第8話 原悪の罪


『––––そうだね。そろそろこの器とはお別れしてもよさそうだ』

 

 裕太の炎と雫の刀剣が真っ直ぐに渚沙を狙った瞬間、暇つぶし程度に呟いたような声がした。

 眼前、悪魔のような姿に移り変わった渚沙を理解不能な言語の文字列線が丸みを帯びて十字に囲いクルクルと回り始め、赤く発光した。

「なんだ⁉︎」

「なに⁉︎」

 急な発光、その衝撃に裕太と雫は圧されて攻撃を中断し後退する。

 廃校の校庭、そのど真ん中だった。

 裕太と雫の瞳に映る情報が、世界の限界を軽く超えた。

 幽体離脱という言葉が、少年少女の脳裏をよぎった。黒い渚沙の体から、何かがふわりと飛び出したのだ。それは渚沙の全身が透けたような状態で空に滞空する。『ソレ』が出てきた肉体、渚沙本人はフッと意識を失うと「制服姿」で地面に倒れた。

 剥離。

 まるで魂が肉体から離れたと思わせる現象。

 悪々しくもあり神々しくもある光景に、裕太と雫は

息を呑む。

 

 さて。

 突然だがとある書物の一節に、こんな言葉がある。


 いわく、神の子は自ら日時を設定し死後復活したという。

 いわく、虚偽と隠蔽、詐欺、人間の悪意は一つの根源、すなわち『蛇』から生まれたという。

 

 ……そんな話を直義から聞かされたことがあったと、呆然とする雫は思い出していた。

「……アイツ、は。まさか……」

「奈切? どうし––––」

 嫌な汗を頬に伝わせる雫を怪訝に思った裕太が口を開いたその瞬間、少年少女の間に最初から立っていたかのような自然さで、『ソイツ』が途端に現れた。

 時間が止まる。

 理解が追いつかずに思考が停止する。

『返却してもらうよ』

 ひっそりとした声が二人の耳朶を打つ。声がするまで近距離にきたことに気づかなかった驚愕は後回しだった。というより、その前に各々に強烈な一撃が打ち込まれたのだ。

 その一撃の正体はわからない。

 とにかく『全身を面で襲う激痛』が二人を蹂躙し、左右に分かれて校庭を吹っ飛んだ。

「「がぁぁああああああ‼︎⁉︎」」

 地面が抉れる轟音が響き渡り、砂煙が霧のように舞い上がる。二人の動きがようやく止まったのは、校庭と道路を隔てる緑色の壁にめり込んでからだった。壁が壊れる重い音が低く鳴った。

