第5話 受付嬢ちゃんの休憩

 朝から何人もの冒険者を相手にしているうちに日は昇ってゆき、気がつけば昼休みが近づいてきました。この時間になると冒険者達も一通りクエストに出発し、時間を持て余した受付嬢たちは休憩が待ち遠しくなってきます。


 もちろん、そろそろ休憩だからと席を外すなど以ての外。

 きっかり時間までは業務を続けなければなりません。

 故にこそ厄介なのが、滑り込みで手間のかかる手続きを持ち込んでくる冒険者の存在。あまりにも時間がかかりそうな場合は中断して昼からの業務に持ち込まなければいけないのですが、それで納得しない相手も時にはいます。


 例えば目の前で、今正に休憩に入ろうと受付停止の札をかけようとしていたシオリの目の前に書類を叩き付けた非常識なヒトとか。


「コッチだって急いでんのよ、さっさとやりなさい! 仕事でしょ!? カウンターに座ってて目の前に客がいるのにやらないなんてあり得ないでしょ!!」


 あり得ないかどうかは別としてギルド的には断る権利がありますが、そんなことを言っても聞きやしないのが頭に血の上ったヒトというもの。

 糾弾するようにまくしたてるのは猫人ナネムの鍛冶師の女性です。名前は存じ上げませんが、年齢的には40代ほどでとても鍛冶師には見えない普通にお洒落な格好をしています。


 彼女に限らず猫人ナネムはその人種柄なのか、自分のことを優先して周囲の迷惑を顧みないヒトが比較的多いです。その例に漏れず厄介な彼女が持ってきたのは、鍛冶屋の補助金申請の書類。

 普通に処理しても確実に30分はかかる業務で、しかも今から取りかかったところで途中で上司のサインが必要になるので上司の休憩が終わるのを待たねばなりません。


 あと、確かに鍛冶屋の補助金はギルドの仕事ではありますが、受付嬢のいる窓口は原則冒険者専用なので窓口が違います。


「閉まってるからここに持ってきたんでしょ!!」


 閉まってるなら出直すのが普通だと思いますが、そのような常識は一切持ち合わせていないようです。普通に午後の営業開始までお待ちくださいと断りますが、彼女の怒りのボルテージは勝手に上昇していきます。


「ふざけんじゃないわよ!! 超国家条約の批准国から貰った金でおまんま食べてる役所仕事の怠け者が、こんな最低限の仕事すらしないって言うの!? 条約違反よ!!」


 条約にはギルド職員は休憩せずに馬車馬の如くルール違反の客に従えとは一言も書いていないのですが、まったく話を聞く気概が感じられないので堂々巡りです。


 こういうとき仲裁に入って追い払う職員やフォローする職員が出るものなのですが、偶然書類を整えていて他の職員より退席が遅れたせいで周囲に全然同僚がいません。実はモメ始めた辺りまで一人いたのですが、シオリのことを堂々と無視して行きました。

 ……まぁ、あのぶりっ子アシュリーが助けてくれる筈もなし。

 同じ時間に働いている同期受付嬢3名のなかでこの手の悪質客に強いのはギャルっ娘ことレジーナくらいのものでしょう。残念ながら彼女も既に姿は見えません。


 どうしようか、とシオリは考えましたがやはりギルドの内部規則的に彼女の相手をする必要はありません。しかし相手と来たらこのまま撤退すれば追いかけてカウンター内に侵入せんとする勢いです。


 もちろんそんな真似をすれば罰則の末につまみ出されますが、つまみ出されるまでの間に破壊行為に及ぶならそれはそれでギルド的に見過ごすことも出来ません。ああ、なんでよりにもよって誰もいないのか――と悲観しかけたそのとき、女性の方をぽんぽんと叩く人物が姿を現しました。


「ああ!? 何よ、コッチは今忙……し……」

「貴方、時計が見えないのかしら? 今はもう休業時間よ」


 やんわりと、しかし有無を言わせない威厳の籠った声。

 振り返った女性は自分を止めた女の正体に愕然としました。


 そこにいたのはギルド最強の術師であり、同時に見る者の根源的な美観を擽る程の絶世の美女――フェルシュトナーダさんだったのです。


 ぴんと尖った長い耳は天人ゼオムと呼ばれる種族の証であり、翡翠のように美しい長髪は煌めいて見えます。油断すれば女性でさえ恋に落ちそうな程の美の塊であるフェルシュトナーダさんの圧倒的な存在感に女性は何も言い返せず、自分で叩き付けた書類をひったくるように抱えて逃げるように去って行きました。


 予想だにしない援軍にシオリは嬉しくなって深く感謝します。


「いいのいいの、ああいうの私も嫌いだから。それよりお昼一緒にどう? 私が留守の間のギルドの様子も聞きたいもの」


 気にするなとばかりにひらひら手を振る彼女に元気に返事をしたシオリは、一秒でも待たせる時間を減らそうと急いで休憩の準備に入りました。


 強く、正しく、美しく、そして優しい。

 フェルシュトナーダさんはギルドの誰からも尊敬される素敵な人なのです。



 ◇ ◆




 天人ゼオムは遙か蒼穹を漂う浮遊島を丸々都市化した『天空都市バベロス』に住まう神秘の種族です。

 外界と隔絶され、世の殆どの人が見たことすらないバベロスは世界とまったく交流がなく、時々フェルシュトナーダさんのような自称変わり者が降りてきて伝聞で都市の存在を語るだけです。


