体育祭

雲ひとつない真っ青な空と惜しみなく光を照らす太陽のもと、体育祭は行われた。


立華やパネル絵女子たちが悲しみに暮れたパネル絵も、いざグラウンドに屹立した姿を眺めてみれば、草原に君臨する獣王の緊迫感といまにも気圧されそうなほどの大迫力に、見る者たちはおぉと感嘆の声を上げていた。結果として悪くならなかったことにクラスメイトたちは言葉にせずとも、安堵していたと思う。

ま、他クラスの男子たちはけっこう笑ってたけど、それはそれで良かったんじゃなかろうか。


そしてダンスでも練習の時は文句しか言わなかった男子たちが、本番では見違えるほど真剣な表情で音楽にぴったりとキレキレのダンスをしてみせ、パフォーマンスが終わった後クラスの女子たちからやむことのない賞賛が送られていた。


そんなこんなで体育祭はいまのところ順調に進み、午後一発目の種目を控えて僕はスタートラインに立っている。

これについては疑問しかない。

なんでべつに足がはやくない僕が二百メートル走に出場されているのか全くもってわからない。僕はハンドボール部だが、決して足は速くない。むしろ部のなかでは遅いほうである。

それなのにまわりを見ると、サッカー部や野球部などの足の速そうな生徒しかおらず、なかには陸上部の短距離選手までもがいる。

こんななかで走らされるのは恥晒しでしかない。


もともとは別の生徒が走る予定だった。だが昼前の棒倒しで足をひねって、誰が代わりに出るかという話になり、なぜか僕が選ばれた。僕は必死に無理だと主張したが、野球部のお調子者が僕の肩に手を載せ、……お前なら……いける、とこくこくと頷きながらにんまり笑みを浮かべると、周りにいた男子たちがそれに便乗し、寺木しかありえない寺木ならワンチャンなどと騒ぎ立てて、それで係の者が僕を代理に登録してしまった。


オンユアマーク、——セッツ、————パァァン!!


空へめがけて発射された銃声が不自然に静かだったグラウンドに響き渡る。


僕は無心で走った。

前をゆく選手たちに引き離されても、今にも手が届きそうな背中がどんどん離れていっても僕はがむしゃらに脚を踏み出し、回しまくり走った。


走っているときは気づかなかったが、僕の後ろにもう一人いたみたいでなんとか五位でゴールできた。


鼻と口から息という息が噴き出し、頭と顔から汗という汗が沸き出し、耳と眼から血が流れ出るのではないかと心配になるくらい身体の筋肉と神経が衰弱して、ぶっ倒れそうになる。

膝に手をついてぜえぜえ悶えながら体を揺らし、なんとか呼吸を整える。

立ったまま喋っている他の選手たちが信じられないが、そんなこと気にする余裕もなく胸に手をあててゆっくりと大きく息を吸って、吐き出す。

——ふう、落ち着いてきた。


トラックを横切ってクラスの応援席へ向かう。

席に座り水筒を取り出す。

朝自分で入れた氷が溶きってしまいもう冷たくなくなったお茶を一気飲みして、胸に詰まりそうになって白目を剝く。

胸をとんとん叩いて腹の底まで流し込む。

あぁ……。やっとほんとに落ち着いた。


僕はお茶を飲んでしばらく、空に浮かんでゆっくりと流れる雲を眺めていた。

真っ青な空のキャンバスにうすくアクリル絵具で描いたいまにも消えてしまいそうな雲が流れている。

視界の右端にはパネルが高くそびえ立ち、この世界にもし小人がいたなら僕たちのことはこんなふうに見えているんだろうなと想像した。


草原に雄叫びを上げるライオン、ボディビルのポーズをとるムキムキマッチョの男二人、十二単を着た青髪の平安貴族、フシギダネに十万ボルトを浴びせるピカチュウ、と各クラスのコンセプトアートが様々に描かれている。

くさタイプにでんきタイプは効果抜群だったけ。効果いまひとつだっけか……あれ?


他クラスの絵に夢中になっていたら、遠くのほうで誰かと三鍋が話しているのが見えた。

立ち上がりパネルの裏にまわって、ザッザッと砂をこすりながら歩いて三鍋がいる他クラスの席へ向かう。

三鍋が話していたのはハンドボール部の同期のやつだった。

——なんだこのふたり知り合いだったのか


もともと色黒だった肌が最近さらに日焼けして松の木みたいな黒褐色になっている同期が、同じくらいの背丈の三鍋に手をちゅんちゅん突っついている。

そしていまやっと気づいたが、三鍋は真っ赤なドレスを着て女装していた。

僕はやや声を荒げて言う。


「おい!やめろやめろ!」

「きゃはっ!○○くんやめてくすぐったい!」


三鍋が身体をくねらせて口からリコーダーみたいな音を出す。


「ぴゃはは!?はにゃはー!?はーにゃははっ?!!」


僕は不覚にもにやついてしまった。

同期が笑い涙を浮かべながら、ひーひー引き笑いして眼をこする。

三鍋が笑い過ぎで上半身を折りたたみゲホゲホむせているので、僕は背中をさすってあげた。


「はぁー……おもしろい。っふふっふ」


同期の真っ黒い顔に埋まる眼に浮かんだ涙粒が白く光る。


「やりすぎだろ」

「だってこいつの反応がおもしろいから。っふはは!」


僕はなんだかこいつにげんこつをかましたくなってきた。

三鍋はまだ息苦しそうに身体を折りたたんみ地面を向いている。

背中をさすっているうちに三鍋が下を向いたまま身体を寄せてきて、頭が僕の股間にあたった。

ちょっと…………なんというか、なんだろう。……まさか気持ちいいわけじゃないけど、まあ悪くはないが…………。

勝手に引き上がる口角を頑張って締め付ける。


隙をついて同期を一瞥したら、気にしている様子はなかったので安堵した。

そして僕は思わぬところでひょっこり転がってきたエクストライベントを無駄にすることのないよう、三鍋がもとに戻るまではとことん味わってやろうと心に決めた。

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