が漏れるほど臭いです。

 歩く度に落ちるフケ、こびり付いた目やに、雑に切られた不潔なひげ。

 この世の総ての不潔を極めたような冒険者さんは一直線にシオリの前にやってくると、開口一番こう告げます。


「いつものを出せ」


 喋った瞬間に広がる腐ったドブの臭いが鼻を突く体臭と混ざってケイオスハーモニーを奏でる中、シオリは営業スマイルを崩さず「コヴォールですか?」と問いました。


「他にないだろう。あるのか、ないのか」


 言いたいことは山ほど有りますが、とにかく臭くて会話する時間が勿体ないので現在出ているコヴォールの依頼をカウンター越しに差し出します。

 強烈な悪臭で周囲に嗚咽を漏らさせる男の名は、ラジプタさん。

 さん付けも憚られるギルド最悪の嫌われ者です。


 理由? 臭いからですが???


 あと態度の悪さですね。

 ギルドに「いつもの」なんてないし「他にない」こともないです。

 なのに通ぶって必ず同じやりとりをしますし、注意したところで聞く気がまったくありません。そうしてベテラン風な態度を取る自分に酔っているのではないかと思われますが迷惑です。


 ラジプタさんはギルド最年長の冒険者で、コヴォールという厄介な小型亜人魔物の討伐一筋30年でやってきています。

 コヴォールは一体一体は弱いですが意外と頭が良く、繁殖力が高いので群れるとかなり厄介です。具体的には年中繁殖する上に生まれた子供がわずか三週間程度で成体になり、農作物や家畜を執拗に狙い、簡単な罠を使ってヒトを襲って殺して死体で遊ぶこともあります。


 代わりに魔物内での食物連鎖の最下層なのでたまに魔物のおやつにされていますが、特に農作物への被害を重く見たギルドは討伐扶助金を上乗せしています。そこに最近始まった制度の補助金を重ねると結構な儲けとなるのですが……先ほど説明した通りコヴォールは数が多いので討伐は容易ではありません。


 で、それはいいとして、問題はラジプタさんです。


「ふん……ふん……」


 相槌を打っているのではなく、自分の好みではない依頼用紙をカウンターに投げ捨てています。この何様だと聞きたくなる態度の悪さは、煽っているのではなくシンプルに常識や礼儀というものをまったく知らないが故と思われます。


 そもそもこの激烈な悪臭を放ちながら服も不潔で明らかにまともに風呂に入っていない時点で社会不適合者と言わざるを得ず、何も知らないヒトには浮浪者、知っているヒトにもほぼ浮浪者の扱いを受けています。


 流石に冒険者としての装備は手入れが行き届いていますが、この臭さと小汚さではプラスの印象にはなりえません。コヴォール依頼専門でコヴォール狩りで右に出る者なしというプラスの実績を、全て臭さと汚さと態度の悪さで打ち消しています。

 シオリとしては考慮項目に清潔度を加えて正式に評価をマイナス評価にするよう打診中です。±ゼロになってるせいで当人がこれでいいものと考えている節があるのが腹立たしいです。


 ちなみに冒険者の皆さんからの評価は「クールを気取ったかまってちゃんのコミュ障」とのこと。コヴォールの討伐テクニックを伝授するためと称してコヴォール依頼を請けた冒険者に強引に絡んで師匠面するため、もう誰もコヴォール依頼に手を出そうとしません。

 当の本人はその現象が本気で理解できないのか、ふん、と鼻を鳴らします。


「相変わらずコヴォールの依頼は残りっぱなしか。俺以外がやって半端な仕事をするのも困るが、こうも受け手がいないのはギルドとしてはどう思っているのやら……」

(お前のせいだよ)

(お前が原因だよ)

(お前がいなきゃこうはなんねーんだよ)


 ハンカチ等で鼻を押さえる周囲の冒険者たちの目が雄弁です。

 ちなみに鳴らした鼻からは腐臭のような臭いが鼻息の風に乗ってちょっとシオリにかかりました。ここは地獄でしょうか。今すぐ帰ってシャワーを浴びたいです。


 ギルドにはたまに、こういうヒトがいます。

 子供のお駄賃みたいな安い依頼を処理するついでにギルドホームに無駄に長居して喋りまくる人。その辺の冒険者に片っ端から話しかけてチーム編成にしてもらおうとする人。朝の仕事を終えてベンチで大いびきをかく人――違法ではないけれど絶妙に迷惑な人々です。


 そんな人に限って自由を口うるさく主張しますが、その行為が他人の自由を侵害していることにしらばってくれることに関しては天才的です。ギルドとしては逐一注意しているとキリがないためある程度は見逃しますが、彼の場合は正面にいるシオリだけでなく他の受付嬢達も思いっきり被害を受けています。