「がは! ……っはぁ! はぁ、はぁ、はぁ……ッ。な、なんだ。 一体、何が……っ」

「……っ! 裕太! 避けて!」

「……? ––––な」

 激しい痛みに苦鳴しながら咳き込み、口の中で血の味を噛み締める裕太が、自分がダメージを負った原因に意識を向けようとした時だ。

 突然、雫の焦るような、警告するような声が裕太の耳に届いたのだ。彼は怪訝に前を向き、砂煙がカーテンのように舞う校庭を視界に入れる。

 すると、その瞬間に砂煙の茶色いカーテンを引き裂くように、黒い影が飛び出してきのだ。

『キミのことだよ。ソイツの魂はボクのモノだ』

 冷え切った瞳と声色。裕太なんかに興味はない表情が、視界いっぱいに広がる。直後、顔面をわし掴みにされると同時に尻に敷かれていた地面に叩きつけられた。

 轟音。

 地面がクモの巣のようにひび割れる。抉れる。

 激痛。

 美玲と似た攻撃方法を喰らい、骨と筋肉が軋む。

「ご、ぐぁああああああああああ⁉︎」

「裕太! ……くそ、殺すなら私を殺しなさい!」

 裕太の絶叫が響き渡った瞬間、雫はすぐに怒りで立ち上がり黒い影に斬りかかろうとする。だが、刀を顕現させて握り締めたのはいいがその時にはもう敵の姿はなかった。

 目を見開いた雫は瞬時に辺りを見回した。

 いない。

『キミは誰だ? 外野はさっさと退場した方がいいよ』

「な……っ」

 真後ろからの声。

 すぐに振り返り様に斬撃を放つが手応えはなく、相手の姿も当然ない。空を切った刀は寂しそうに夜の廃校の景色を映す。

 そこにいた。

 映った。

 不気味な黒い影。

『ボクは今とても忙しいんだ』

 ゴッ‼︎ と。

 側頭部に強い衝撃が襲った。視界が歪み、脳がアラートを鳴らして思考が停止した。雫の目が焦点を合わせられなくなり、白目を剥く。

 ドサ……っと、ゆっくりその場で倒れた。

「……な、なきり……っ」

『さて。掃除も終えたことだしこれでゆっくり話せそうだね、「アダム」』

 そう言って、黒い影……渚沙の姿を借りた『ナニカ』はうつ伏せに倒れる裕太の前に降り立った。

 レベルが違う、という話ではなかった。そもそも根本的に生物としての構成そのものが人間とはどこか違う。声色は渚沙だが、少年のような無邪気さが混じったような音。雰囲気も渚沙の姿を借りただけで、纏っているのは異質な空気。

 裕太はよろよろと立ち上がりながら、『ナニカ』を睨んだ。

「お前、が……。渚沙を変えたクソ野郎か……っ」

『? その口調はキミらしくないね「アダム」。ボクの記憶だと、キミはもう少し知性を感じさせる言葉遣いだった気がするけど……まだ『器』に馴染んでいないのかな?』

「なにを言ってやがる……。オレはアダムなんかじゃねぇ。陸堂裕太だ」

『六道祐拿? ……あぁ、陸堂裕太か。全く大それた真名だね。全ての階層に存在する人間を残らず救い出す意味を持つ名なんてさ。そんな彼を『器』に選んだキミもキミだよ、『アダム』」

 何かを知ったような口振りで語る渚沙の姿を借りた『黒い存在』は、呆れ果てた息を吐いた。全くもって意味がわからない言葉の羅列ではあったが、重要なのはそんなことじゃない。

 今ここで一番大切なのは、コイツが渚沙を利用して、渚沙を変えたことだ。

 裕太は口元に着いた血を拭いながら、

「オレが誰で、てめぇが何者かなんてこの際どうでもいい。……てめぇ、ナギを利用して何をしようとした? ナギを泣かせておいて、無事でいられると思ってんじゃねーぞ」

 『黒い存在』は肩を竦めて、

『? よく分からないけど、ボクはただの「蛇」さ。ボクは元々『器の所有権』を継承する誓約を「エバちゃん」と結んでいたんだ。だからこの『器』の魂は、肉体は生まれた時からボクのモノだ。それをボクがどう使おうがキミには関係ないことだろう』

「関係なくねぇ! てめぇが借りてるその姿は! 魂っつーもんは! 全部オレの妹のだ! てめぇのじゃねぇ! 陸堂渚沙のもんなんだよ! 借りパクしたくせに自分のように使ってんじゃねぇぞ!」

 そもそもいきなり出てきておいて黒幕振るのも腹立たしい要因の一つでもあった。こっちは渚沙を元に戻すために美玲を『見殺し』にしてきたのだ。大罪を犯してでも妹を救うために。

 それなのに、いきなり魂やら肉体やらが分離して、渚沙の中から得体の知れないクソ野郎が出てくるとか理解の範囲を超えている。

 最初からこうなることが決まっていたのなら、何も美玲を救い出してから来ればよかったと後悔しそうになる。

 しかしそんな後悔すら目の前にいるクソ野郎は笑い飛ばして、路傍の石ころを蹴る感覚で無下にするだろう。

 最初から全部自分の掌の上だったと言わんばかりに、裕太の努力と覚悟、悲痛を馬鹿にすることだろう。

 ……全くもって、腹が立つ。

「てめぇにどんな思惑があるのか知らねぇけどな。こっちは家族をいいように使われてイラついてんだ。上から目線で物事を全部語ってんじゃねぇ」

『ボクはただの「蛇」さ。上からも下からもない。……キミの『器』はとてもうるさいねアダム。少し黙らせるよ。キミとの話はそれからだ』

 刹那。

 『黒い影』……自分のことを蛇と名乗ったクソ野郎が消えた。裕太が視認している全ての世界からヤツの存在が確かに消失する。

 だがここで、裕太は不思議と焦りを感じなかった。怒りは怒髪天を貫いているし、今この瞬間にも自分の命が狙われていることも理解している。

 しかし陸堂裕太は自分の中で恐ろしいくらいの冷静さを自覚していた。

(……変な感じだ。イライラしてんのに怒りが爆発しない。激怒してるのに熱さを感じない)


