第8話 受付嬢ちゃんの覚悟
四人の受付嬢の一人――アシュリーは周囲に褒め称えられるシオリを見て誰にも聞こえないほど小さな舌打ちをした。
性質の悪い冒険者と戦うシオリの毅然とした姿は、受付嬢としての彼女の人気の一因だ。それは人気ナンバーワンに上り詰めたアシュリーが持ち得ない魅力だ。
だからこそアシュリーは気に入らなかった。
ふと彼女に近づいてきた先輩のカリーナがアシュリーの肩に手を置く。
「ねえ、あの冒険者さんの書類をチェックしたのってアシュリーじゃなかったかしら? それがいつの間にかシオリの方に移ってるの不思議じゃない?」
アシュリーはその問いに対し、欠片も動揺のない無邪気な笑顔で答える。
「ん~、よく分かんないですぅ。提出後に手違いがあったんじゃないですかぁ?」
カリーナは口元には微笑を浮かべつつも目は探るようにアシュリーの顔に注がれる。アシュリーはいつも周囲に振りまく少し天然な女の態度を崩さない。短いようで長い一秒の間を置いて、カリーナは肩から手を離した。
「そういうこともあるかもしれないわね。再発防止を徹底しないといけないわ。時間を取ってごめんね?」
二人は何事もなかったかのように職務に戻っていった。
◆ ◇
受付嬢のアシュリーちゃんは、このギルドで人気ランキングナンバーワンを誇る女です。
男の庇護欲を掻き立てる外見と声色で若手冒険者の懐に入り込み、そのハートを鷲掴みにしています。甘え上手は他の同僚や先輩相手にも発揮され、おだてつつも必要な情報をするする聞き出しています。
その人気はかなりのもので、冒険者の一部はアシュリー親衛隊を結成して彼女の私的な手伝いをしたりプレゼントを献上したり、順番に夕食に誘ったりしています。おかげで彼女は長らく自分で買い物も食事代もお金を払っていないとの噂です。
シオリは正直アシュリーちゃんのことがあまり好きではありません。
その男を弄ぶテクニックと処世術は凄いとは思いますが、彼女は純真なふりをしつつ、その実は腹黒で打算に塗れています。
しつこく言い寄ってくる冒険者に超小声で「キモッ。死ねば?」と言ったり、自分に回された書類をこっそり人になすりつけたり、何度か彼女からシオリの方に担当冒険者が流れたことを知って「調子に乗んなよ馬の尻が……」とすれ違いざまに髪型を侮辱することを呟いたり……。
だからって別に職場でギスギスした空気は出さずに表向き二人は笑い合っていますが、正直シオリとしては一方的に敵視されているようでうんざりしています。
当のアシュリーは本心を器用に隠してレジーナちゃん相手に「さっきのシオリちゃん、かっこよかったですよね~」などとさも尊敬しているような表情を作っている。レジーナちゃんもモニカちゃんも彼女の本性には気付いていなようですいが、その悟らせないところが彼女の一種の凄さではあるとシオリは思います。
男心の扱いで高い人気を持ち、華のある女アシュリー。
情報通で誰に対しても気を遣わないのが逆に人気なレジーナちゃん。
やや気弱ながら他の追随を許さない知識を持つモニカちゃん。
そして、平々凡々なシオリ。
個性的な三人の受付嬢に対して、シオリは余りにも平凡です。
何故自分が人気ナンバーツーなのか不思議に思うこともあります。
まぁ、実はちゃんと理由はあるのですが……シオリには他の受付嬢たちほど尖った武器がありません。出来ることは、人一倍真面目に仕事に向き合い続けることのみ。
すなわち、受付嬢のテッソクを守ること。
簡単なようで、難しいことです。
特定の冒険者に肩入れするべからず。
開示する必要のある注意事項は決して省略せずに全て説明すべし。
如何なる場合であろうと秘匿義務を守るべし。
他は驚いたこととして、受付嬢は一種のアイドル扱いなので妊娠した場合は受付嬢を引退して別の部署に異動しなければならないというものがあります。これはやや物議を醸しているところで、上層部ではいっそ受付に男を導入してもいいのではという議論まで発生しているようです。
しかし、ギルドの人間にはもっと単純で深い不文律が存在します。
その一つが、『冒険者の墓参りに行ってはいけない』というもの。
シオリは最初、それがどういう意味なのかよく理解できませんでした。
墓参りなんて普通はするべきことに分類されるのではないのか、ちょっと仲の良かった人の墓にくらい参ってもいいのではないか……この話を教えてくれたカリーナ先輩は儚げに笑いながら「いつか貴方にもわかる日が来るわ」と言い、それ以上は語りませんでした。
今になって思えば、そのことを一番よく理解しているのは男に媚びながらも決して関係を持つほど近づこうとしないアシュリーで、きっとモニカちゃんはまだ知らないと思います。レジーナちゃんは、正直よく分かりません。一番分かりやすいようで、一番何を思っているのか分からない人です。
墓参りに行ってはいけない理由。
それが今、シオリの目の前にあります。
「……茂みの奥にね、あったんだぁよ。近くに血の跡と、あとはボーンが少々ぉ」
