間話 記憶の忘却、欠落の罪


 ––––『怖い夢』を見たと、兄に言ったことがある。


 ––––『面白い夢』を見たと、妹に言ったことがある。


 その夢を見たのは互いに違う日だったけれど、同じ内容だった。特に何かが起こるわけでもなく、ただ印象が強くて頭から離れない、それこそ魂に刻まれるような夢だった。

 二人が夢を見て、数日後。

 家族旅行に行くことになった。

 久しぶりに家族で出掛けることが嬉しくて、兄と妹ははしゃいでいた。車で伊豆の方に行くという。

 何をして遊ぼうとか、何を食べようとか。とにかく旅行を楽しもうと兄と妹は考えた。

 大好きな両親と旅行なんて、子供からしてみれば夢の国に行くようなモノだから。

 

 旅行の前日。

 妹がおかしなことを言った。


 ––––ねぇお兄ちゃん。お兄ちゃんはリンゴ食べる?


 兄は首を傾げた。

 家にリンゴなんてないからだ。


 ––––ねえお兄ちゃん。どうしてリンゴを食べちゃいけないの?


 兄は首を傾げた。

 リンゴを食べちゃいけないなんて言われてないからだ。


 ––––ねえお兄ちゃん。私ね、リンゴを食べたの。そしたらとっても美味しくて、こんなことができるようになったんだよ。


 兄は食べていた果実を床に落とした。

 妹が、剣の形をしたモヤモヤとしたモノで、猫を串刺しにしていたからだ。

 返り血が頬に着いていて、床に赤色の液体が垂れている。血溜まりが出来ている。


 ––––ねえお兄ちゃん。私、すごい? これで私も、お兄ちゃんを守れるかな?


 

 次の日。

 猫の件は両親に伏せて、旅行に行った。

 猫の死体や血は、兄が綺麗に処理をした。

 両親は気づかなかった。

 旅行中は特に何事もなく、楽しい時間ばかりが過ぎていき、妹も猫を殺すなんていう特異な行動をすることはなかった。


 帰り道。

 伊豆から東京に帰る、峠道だった。

 車の後部座席に座っていた妹が、虚空に手を伸ばした。

 すると、次の瞬間に「赤色の果実」が顕現した。

 淡く輝いている。

 まるでリンゴのようだった。

 両親は気づいていない。

 兄は気づいている。


 ––––ねえお兄ちゃん。お兄ちゃんもリンゴを出してよ。これを食べたら、すっごくいい気分になれるんだよ。


 ––––ダメだ。よくわかんないけど、それはダメな気がする。今すぐしまえ。


 妹は少し不満そうにした。


 ––––どうしてやめなきゃいけないの? これがあれば、私にイヤなことをしてくる子たちにやり返すことできるのに。


 兄は切れ口調気味に言った。


 ––––あんなモノを使って同級生に何かしたのか? もうやめろ。それは二度と使うな。絶対に。


 妹は不満をさらに募らせた。


 ––––なによ。お兄ちゃんだってケンカするくせに!


 兄は怒った。


 ––––いい加減にしろ! 言うこときかないなら、もう遊んでやらないからな!


 妹は叫んだ。


 ––––いいもん! 私には優しい蛇さんがいるんだから! お兄ちゃんなんて大っ嫌い!


 そこでようやく両親が兄と妹の喧嘩を仲裁しに割って入ってきた。父は運転をしながら微笑んでいた。母が少しだけ叱るように口調を強めているが、目元はひどく優しい。

 その時だった。

 クラクションが盛大に鳴った。

 外からだ。

 家族全員で引っ張られるように外を見れば、トラックが正面に近づいていた。反対車線のトラックだ。

 衝突した。

 車が道路を回転した。悲鳴が聞こえた。笑い声も聞こえた。

 命が危ない時間の中、兄は妹を見た。

 妹が、かじった跡のあるリンゴを手に持っている。その妹の体に、黒色の蛇が巻き付いている。

 蛇がこちらを見て、笑った。


 ––––この子はボクの物だ。


 次の瞬間。

 車はガードレールに突っ込んで、爆発した。

 兄の目に最後に映ったのは、自分の近くを滞空している、まだかじられた跡がない「綺麗なリンゴ」だった。


 ––––妹は、無傷で気絶していた。

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