 ––––それは君が自分の原罪を理解したからだよ。


 声がした。

 どこかで聞いたことのある声だ。


(お前は、誰だ……)


 ––––僕は君で、君は僕さ。いいかい裕太くん。渚沙ちゃんの魂は今あの「蛇」に囚われている。あいつを倒さない限り、渚沙ちゃんは起きないし、あと一分以内に片をつけないと全てが手遅れだ。だから一瞬だけ、僕本来の力を君に『譲渡』しよう。


(……なにを)


 ––––理解の次は、「意識」をすることだ。僕と君、妹を好きなように使われた兄が抱く感情は、この世界でたった一つしかないだろう?


 そこで声が終わり、いつのまにか遅くなっていた世界の時間の流れが元に戻る。

 未だに「蛇」の姿はどこにも見えない。ヤツが何をしてこようとしているのかすら想像出来ない。

 でも今は、そんなことを考えようともしなかった。

 理解の次は、意識をすること。

 なるほど確かに、裕太は今日原罪に目覚めたばかりで、いきなり炎を使えるようになったけど、そもそも彼自身の罪はハッキリしていなかった。

 雫の場合は「斬る」で刀。

 美玲は「裂く」で大鎌。

 では裕太は? 炎を使えるようになる罪とは、一体なんだ?

 声の主……いいや、自分の中で正体は掴んでいるけどそれを認めてしまえば自分が陸堂裕太ではないと思ってしまいそうで怖いだけだ。

 アダム。

 あの声はきっとアダムだ。

 アダムが言っていた。

 アダムは兄として抱く感情はたった一つしかないと。

 そんなの、言われるまでもない。

 だって裕太は、この事件が始まってからずっと途切らすことなく抱いていたのだから。


暴食グラトニー。死食せよ』

 ズン、と。

 世界が揺れた。

 赤い満月を背にして上空を滞空している「蛇」が、巨大な黒い大口を裕太に向けていた。

 グラトニーとは、大それた名前じゃないか。

「オレの罪は、『怒り』だ。てめぇを一途に思う、ただただ限りなく透明な『怒り』だった」

『その怒りすらボクは喰らおう』

「その食欲を、オレたちが燃やしてやる」

 ボッ、と。裕太の全身を美しさすらある赤い炎が包み込んだ。

 それと同時にグラトニーが食欲を解放して、飢餓から逃れようとばかりに裕太を狙う。

 正真正銘の一騎打ち。

 制限時間は残り三十秒。

 「蛇」から魂を奪い返さないと、渚沙は死ぬ。

 「蛇」。そう、「蛇」だ。

 あの日、両親が事故で死んだ日。

 裕太は確かに見たではないか。渚沙を変えさせて、両親を死なせたかもしれない真の原因。

 妹に巻きついていたのは、確かに……。

「てめぇの好きなようにはさせねぇぞ。ここにはもうアダムもイブもいない。みんなそれぞれ罪を背負って、それでも必死に生きてんだ! 蛇如きが人間サマに逆らって、いい気になってんじゃねぇ‼︎」

 コイツが全ての元凶ならば、ここで終わらせるべきだろう。ポッと出の黒幕気取りの蛇なんかに、渚沙の人生を邪魔させてたまるか。

 真上からグラトニーが迫り来る中、裕太は拳を最大限に握り締めて、炎を纏う。

 炎の拳を、振り抜いた。

「燃え尽きろ! 底無しの食欲ごと!」

 ゴァッッッ‼︎‼︎ と。荒れ狂う炎の奔流が、進行方向にある全ての空気を焼き尽くし、空間を熱して歪ませる。熱波が広がり、辺りにある建造物や地面、木々が溶けて燃え、火の海に変わっていく。

