第2話 罪を背負う者たち
––––女性の体が腹部から真っ二つに切断されていた。
その映像と音はいっそのこと清々しく、けれどどこまでいっても
そもそも、人間一人の質量がいとも簡単に切断されること自体が異常で、現実離れしていると言っていい。
夜。
東京都三多摩地区にある小平霊園。
小平市、東村山市、東久留米市にわたって広がる巨大な墓地で、『ソレ』は起きていた。
『ソレ』が人間社会において最もタブーなことくらい小学生でも分かるが、しかし『ソレ』を堂々と破り捨てた「存在」は我を忘れた呼吸を何度も繰り返しながら月の光を妖しく浴びている。
高校生、だろうか?
ともあれ死者の魂が眠る、
頭、首、胴体、腕、手、足……。更には臓物に至るまで。『バラバラ』の死体と表現することすら生優しいくらいの悪夢じみた光景がどこまでも広がっていた。
そして、その中心に立つ黒い影。
『ソレ』––––『殺人』を完了させた「存在」は、漂う死臭を嗅ぎながら、まるで己の罪に支配されるみたいに激しく
––––月夜の下、罪の重さが世界に響き渡っていた。
2
罪を犯した人間は法の下正しく裁かれる。
これは
例えば、窃盗。
例えば、傷害。
例えば、
例えば、詐欺。
例えば、
例えば、殺人。
罪の重さによってその者に下される制裁は確かに変わるが、根本的な『罪の代償を支払う』という結果は何も変わらない。
だからこそ、世界的に見ても治安が良いとされる国の代表格である日本では罪を破る人間は少ない。
その『支払う罪の代償』に正しく
では、どうして人間は罪を犯すのだろうか?
犯罪をしたところで自分にメリットなんて何もない。むしろデメリットの方があり、その先の人生に損を被ることになるのは火を見るより明らかだ。
だからこれは仮定の話。
もし仮に、人間の『本能』とでも呼ぶべき魂の置き所に『罪を犯す』という原点があるとしたら、それには逆らえないんじゃあないのか?
「……キミたちがいけないんだよ」
では時間を進めてみよう。
ニ○ニニ年、五月十五日。
午後八時。
場所は小平霊園。
平常通り、しん、と静かな場所だがそれよりも『更に』人の気配が霧散した墓所で「歪な少年」が熱い吐息をこぼしながら呟いていた。
真中健太。
小平市内の高校に通う平凡な高校生『だった』少年は、自分の周りに広がる光景をビクビクしながら見ている。
「キミたちが、ボクを馬鹿にするからだ……」
自分が犯してしまった事態に恐怖を抱き、けれど行ったことには全く後悔をしていない声と表情。
真中健太の足下に転がっているのは模型じみた人間の手足。いいやそれだけではない。およそ人体の部位の殆どが彼の周囲にグロテスクに散らばっている。
殺人。
これより上なんて存在しない人間の禁忌。
それを、十六歳の高校生である少年が破ってしまっていたのだ。特技も特徴もない、物静かで暴力とは無縁の領域に生きる少年が、暴力以上の「殺人」を実行してしまった。
理由は「自分のことを馬鹿にしていたから」。
原因は『赤い果実と蛇が出てくる夢』。
夢の中で、蛇に言われた。
『––––罪の味を知りたくはないかい?』
理解なんてしていない。
深くなんて考えてもいない。
ただ、蛇の言う通りに『赤い果実』を食べて、夢から醒めた次の瞬間には––––『バラバラ』にしたいという『本能』が少年の中で絶叫していた。
生き物は『本能』に従って生きるものだ。それは何もおかしな話なんかじゃあない。だから真中健太という少年は『バラバラ』にしたい最大欲求にその身を捧げただけ。
それだけの話だ。
だから悪いことなんて何もしていない。
そもそも足下に転がっている『肉片』共がボクのことを馬鹿にするからいけないんだ……。
「––––だから『通りすがりに自分を見て笑っただけ』の人間をバラバラにして殺すんだ。ふーん。アンタって王様か何かなワケ?」
と、殺人を無理矢理肯定するような逃避の思考を断ち切るように、女の子の声が真中健太の耳を打った。
ビクン、と怯えるように肩を揺らし、おそるおそる俯いていた顔を上げる。
視線の先、立っていたのは黒色の髪に黒色のセーラー服を着込む少女。