 そんな存在すら朧気で、国というほどの規模かどうかも知れない天空都市バベロスが『三大国ビッグスリー』に数えられている理由――それは、神秘術という術法と法則を万人に理解出来る形で纏めたのが彼らゼオムだからです。


 彼らゼオムは一切の例外なく桁違いな術の使い手であり、その圧倒的な力に対抗出来る種族はこの星には殆どいないだろうと謳われるほどに隔絶しています。


 例えばフェルシュトナーダさんは過去に凶悪で巨大な魔物が出現して仲間の冒険者たちが襲われた際、冒険者たち全員を見えない障壁で覆い、更に浮遊させて避難させながらたった一撃の神秘術で魔物を消し炭にしました。

 本人曰く「ちょっと加減を誤った」その一撃は大地を穿ち、余りの威力に町がすっぽり入る巨大なクレーターが出来たといいます。


 これだけでもとんでもない話ですが、やりすぎたと感じたフェルシュトナーダさんはその場で大地を操る神秘術を用いて破壊された大地を修復し、植物の成長速度を速め、ものの数分でほぼ元の地形に再生させたとギルドの報告所にありました。


 ギルド所属の術師たちは口を揃えて「あんなのがいたら自信をなくす」と落ち込むほどの圧倒的な力を持ちながらもフェルシュトナーダさんはとても気さくな人で、今もシオリと途中でたまたま合流した自称ギャル受付嬢のレジーナちゃんと三人で食事しています。

 行き先は菜食主義のフェルシュトナーダさんがお気に入りの『ワンワン軒』。

 ヘルシーなのに美味しいコマヌ国の伝統料理のお店です。


「ここ最近は何か変わったことあったかしら?」


 食事の合間にフェルシュトナーダさんが訪ねるとレジーナちゃんはちょっと過剰な髪飾りを揺らして首を捻ります。


「うーんアタシの把握してる情報は多すぎてどれから言えばいいのか……プリメラ先輩の新彼氏がなんと交際から6日保って記録更新したとか?」

「相変わらずねあの子……」

「他は道具屋やら鍛冶屋の噂とかそんなんだから。あとはシオリとクロトっていう新人冒険者が付き合うんじゃないかとか」

「そうなのシオリちゃん?」


 にやにやする二人に、違います! と、ムキになって否定します。

 レジーナちゃんはギルド一の情報通ですが、貴重な情報に限らずゴシップ的な情報も多いので油断するとすぐ変な噂話に話が飛びます。


 話の流れを変える為にシオリもトークを提供しますが、思いつくのは冒険者への愚痴ばかり。漸くひねり出した内容と言えば、魔物の出没ペースが世界的にじわじわ高まっていることくらいです。

 レジーナちゃんは幸いにもこの話に乗ってくれました。


「確かにこの辺もちょっと増えたよな。先輩から盗み聞いたんだけど、また未確認の魔物が確認されて今日にも討伐クエストが出されるって話だぜ?」

「……最近、ちょっと多いわね。薬師くすしとしてあちこち回ってる時にも何度か話を聞いたわ。東南のエディンスコーダ鉄鉱国では大砲王が直々に出撃するほど強いのが出て、山が一つ吹き取んじゃったんですって」

「それ、また大砲王が『新しい大砲の試射にちょうどいいわ!』って言いだした系では……」

「それもある」

「だよねー。そして吹き飛んだ山はついでに開拓されて新しい基地になってるとか!」

「すごい、貴方よく知ってるわね」

「実家がエディンスコーダの近所なもんで!いやー、子供の頃に見たあのギガンティックデストロイドランブリングデモンブレイクグローリーカノン試製零號は忘れられないっすわー!」


 極めて難解かつ珍妙なネーミングの大砲をすらすら喋るレジーナちゃん。

 シオリとしてはそのギガンティック何某がどんな見た目の物体なのか非常に気になるところです。エディンスコーダは機械マキーネという古代技術を解析して割とトンでもないものを作ることに定評があります。


 しかし、冒険者を脅かす新種魔物が増えるというのは魔物の大侵攻の前触れだと昔から言われているので、ギルド側としては注視したい懸念事項です。

 フェルシュトナーダさんがほう、と悩ましげなため息を漏らします。


「超国家条約で足並みが揃うといいんだけど、相変わらず天空都市こきょうは我関せずと空飛んでるし、アーリアルの医療独占も変化ないし、氷国連合は何考えてるか分からないし……」

「ま、なるようにしかならないんじゃね? それに必ず起こるとも限らないし、だいぶ先になるかもしんないし」

「そうね……前兆を見逃さないよう備えだけはしつつ、普通に過ごすしかないわよね」


 本当に魔物の大侵攻の前触れならギルド本部から情報が来るでしょうし、指針を決めるのもギルド本部です。シオリたちに出来る事と言えば、いつも通り冒険者がより生き残れる道を指し示すだけ。

 午後から更に仕事に気合が入りそうです。


「……頑張り過ぎちゃ駄目よ? 気負い過ぎも。人間、助け合ってこそ何かを変えられるんだから」


 フェルシュトナーダさんはやる気を出すシオリに苦笑いしつつ、優しく頭を撫でてきました。子供扱いも彼女にされるとなんだか満更でもない気がしますが、そういえばゼオムは世界一の長寿族だったことを思い出しました。

 予想が正しければフェルシュトナーダさんは若く見えども年齢の方は低く見積もっても600歳オーバー。お母さんどころか先祖レベルです。


 そう考えた瞬間、頭を撫でる手がアイアンクローに変わり、シオリはぴぎゃーっ! と非情に情けない悲鳴をあげました。

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