第7話 受付嬢ちゃんの戦い

 ――翌日、シオリは朝から気がかりなことがありました。


 先日の朝一番に依頼に向かったクロトくんが、とっくに戻ってきてもいい時間なのにやってこないのです。彼の実力を甘く見ている訳ではありませんが、何か苦戦しているのでしょうか。


『人生のパートナーになって欲しい人は目の前にいますけどね』


 彼のあの一言が不意にリフレインし、しっかりしろと心の中で自分を叱咤します。こんな浮ついた気分では通常業務でもミスをしてしまいます。


「……困りごとか?」


 わひゃあっ、と情けない悲鳴を上げて驚きます。

 いつの間にか依頼用紙を片手に持ったブラッドリーさんが目の前にいたのです。

 このシオリ、受付嬢として一生の不覚。

 これは帰ったら自己反省文決定モノです。

 慌てて依頼用紙を受け取って、その内容にシオリは「また来てしまった」と内心で落ち込みます。


 ギルド最強前衛職のブラッドリーさんが持ち込んだ今回の依頼は、危険度8を超える超危険任務です。


 危険度8がどれくらい危険かというと、どんなベテランを揃えて万全の態勢で挑んでも不測の事態で一人二人は死ぬのを覚悟しておけ、くらいの危険度です。職業冒険者はここで命惜しさに足を止めるため、逆に報酬は危険度8から跳ね上がります。


 しかし幾ら報酬がいいと言っても命には替えられません。

 金銭に釣られたり怖い物見たさで挑んで二度と還ってこなかった冒険者は数知れず。そんな恐ろしい依頼を請けたがる人はそうそうおらず、さりとて危険度の高さは緊急性の高さでもあるためやらない訳にもいかず、当ギルドではブラッドリーさんとフェルシュトナーダさんが積極的に処理してくれています。


 で、何故この依頼に「また来てしまった」と落ち込むのかというと……ここまでの難易度の依頼になると受付嬢としてアドバイス出来ることがほぼないのです。


 受付嬢は現場での戦いは知りませんが、現場で起きたことの報告という膨大なデータを元手に最善の道、或いは最も安定した道を指し示すことが出来ます。百聞とは一見に勝る力を持つとはギルド内の格言です。

 ところが、この格言が高難易度クエストでは嘘をつきます。


 今回の依頼内容は、ギルドの管轄地域ギリギリに位置する山に謎の狂暴な魔物が出現しているのでそれの情報を集め、可能ならば討伐せよというもの。既に別の任務で山に向かった冒険者が6名も行方不明になっています。


 すると、どうでしょう。

 生存者の情報が無いので魔物の情報もどこでやられたのかも不明です。

 これではアドバイスなんてできっこありません。

 如何に詳細に説明しても、ものの一分で情報が尽きます。


「……分かった。可能なら討伐し、魔物の死体を持ち帰る」


 時々、この重戦士さんが自分を手抜き職員だと思っているのではないかとさえ思ってしまい、申し訳ない気分になります。


 ブラッドリーさんはあまりにも短い説明に文句の一つも言わず、結局クエストはそのまま受注されました。シオリは時々、彼はシオリのことを手抜き職員だと思っていまいかと不安になります。

 不安と言えば、行方不明者と聞いてクロトくんのことをまた思い出してしまいました。


 クロトくんもブラッドリーさんも、またここに顔を出してくれる。

 そう信じつつも世の中に絶対がないことをよく知るシオリは、受付嬢として言える最低限の励ましを口にします。


 ――ご帰還をお待ちしています。


 依頼の正否に関わらず、生きて報告をしに戻ってきて欲しい。

 ギルドに昔からある、私情を許されない受付嬢が口にしていい最大限の言葉。ブラッドリーさんは静かにサムズアップだけして去って行きました。




 ◇ ◆




 いつの時代にも正義と悪、光と闇があるように、冒険者も皆が皆きちんとしているわけではありません。

 例えば、こんな人が受付嬢の元に怒鳴り込んでくる場合もあります。


「受けてないね、そんな依頼! だからキャンセル料なんて知らねぇ!!」


 目の前の猫人ナネムの男性冒険者は、昨日までに達成しなければいけない依頼を放置した挙句に、依頼そのものをしらばっくれてペナルティもキャンセル料も踏み倒そうという魂胆です。