 対して、縦に伸びる柱のような炎と直撃したグラトニーは、舌を火傷することに躊躇わずに、その巨大な口で炎を喰らう。

 バクバグバク‼︎ という咀嚼音と共に、裕太の炎がどんどん喰われ、飲まれていく。

「う、ぉおぉぉぉぉおおお!」

『諦めるといい。暴食グラトニーは七つの欲の中でも特に人間を表した罪だ。始まりの罪と言ってもいい。所詮は現象系の原罪に、グラトニーの食欲は止められない』

「それでも燃やす! 消し炭にしてやる!」

『わからないな。どうしてそこまで必死になる。『器』の分際で、何にそこまで拘るんだい。どうせいつか死ぬ命、遅いか早いかの違いでしかないだろうに』

「みんなが明日、笑って生きていくために! なんの憂いもなくバカな話をして笑えるように! 悪い夢から醒めた時、いつものみんなでいてほしいから、オレが戦ってるんだぁ!」

 ゴッアァァァァ‼︎ と。裕太の叫びに呼応するかのように炎の威力が更に増した。グラトニーの捕食が、微かに弱まる。

 一番最初は、ただ渚沙を守るためだけに戦い始めた。いつもみたいに喧嘩が強いだけじゃダメで、異能に目覚めないととてもじゃないが守り通せない理不尽の世界に足を踏み入れて。

 それだけでいいと思っていた。

 渚沙だけ守れて、渚沙だけ幸せで、渚沙だけ笑顔でいてくれたら、他には何もいらないと。

 でも、それだけじゃダメだったのだ。

 雫も美玲も。みんながみんな笑い合える幸せな世界がいい。悲劇なんて生まれずに、ただ純粋に笑って過ごせる時間を作ってあげたいと思ってしまった。

 だから、そのためには裕太がもっと強くなるしかなくて、「蛇」なんかに躍らされている場合でもなかった。

 こんなところで、躓いてる暇なんてない!

『はぁ。キミの正義論は聞き飽きたし、理想論は甘ったるくて聞いちゃいられない。悪いけど、『器』にはさっさと退場してもらうよ。六道祐拿』

 ため息混じりだった。

 もはや裕太の話なんかどうでもいいとばかりに、「蛇」は暴食グラトニーを最大限に押し出しす。食欲が増し、喰らう威力が底上げされて裕太の炎を勢いよく腹の中に収めていく。

 このままじゃ負ける。

 炎の威力がこれ以上上げられない。

 無理もない。

 ここまで連戦で、立っているだけでやっとの状態なんだ。むしろこうしているだけでも奇跡に等しい。

 何か。

 もうひと押し。

 あと一つ、この状況を変えられる一手があれば。

「くっ、そぉおおお……!」

「諦めんじゃないわよ! アンタがここで押し負けたら、渚沙ちゃんは明日笑っていられないでしょうが!」

「……⁉︎ 奈切!」

 少女の力強い声が裕太の耳に届く。グラトニーに推し負けないように必死に食らいついている少年の横を、片腕を無くした黒い髪の少女が日本刀を持ちながら駆け抜けていったのだ。

 彼女だって立っているだけでやっと。何なら裕太なんかより重症で、死んでいたっておかしくはなかった。

 奈切雫。

 渚沙のために、ここまでしてくれるのか。

 彼女は日本刀を強く握り直すと、人間離れした跳躍でもってグラトニーを超え、その更に上空で高みの見物を決め込むクソ野郎まで迫った。

「脇役を舐めんじゃないわよ。よく覚えとけ。私が奈切雫だぁぁああ‼︎」

 ザン‼︎ と。

 雫の一閃が、「蛇」の左腕を肩から切断した。派手な血飛沫はなく、だがしかし、ヤツは羽虫だと思っていた存在に一撃を喰らった不愉快さに微かに眉を顰めた。

 それを見て、力尽きたように落下する雫は笑う。

「あ、はは。ざまぁみやがれ、爬虫類……」

『覚えておくよ。奈切雫。次はキミの魂も喰らおう』

 そして、そう言った「蛇」が最後に視線を振ったのは、真下にいる陸堂裕太だった。

 雫が腕を切断してくれたおかげで、グラトニーの威力が弱まり裕太の炎が食欲ごと飲み込み、『黒い大口』が消し炭になった。

 自然、その炎は「蛇」に迫り、ヤツの眼前に赤色の景色が広がった。

『今回はボクの負けだ。だけど覚えておくといい。ボクはただの「蛇」さ。獲物を捉えるまで、どこまでも追いかけて巻きついて、いつか必ず喰らって飲み込む。……アダムもイブも。楽園も失楽園も。全てはボクの所有物だということを忘れるな』