日も大きく傾き出した頃、クエストを終えた奇術師スピネルさんが仕事途中に発見したとあるものをカウンターに持ち込みました。
テレポット――高度な古代術式を解明し開発された
その効果は「小さい空間を大きな空間に拡張した、持ち運べる倉庫」。目の前の拳二つほどしか入らなそうな入れ物の中に、馬車の積み荷一つ分ほどの物品を格納することが出来ます。
鞄や倉庫という概念を覆す、近年最大の発明品です。
テレポットは貴重品ですが、冒険者は討伐した魔物の体の一部ないし必要部位を持ち運ばなければならない関係上、ギルドから貸与されることがあります。スピネルさんほどの実力なら自分用のテレポットを購入する――というか恐らく彼が今月金欠であるのはポットのローン支払いのせい――ことも多いですが、レンタル品には照会番号が刻まれています。
今、シオリの目の前にあるテレポットの底には照会番号が刻まれています。先日にクエストを受注して出て行ったっきり戻ってこなかった、とある冒険者に貸し出されたものでした。
冒険者の名はクロト。
先日まで笑っていた、あのクロトくんのものです。
『いつもアドバイスありがとう、シオリさん!』
『人生のパートナーになって欲しい人は目の前にいますけどね』
思い起こされるのはあの日の記憶。
二度と続きを聞くことの出来ない、終わった記憶。
戻ってこない冒険者と戻ってきたテレポット。
導き出されるのは余りにも当たり前で、それ故に残酷な答え。
「周りをサーチしててみぃたが、多分遺体はワルフにイートされた後だったのだろう。死因はちょっとドントノウ、バットあの辺は毒蛇アヤタルがサムタイム出没するからその辺かね。荷物を見るに解毒薬を途中で切らしたみたいだし」
貴重な現場状況の報告に感謝すると、「義務だしねぇ」とやんわり気にしないよう言われました。
アヤタルの毒は解毒剤なしに耐えられるものではありません。魔物としては弱いのですが、解毒剤を持っていない状態で一撃でも毒を受ければ死は免れないため対策の有無が死に直結します。
クロトくんは真面目で評価もよい冒険者です。
シオリも各種の薬は切らさないように念押しはしました。
しかし、出現率の低いアヤタルの不意打ちで死ぬ可能性を念入りに彼に説明していたかと言われると、必要性と現実の狭間が揺れます。それはもう未来でも予知しなければ出来ない忠告です。
遺品をポットから取り出すために中身を整理すると、数銃が出てきました。間違いなく出発前にシオリに見せてくれたものと同じモデルです。殆ど使われた痕跡がないほど綺麗な銃は、せっかく買ったのに出番を迎えることなく終わったようです。
念のために明日に現場周辺を探索してもらい、もし生存の可能性なしと判断された場合、彼は死亡扱いになります。未達成ペナルティはギルドが背負い、彼の遺したすべてが彼の血縁者など近しい人に送られ――それですべて終わりです。
「ま、冒険者であるぅ以上はケアレスミスした側の責任だぁね。ではさらば」
さぱっと話を切ったスピネルさんは指をパチンと鳴らし、いつの間に出したのか白い花をギルドの花瓶に放り込み、去っていきました。彼なりの鎮魂なのでしょう。シオリは書類を整理し、一度ため息をつき、次の冒険者さんを呼びました。
自分に関わりのあった人が一人死んだと知ったとき、受付嬢にはその死を悼む時間も涙を流す時間も許されません。思い出に浸るなど言語道断です。
何故ならば受付嬢の仕事とは冒険者さんの利益になるよう迅速にクエスト書類を処理し、そして冒険者さんが無駄に死なないために的確にアドバイスすることだからです。
死んでしまった人のことを振り返ることが、今を生きる人々より優先されることはあってはならない。特別にこの人のときだけ、などと甘ったれた特別を自らに許してはならない。営業スマイルを維持して前を向いて、次に向かって頭を切り替えなければならない。
時にそれを非難がましく見る人も、怒鳴りつける遺族もいます。
しかし受付嬢はその全員が例外なく、それらを甘んじて受けたうえで業務を続行しなければいけません。
だからシオリはクロトくんの死を偲んで喪に服すことはしません。
これは、受付嬢となった人間が等しく背負う業なのです。
決して悲しくない訳でも悔いがない訳でもありません。
しかし、命懸けの戦いに挑むのが冒険者であり、そこに死者が出るのは必然です。その全てにシスターの如く敬虔な祈りと然るべき儀式を施すことは、受付嬢のすべきことではありません。
冒険者の扱いに優劣をつけることの許されない受付嬢は、十分説明をした結果死のうが、説明不十分で死のうが、そこに差を見出してはいけません。
一人を墓参りするくらいなら関わった全員に花を添えろ。
担当だけでなく、過去に声を交わしたことのある全員を完璧に覚えろ。
それが出来ないのならば墓参りするな。
それが中立平等を求められるギルド特有の理屈であり、故に受付嬢は『冒険者の墓参りに行ってはいけない』のです。
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