彼女は何故か右手に持っている『日本刀』を肩に担ぐと、軽く息を吐いた。
「別にアンタがどんな『罪』を背負っていようがいまいがどうでもいいんだけど……『バラバラ』にする必要はあったワケ? 正直グロいわ。グロすぎ」
「……誰だ、キミ」
音もなく急に現れた少女が馴れ馴れしく話しかけてくる。しかも自分の行いを否定する言い方だ。
……『バラバラ』にしてやろうか。
「ほとほと呆れるわね。すっかり『原罪』に呑まれてるじゃない。意志の弱さが露呈してるわ」
「ワケの分からないことを言わないでくれよ。ボクは自分の『本能』に従っただけだ。それに、コイツらがボクを見て笑った。それは重罪だ。万死に値する」
「うげ。裁判長気取りですか? 色々問題視されてる日本の裁判より
「……何が言いたいんだよ」
少女は不敵に笑んだ。
「アンタは所詮村人Aってことよ」
迷いなく『バラバラ』にしてやろうと決定した瞬間、しかし真中健太が行動するよりも更に早く黒髪にセーラー服の少女が動いた。
彼女はいつの間にか持っていた『赤い果実』をシャクリと口にして––––直後、リンゴの花弁が少女の周りを美しく舞い始め、手に持つ日本刀が輝いた。
見覚えのある現象に真中は驚く。
これは。
いいや、それは。
「キミも、あの夢を見たのか……!」
「私は勇者のパーティの一員だけどね」
お前とは住んでいる世界と役割が違う。そう言われている気がした。それが更に真中の神経を逆撫でして、確実に『バラバラ』にしてやりたいと殺意が喝采する。
右手を水平に振り、それに応じて虚空に突如出現した『赤い果実』。掴み、シャクリと食べる。
瞬間、真中の周囲にもリンゴの花弁が漂い、『バラバラ』にするための巨大な「ハサミ」が顕現する。
だが。
それだけじゃ終わらない。
溢れた殺意が、『本能』が、『バラバラ』にしたいという欲求が絶叫する。
「ハサミ」を手にした瞬間、真中の全身が赤黒く発光した。途端、彼の全身がボコボコと膨れ上がり、姿形を変えていく。
数秒後、唸り声と共に現れたのは、赤い異形だった。
鬼のような巨躯に、頭の上には天使の輪っかのような、『ウロボロス』に似た蛇。筋肉質な胸部には蛇に巻き付かれているリンゴのマーク。周囲を漂うのは黒いリンゴの花弁。
「……ウゥウウウ」
「「
「ゥォオオオオオオオオン‼︎‼︎‼︎」
「今楽にしてあげるわ。素直に私に斬られなさい、この大馬鹿野郎」
スッと、少女が黒い瞳を細めて呟いた。彼女の言葉には表面通りの鋭さを感じるが、しかしどこか真中健太という、化け物に堕ちた一人の少年に『慈悲』を与えてるかのようだった。
勝負、と表現していいのか否か。
ともあれ真中と黒髪の少女の激突は一瞬だった。
キン。
と、簡素で、それでいて甲高い音が夜の霊園にどこまでも響き渡る。
銀色の閃きが、迸った。
黒髪の少女が美しく振り抜いた日本刀が作り出した、刃の道筋。それが、一切の
「『バラバラ』になんかしてあげない。アンタの『罪』は、アンタが背負って逝きなさい」
激しい出血はない。
生命の終わりとは思えなかった。
真中健太の肉体は夜桜のように美しい赤いリンゴの花弁へと変わり、そのまま夜の帳に流れていく。
その彼岸のような、狂気のような絶景の中立っている黒髪の少女は、まるで楽園を追放された
3
〈骸蛇〉という異形に堕ち果てた真中健太が赤い花弁となって夜の空気に流れていくのを見届けると、雫は静かに一息吐いて日本刀を消した。
それと同時に彼女の近くを浮遊していた赤い果実も消失する。
「さて、っと」
呟いて、雫は周囲を軽く見回した。
時刻はもう夜の八時を過ぎている。当然、小平霊園はどこか虚しく暗闇に落ちているが、真中健太が殺害した人たちの遺体が残酷に散らばっていて大分ショッキングな光景だ。
「まずは回収班を呼んだ方がいいのかしらね」
「その前に独断で動いたことを僕に謝った方がいいと思うんだけどな」
聞き覚えしかないその声に、うんざりとした態度になった雫は振り返った。
視線の先、立っていたのは黒い学ランをお手本通りに着込んだ白髪の、女子ウケする整った顔立ちの少年。
七瀬司だ。
「げ……。もう来たの、司」
「げ、は流石に酷くないかい?