 正直、この人に限っては悪臭による気分の悪化という明確な実害があります。

 しかし、今のギルドには体臭を理由とした罰則が存在しません。

 だから注意しても無視されるとそれで終わってしまいます。


 ちなみにこのラジプタさん、ギルド内にブラッドリーさんやフェルシュトナーダさんがいるとUターンしてギルドの外に出ます。さしもの彼もギルドトップツーの冒険者から面と向かって注意されるのは怖いらしいですが、その後、必ず受付で「世界を救うのは一握りの実力者ではなくこつこつ努力を重ねる大勢の人だ」とか頼んでもいない人生論を語り出します。迷惑です。


 緩慢な動きで選んだコヴォールの討伐依頼を爆速で処理していると、ギルドの入り口から悲鳴が聞こえます。この声は、サクマさんです。


「……うおクッサ!? なんだこのドブに落ちた生ゴミまみれの野良犬の体臭を凝縮したような……オエッ!? ヴオゥッ!!」


 ラジプタさんと初遭遇のサクマさんの嗅覚に致命的なダメージです。

 しかもタイミング悪くサクマさんはセツナちゃんを連れていたらしく、彼女にも大ダメージが……と思いきや、セツナちゃんは動じた様子もなくとことことこちらに近づいてきます。


 ラジプタさんはギルドで初めて見る愛らしい子供にふん、と鼻を鳴らします。くっさ。


「ギルドは戦士の為の場所。いつから子供がうろつく場所に――?」


 不意に、セツナちゃんがラジプタさんを指さします。

 そしてもう片方の手で鼻をつまみ、籠った声を投げかけました。


「おじちゃん、くちゃい」


 嘘をつけない正直な子供の、極めて簡潔な一言でした。

 今まで散々周囲に臭いだの風呂入れだのと言われてきたラジプタさんもいたいけな子供に初対面でいきなり臭さを指摘されたのは初めてなのか、やや動揺しています。そんなラジプタさんにセツナちゃんは追撃を叩き込みます。


「おふろ。はいらないと、おこられるんだよ」


 自称クールなベテラン冒険者、子供に叱られる。

 汚れを知らない純粋な少女の言葉は彼の心を深く、鋭く抉ったらしく、ラジプタ三は目を見開いたままふらふらとギルドを後にしていきました。セツナちゃんはそれを見送ったのち、けほっと咳き込みました。


「セツナ、大丈夫か! ほら、ハーブの香りで気分リフレッシュだぞ!」

「ん」


 煙管から煙るハーブの清涼感ある香りがサクマさんの風の神秘術でふわりと広がります。セツナちゃんが大丈夫そうなことを確認したサクマさんはぽりぽりと頭を掻きます。


「スメルハラスメントなんてレベルじゃねーよ、バイオハザードだよ。無差別テロだよ。満員電車の中にいたらゲロ吐く自信ある。いやそんな地獄がこの世にあって欲しくはないよ。顔の真ん前でおっさんにガム噛まれたことならあるけど」


 またよく分からないことを言っているサクマさんですが、彼の放ったハーブの香りの恩恵がふんわりとギルド内に広がり、深く傷ついたシオリの鼻腔にも届いています。視界の隅でこっそり死にかけだったモニカちゃんも息を吹き返し、冒険者さんたちも普通に呼吸が出来ることを喜んでいます。


「ありがとうサクマ! お前草むしり専門かと思いきや意外といいやつじゃねえか!! 見直したぜ!!」

「セツナちゃんって本当にいい子ね! このお菓子プレゼントしちゃうわ!」

「え? え? なにこの状況」

「う?」


 ラジプタさんを追い返し、爽やかな香りを届けてくれた二人はしばらくの間ギルドの救世主として持て囃され、サクマさんは戸惑い、セツナちゃんは状況が飲み込めないのか人差指を口に咥えて首を傾げるばかりでした。かわいい。


 ――後にラジプタさんはよほどショックだったのかある程度は身を清めるようになり、渾名をマジクサさんからヤヤクサさんに改められました。元々体臭がきついのか、まだちょっと臭いです。

 ついでにアシュリーちゃんがシオリに洒落た小さな香炉をプレゼントしてくれました。このような私的なプレゼントは極めて珍しいです。彼女にも一廉の人情があったのでしょうか。


「次からはそれでヤヤクサの悪臭打ち消してくださいね。二度と巻き添えで鼻に入れたくありませんからぁ!」


 打算でした。知ってましたけど。

 とはいえ有り難いことには違いなく、珍しくアシュリーちゃんと利害が一致したなぁとしみじみ思うシオリでした。

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