 ものすごく凄んできて内心怖くはありますが、受付嬢とはこういうときこそ毅然とした態度を取らねばなりません。


 ちなみに依頼を受注する時点で冒険者本人のサインは必須なので、書類のサインを確認すれば本人であることはすぐさま分かり、言い訳は通用しなくなります。


 しかし油断してはいけません。

 冒険者はあの手この手でギルドの手続きを欺こうとします。


 例えば、自分の子供に報告に行かせて同情を誘い、キャンセル料をまけてもらおうとする。

 これは無効です。本人報告以外認められませんし、まけられません。


 例えば、確認の書類を出した瞬間にその書類を奪って食べ、証拠はないと言う。

 書類破壊の現行犯で即時罰金に加え、冒険者登録を永久抹消されます。


 例えば、そもそも報告にすら来ずに無視してギルドに訪れない。

 この場合、死亡と判断されて財産が強制差し押さえです。逃亡の場合は指名手配されます。


 例えば、双子の人やそっくりさんがやったと主張し、自分ではないと言い張る。

 犯人逮捕のために一時的に冒険者資格を差し止め、犯人の証拠が見つかるまで依頼を受けられなくします。


 ……とまぁ、このようにキリがないほど起きてはその都度対策が立てられるキャンセル逃れとの戦いの記録が、受付嬢たちの背中を押してくれます。

 さぁどうなる、と思って書類を確認したシオリは唖然としました。


 なんと、よくよく見れば彼のサインは名前の読みは合っているけど綴りが違うのです。


「ホラここ! 名前の綴りが違う! ほーら俺じゃなーい! ほーら俺悪くなーい!」


 諸手を挙げて声高らかに叫ぶナネムの男。

 ギルド側の確認ミスとなると話が違ってきます。

 痛恨のミスに一瞬シオリの頭は真っ白になりました。


 恐らくは、わざとサインの際に綴りを変えて違う名前になるよう細工をしていたのでしょう。既に書類は上司を経て正式に受諾されている以上、違う名前で行われた登録は、サインした当人が本人ではないと言い張れば依頼そのものが無効となります。


 さて、思いがけず大ピンチです。


 勝ち誇ったように見下してくるこの傍若無人の輩を黙って返す訳にはいきませんが、ギルドのミスであるならば一応ながら相手側の筋が通っています。ミスの言い訳ではなく書類の不備を突きつけてくるとは、姑息ながら有効な手段を舌を巻かざるを得ません。


 このまま為す術なく敗北してしまうのか――いいえ、そんな訳はありません。

  これまで数多の先輩たちが姑息な輩の悪辣な手段を打ち破ってきたように、今こそシオリが新たな道を示すとき。


 ――書類の筆跡鑑定を行います!!


「ヒッセキ……カンテー? ってなんだ?」


 首を傾げる男に、シオリは懇切丁寧に説明します。


 人の書く字にはクセがあるので、そのクセを調べれば字を書いた人を予測できるのです。敢えて思いっきり自信満々に出来ると断言しました。この手の相手にはハッタリを効かせて断言してしまう方が有効です。


 効果は覿面。筆跡鑑定という言葉に馴染みのなかった冒険者は寝耳に水とばかりに仰天しています。


 ここしかない、とシオリは間髪入れず筆跡鑑定の技能を持つ同僚を呼びます。同じ時間に働く受付嬢の眼鏡がキュートなモニカちゃんは、待ってましたとばかりに身を乗り出します。


「まっ、任せてください! 過去の彼の資料とその紙を照合すれば、誰が書いたのかバッチリ判明しますよ!!」


 普段はちょっとおどおどしがちなモニカちゃんですが、実はここにいる受付嬢の中で学歴ナンバーワンの才女です。彼女に任せれば間違いありません。


 とどめとばかりにシオリはもしここで筆跡が一致した場合、公文書の偽装という罪を以てして即時罰金、および冒険者資格の永久抹消を覚悟するよう堂々と言い放ちました。

 いつの間にか自分が追い詰められていることに気付いたナネムの冒険者は慌てふためきます。


「な、あ……!? ふ、ふざけんな! 何の権利があって俺の冒険者資格を消すってんだ!!」


 別に消すのはシオリではありません。

 シオリは不正を報告するだけで、それを元に罰金を取った上で資格抹消を命じるのはギルド上層部です。そしてギルド上層部は不正を行ったり素行に問題のある冒険者に決して優しくはありません。


 ――それでも、このサインは貴方のものではないと言い張りますか?


「う、あ……」


 動揺のあまり後ずさるナネムの冒険者の背中が背後にいたガタイのいい冒険者にぶつかり、背後から盛大に睨まれます。


「ようニイちゃん。お前さんが書類偽装だとか冒険者じゃなくなるとかそんなことはどうだっていいんだがよぅ。手前てめえの後ろに人が並んでるのを忘れんじゃねえぞ?」


 指をゴキリと鳴らした冒険者さんの後ろ並んでいる冒険者たちの白い目が一斉に彼に注がれます。不正をする馬鹿のせいで評判を落とされるのは冒険者全体にとってのイメージダウンなので、彼らは誰もナネムの冒険者の味方をしません。


 シオリは今出来る最高の営業スマイルを浮かべ、今のうちに白状するなら罰金だけで済みますよ、とトドメを刺しました。


 ――結局、冒険者さんは泣く泣く負けを認めて周囲は勝利を収めたポニーちゃんにスタンディングオベーションです。

 既に彼の前科は冒険者備考欄に乗ったため、もし二度目の諍いを起こせば処罰はより容赦のないものになるでしょう。

 冒険者さんたちに「これだからポニーちゃん推しはやめられない」とよく分からないことも言われましたが意味が分からないのでスルーします。


 また一つ、悪しき冒険者の悪辣な奸計を自力で打ち砕きました。受付嬢としてレベルアップしたと机の下で小さくガッツポーズしたシオリでした。


 ただ、このナネムの男性の書類を受理した記憶が無いシオリは約一名の受付嬢がこのトラブルに関与していたのではないかと内心で疑っていました。


 ――アシュリー……あのぶりっ子、もしかしてこの書類の不備を知ってて押しつけたんじゃないでしょうね?


 シオリの視線の先では、男冒険者を手玉に取って転がすぶりっこ女のアシュリーが、いつもの笑顔で先輩と会話していました。

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