苦笑しながらこちらに歩いてくる司。彼は雫の反応に慣れている素振りで、そのまま遺体の方に目を向けると、そこで両手の掌を合わせて、目を瞑る。
「……何してんのよ」
「死者を弔ってるんだ。非業の死を遂げたね」
「物好きね」
「例えそうだとしても、「死」は万人平等に弔われるべきだよ。……雫も優しいじゃないか。彼に苦しい思いをさせないために『一太刀』で終わらせたんだから」
「……なんのこと」
「素直じゃないんだから」
「はっ倒すわよ、アンタ」
「はいはい」
素直じゃない
すると、そこに忽然と姿を現したのは黒い袴を着た数人の人間だった。顔は西洋の喪服のようなヴェールで隠されて、人相は分からない。
回収班・『隠』
雫と司。二人が一般社会に秘匿している任務の後処理を担うグループだ。
彼らは雫と司に軽く頭を下げると、手慣れた動きで遺体の処理、現場の修繕を行い始める。
雫はそんな『隠』を見ながら、
「相変わらずテキパキと動いてくれて助かるわ」
「雫が命令外の行動をしなければ、遺体の処理だけで済んだんだけどね」
「やかましわ」
一言余計なのは司の性格を考えたら仕方がない。彼はとにかく規則やルールを守ろうとしたりするし、合理的で柔軟な考え方をしない。
出来ないのではなく、しないのだ。
雫はそんな彼が心底腹立たしい。
「で? もう任務は終わったんだし、帰ってもいいの?」
雫と司の両名に与えられた指令は、「断罪化」した真中健太を拘束、または除罰すること。ただし〈骸蛇〉に堕ちた場合は生死は問わない……というのだ。
命令通りなら、雫たちの仕事は終わっている。
司は頷いた。
「『隠』の人たちが仕事を終えたら、僕たちも帰還していいと思うよ。ここに残っていても、することなんて何もないわけだし」
そう言われると、雫は肩の凝りを解消するかのように両腕を上へと伸ばした。
「んーーー。今日は何か疲れたわ。さっさと帰ってお風呂入って寝よー」
「そうだね。最近は任務続きだったし、当分は僕達の方に任務が回ってくることはな……」
絶対にない。
多分二人は同じことを考えていた。
だから気を抜くように、疲れを心底感じてるように歩き出した。
だが、そこで鳴ったのだ。鳴ってしまったのだ。
なにが?
七瀬司のスマートフォンがである。
二人は真顔で足を止める。着信の音が、地獄への招待ソングに聴こえるのは気のせいか?
司は無言と真顔でスマホを取り出し、電話に出る。
「……はい。七瀬です」
『あ、ツカサー? ボクだよボク、みんなのキャプテン直義だよー。 お疲れのところ悪いんだけど、キミたちにどうしても頼みたいことがあ––––』
ブツ、っとスマホが一方的に通話を切った冷たい音を奏でた。
訂正しよう。
雫は司がルールなどを守り、柔軟な考え方をしない腑抜け野郎と言ったが、そうでもないらしい。
一言で言って、ツカサくん、ナイスプレー。
「帰ろうか」
「帰ろ帰ろ」
まるで何事もなかったかのように、雫と司は小平霊園を後にした。
––––戦いの後は、もうどこにもなかった。
4
世界に知れ渡っている有名な書物にはこうある。
––––いわく、人類の祖は『善悪の知恵の実』を口にし、楽園から追放された。
これは世界最大宗教の聖典に記載されている神話で、詳細こそ知らない者は多いが殆どの人間が一度なら耳にしたことがあるだろう。
人類の祖は『禁断の果実』を食べ、この世界で一番最初に『罪を負った人間』である。
その結果、「祖」は父である神の怒りに触れて死や悲しみなんてない楽園––––エデンから追放されて地上に降り立った。
そもそも何故、父である神の言い付けを破って『禁断の果実』を口にしたのか。
「祖」を唆した悪魔がいたのだ。
それが『蛇』である。
後にその『蛇』は最も有名な悪魔である【サタン】と呼ばれるようになるのだが、今は話が逸れるので詳しくは別の機会に回そう。
さて。
人間の『本能』に『罪を犯す』という原点があるかもしれないと話をしたが、覚えているだろうか?
それが『原罪』である。
原初の罪。
原典の罪。
「祖」が犯してしまった罪が、全ての人間に受け継がれているという話だ。
そして、その『原罪』から解放されることは決してなく、歴史上『原罪』を浄化することに成功したのはたったの二人。それが聖母マリアと神の子ではあるのだが––––ここからが本題。
『原罪』は、「祖」に善悪と知恵を授けたことを指すが、これは言い換えれば「元々あった能力を封印した」ことを言う。
人間には元々「何かしらの特殊な力があった」ということだ。
では、善悪と知恵を力にしている人間に、更に別の力が加わったらどうなるのだろうか?
