けじめ

三人で教室へ戻ると後ろのほうで、立華を囲むようにした女子たちに佐々木が話しかけられていた。


「なんで!?なんでこのままでいいってことになるの!?」


教室の空気が凍る。立華に生徒たちの視線が集まる。立ち上がりあたりをきょろきょろしだす者もいる。

席に座ってゲームしていた三鍋が画面から顔を上げて、立華のほうを見た。

いたずら男子は顔を机にうつ伏せている。

立華は声をわななかせて続ける。


「だって……みんなで決めたイラストを勝手にいじられたんだよ!?」


佐々木が片手を上げて、立華を落ち着かせようとする。

侘実が佐々木のところまで進む。


「それなのに……何にも謝りもなくこれでいくって……」

「うん……ちゃんと○○には謝ってもらう」


立華を囲む女子たちが、彼女の背中に手を添える。

佐々木が隣にきた侘実と眼を合わせ眉を下げてきまり悪そうにほほえむ。


「立華さん……」


侘実がほそく息を吸い込んで言った。


濁った白地に掠れるように黒く点々模様がまばらに散らばる天井で、蛍光灯がじりじりと嫌な音を立てて教室に響く。

静けさのなかで、誰かの足が椅子にぶつかってガタンと音が立つ。

胃を逆なでする不快な蛍光灯の音に占められた教室は、生徒たちの活気を吸い取り胸に棘を刺す。


加藤がうつむいて一歩さがった。

僕は佐々木のほうへ一歩踏み出し、それに気づいた三鍋が振り向く。


「立華の言うようにちゃんとみんなに説明して、○○には反省してもらう」


佐々木が穏やかな声で立華に語りかける。

立華は眼に手を当ててスカートをばたつかせ教室をでていく。その姿はこの教室に澱む何かを振りほどいているように見えた。立華の背中を追って女子たちも外へ出る。


立華が出ていった出口を遠くに眺める加藤が何か言いたげに、その言葉をむしろ誰かから言われるのを待っている、そんな表情で立ち尽くしていた。


いたずら男子はずっと机に突っ伏して寝たふりを決め込んでいる。ただ固まって自分からは何も言おうとせず、佐々木から声をかけてもらえると思っているのだろうか。クラスの誰もが、落ちてくるはずの第一声を待ち忍び口をつぐんでいる。

教室にはただ蛍光灯のじりじりした音が響く。


ここでクラスに示すのは佐々木じゃない。立華でも侘実でも僕でもない。みんなから眼を背けて独りよがりの夢から眼を覚まそうとしないいたずら男子、君じゃないのか。

僕は机の前に立つ。


「○○、一回ちゃんと謝ったほうがいいよ」


動かない。机に伏す頭も、腕も、そして強張った僕の足も動かない。

僕は再び言う。


「……○○」


それでもまだ動こうとしないいたずら男子を僕はにらみ続ける。


「てらきんぐ…………」


どこかから三鍋の声が聞こえる。

僕の手がいたずら男子の頬にあたる。

いたずら男子は顔をゆっくりと起こして僕を見上げた。


「……あぁ」


いたずら男子は口も眼も何もかも半開きにやっと理解したという顔で僕を見続ける。


——君だ。みんなに言葉を伝えるのは。


のっそりと立ち上がり、足をすべらせ背を曲げたまま教壇へ歩いてゆく。


「…………すぃ……ませんでした」


それだけ言って元の席へ戻ってきた。

佐々木が駆け寄ってきて、背に手を添える。目の前の男子は生気を失ったように青ざめ、硬直している。


僕は黙って教室をでてトイレに向かった。

扉を閉めてすぐにクラスの内から誰かの喋り声がし出した。何事もなかったかのように雑念と雑音が湧きたって教室に充満する。


僕は洗面台で汚れてもいない手を洗い、蛇口から流れ落ちる水をじっと見つめた。


ジャバジャバジャバジャバジャバ


台で勢いよく跳ね返った水は制服を濡らし、そして僕の両手から水滴がしたたり落ちる。ハンカチを出そうとしたら、うまくポケットに手が入らずズボンが濡れた。力が抜けた僕の腕は血の流れを感じるほどに敏感に震えていた。


教室へ戻る。後ろのほうで三鍋が壁を向いて立っていた。

自然と僕は三鍋のそばへ近づく。

三鍋は窓を向いてつぶやく。


「ひとが一生懸命作ったものをいじられるのは、やっぱり気分悪いよ。まあ俺があれこれ言えた立場じゃないけど」


僕は後ろから、女子と同じくらいの背しかない三鍋を抱えて背中にくっつく。三鍋は、てらきんぐ?と小声で不思議がり振り向こうとしたが、視線を斜め上に止めてまたすぐ窓のほうへ向き戻った。

三鍋のやわらかい髪の毛が唇にあたる。


「三鍋もちゃんと準備来ればよかったのに」

「……めんどくさかった」


三鍋が笑う。

だから僕も一緒に笑う。


髪はやわらかく、僕の肌にチクチクあたってくすぐったい。


「でもやっぱりいたずらでするのは良くないと思う」


三鍋はいつもの高い声を一段落として言った。


「僕もそう思うよ」


初夏の汗ばむ蒸し暑さを忘れさせる、小さくもやさしいあたたかな背中だった。

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