「だったらてめぇも覚えとけ。……食物連鎖の頂点はオレたち人間だ。爬虫類は爬虫類らしく地面を這って果実でも食っとけよ。……大好物だろ? 特にリンゴとかはよ」

『……再会が楽しみだ。陸堂裕太』

「燃えろ‼︎ 七つの欲望ごと!」

 今度の今度こそ。

 陸堂裕太の炎の柱が、天を焼き尽くすかのように燃え盛り、夜の空を赤く染めた。

 

 ––––炎の煌めきが、どこまでも美しかった。



           2



 ––––白い世界だった。

 穢れなんて知らない、真っ白で純粋な、果てなく広がる甘く白い世界。

 そこで一人、少女は立っていた。

 見回しても誰もいない。

 呼んでも誰もいない。

 歩いて探しても誰もいない。

 少しだけ、寂しくなる。


「……ナギ」

 

 声がした。

 その音を聞いただけでとても落ち着く。安心するしポカポカする。心が、温かくなる。


「ナギ。一緒に帰ろう」


 振り返ると、そこには世界一大切で、自分の命なんかよりも尊い人が優しい笑顔を浮かべて立っていた。

 少女は手を握ろうとして、しかし止める。


「……できない。できないよ、そんなこと。だって、私はお兄ちゃんに、みんなに酷いことをしたから」


 どんなに言い訳をしても、少女がしてしまった現実自体は無くならない。過去にはなるけれど、無くなりはしない。

 少女が「蛇」に惑わされて、言葉を信用しなくて、安易に流されやすい力に身を委ねなければ誰も傷つくことはなかった。

 いいや。

 あの女の人を、殺さずに済んだのに。


「私は、人を殺したの。たとえあの時私の体が乗っ取られていたとしても。私がしたっていう事実は何も変わらない。……私なんて、生きる資格がないよ」


 人を殺すことはダメなことだ。

 人を傷つけることはダメなことだ。

 力を暴力に変えちゃダメなんだ。

 そうやって、少女は教えられて生きてきたのに。

 少女は泣かない。

 泣く資格なんて、どこにもないから。

 だって。

 思い出したんだ。

 少女の大罪を。


「お父さんとお母さんも……。私が殺しちゃったんでしょ……ッ! 私が、罪に呑まれたせいで、お父さんとお母さんは死んじゃったんでしょ!」


 今思えばおかしかった。

 小さい頃の自分は、本当におかしかった。

 異能を使えるからといって、自分のことをイジめてきた人たちに酷いやり返しをして、更にはその力に溺れて全能感に酔いしれて、結局は両親を殺して。

 救いようがない悪だ。

 死んだ方が世界のためになる絶対悪だ。


「私は死んだ方がいい人間なんだ……ッ。私がいない方が、お兄ちゃんは幸せになれるんだ! だから……!」


 と。

 悲痛な叫びを発した少女の頬を。

 優しい温もりが包み込んだ。

 力強くて、大きい手が、触れていた。

 目の前にいる少年は、変わらない笑顔で言ったのだ。


「帰ろうナギ。お前を縛り付けるモンはなにもない。オレの幸せは、お前が笑って過ごしてるところを見ることだよ」


 少女は泣きそうになるのを必死に堪えながら、


「でも……、でもっ。私は……っ」

 

 それでも少年は優しく。

 兄として。


「大丈夫。オレがついてる」


 限界だった。

 そんなことを言われたら、もう我慢なんて出来るわけないじゃないか。

 そうだった。

 少女の兄はこういう人だった。

 こういう人だから、少女はこの人のことを本気で信頼できたし、愛することも出来たんだ。

 少女は我慢していた涙を、子供のように声を出しながら頬に伝わせた。あとからあとから流れる涙を、兄が拭ってくれていた。

 抱きしめた。抱き締め返してくれた。

 兄の腕の中は昔と変わらない温かさと大きさで。


「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

「ああ、あぁ。帰ろうナギ。オレたちの家に」

「……うんっ、うんっ。……うんッ!」


 そうして。

 白い世界からゆっくりと、二人の姿は––––。

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