それを恐れた神の思惑が、もしも仮に崩れてしまったら、この世界はどうなってしまうのだろうか?
聖母マリアと神の子。
二人は神の思惑から初めて外れた特異点で、実際に民衆の前で様々な奇跡を振るった。
特殊な力。
人類に元々あったとされる能力。
それが、現代でも現れ––––否。
––––再発を始めた。
トリガーは『果実と蛇の夢を見ること』。
夢を見る条件、人間の選別方法は一切不明。
しかし夢で果実を食べた者は己の中に眠る『罪』に目覚めて能力を解放する。
つまり、その者の『原罪』が能力になり、『原罪』に負ければ『罪』に呑まれて己を失う。
例えば、『物を盗む』ことが『原罪』なら、その者の能力は「何かを取ることに特化した能力」になるということだ。
日本は法治国家だ。法で裁けない事件が発生した場合手に負えない。国外でも超常現象の事件を裁判で判決を下すなんて事例は見たことがない。
––––だからそれらを取り締まる組織が必要だった。
創設時期、本部拠点、支部の数、人員は全て秘匿。
組織名は〈エデン〉。
世界的に発生している特殊能力事件を人知れず解決する秘密組織。
フリーメイソン、テンプル騎士団、薔薇十字騎士団、イルミナティ、KKK……。
時代によって名称は異なるが、しかし確かに存在する、表の世界を超常現象から守る組織。
奈切雫。
七瀬司。
二人は〈エデン〉のメンバー。
己の『原罪』と向き合うことに成功し、「本来の力」を取り戻した『本物の人間』。
二人を含めた〈エデン〉のメンバーは、日々闇に溶け込みながら罪と戦い、人々を守っている。
5
「
それは原初の夢と呼ばれる、能力覚醒条件を見て、更に己の『原罪』に支配された者が堕ちる現象。
「
雫と司が所属する、特殊能力事件対策組織・〈エデン〉は、そんな〈骸蛇〉や『原罪』に適合した人間が犯す犯罪に対処している。
二◯二二年、五月十五日。
午後九時。
東京都内にある〈エデン〉の支部の一つだった。
まるで時代劇に出てくるような和風建築の屋敷に、任務を終えた雫と司が帰ってきた。
〈エデン〉の支部は『ソレ』とは分からないようにいくつかの方法を用いて欺瞞と隠蔽を施している。この屋敷もその内の一つで、現在は雫たちの住居としても使われている。
「あー疲れた。もう当分任務はいいわ。一週間の休暇は絶対にもらいたいわね」
「それは同意見。流石に連続任務は堪えるよ……」
広い玄関で靴を脱ぎ、ブラック企業に愚痴るかのように自分の考えを口にする
そう。
さっきの電話。
アレの後に、呑気に帰宅して思い通りにいくわけない。
そして案の定だった。
「……やっぱいるし」
「いたねぇ……」
「あ、帰ってきた。おい
「え、はや! シズク、ツカサ! 今日もおつかれ大変だったでしょ! さぁさ、まずはここに座ってゆっくりお茶でも飲みながら……」
「あ、手が滑ったー」
「ってあぶなぁ⁉︎」
畳の香りが
当然、何かイラついたので
「い、一応上司なのにこの対応……。流石にどうかと思うな、シズクさん!」
「上司なら上司らしく
「ダサ……⁉︎」
そして認めたくはないが、一応〈エデン〉・日本支部のトップでもある。
「まぁまぁ。そう言うでない、
「フォローしてるの、それ? 更にダメージを負っただけなんだけど……。いたたまれないよ、ボク」
などと
絵本に出てくるような顔立ちで、一目で日本人ではないと分かる。しかし着ているのはどこからどう見ても浴衣で、まるで外人が和服に憧れて着込んだようだ。
そして言うまでもなく、アリスもこう見えて〈エデン〉の一員で、
二人がここに来たということは、『そういうこと』なんだろう。
電話を切ったところで、やはり意味はなかったらしい。……まぁ半分諦めていたからダメージは少ないが。
「はぁ。……で、次は何をしろって言うのよ」
「話が早くて助かるよ、シズク」
笑って頷いた
何とか怒りを鎮めて、雫は口を開く。
「そういうのはいいから。さっさと本題」
「次も〈
「今回の任務で、キミたちにはとある少年を––––」
「ある
「ねぇアリス、それボクのセリフ!」
と、妙に締まらない雰囲気で、次の任務を言い渡された雫たち。
––––この時から、もっとちゃんと考えておくべきだった。いつも通りサクッと終わらせて帰ろうだなんて、思うべきじゃなかったのだ。
だから、
そうすれば。
あの時。
あの日。
あんなことには、ならずに済んだはずなのに––––。
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