アルビオン・ストリート

存思院

Albion

 Albionの響きが好ましいという複雑な事由から、僕はこの名を持つストリートを歩いていたのである。ペトリコールに包まれながら、並び停まる車を横目に、落書きの醜いゴミ箱を過ぎた。英国留学も終わりが見える頃、R.P.アクセントも苦労の末習得した身、あまりリスクを冒すべきではなかったのだろう。何よりも深夜であるというのがいけない。路上で大麻を味わう少女に出会ってしまった。しかし何ということはない。もちろん素通りを決め込んで、アスファルトの彩度がここだけ違うなあ、と内心呟いて足早に通り過ぎる。アパートに囲まれた道であるし、何かあれば叫ぶぞよいのか、と無表情で威嚇をきめた僕は或る致命的なミスを犯している。

「お嬢さん、深夜に独り歩きは危険よ?」

――そう。お察しの通り、僕はその夜、完璧に過ぎる女装をしていた!

「そのお優しいお言葉は是非、鏡の前で云われるとよろしいかと」

 怪しむ箇所がこれっぽっちもない萌え声で、人生のテーマ「慇懃無礼」を前面に出しつつ微笑み返す己。さてここでよくよく非行少女を観察してみると、清楚なワンピースと綺麗なブロンドの髪を台無しにしかねない体たらくを無視すればなるほど美人である。らしくせよとばかりに上体を起こして壁にもたれかからせる間に、都合よく不良少年に囲まれた僕たちは、急転直下貞操の危機。それも彼らが意外にも開明的であった場合のみで、半身の露呈とともに殴り殺されかねない、そう僕は男。

「あんたたち美人じゃん。それに? いけないなあ。大麻は。いくら警察が無能で人手不足だからってねえ」

「美人だなんて、そんな照れるなあ」

 斯くして僕たちはにやいた不良どもに車に押し込められて、連れ去られてしまった。略取事件とはまったく酷い結末だと僕と彼女の美少女ぶりを呪わざるを得ない。

 暫くしてパーティー会場とやらに入ると、そこは言葉とは裏腹に本の積みあがった研究室風の場所で、いつの間にかにやついた不良少年は口を真一文字に結び直立不動である。

「やあよく来てくれたね。君たちが都合よく酔っぱらった美少女でとても嬉しいよ。ところで聞いてほしいのだけど、さるインドの密教経典にはこんなことが書いてある。えっと。まあ詳しくは面倒だから云わないけど、この世界は夢だ云々。そこで君たちには――」

 白衣をきたお姉さんが狂った瞳で踊りつつ僕たちに何かをしたのだけれど、残念その先は記憶が無い。

「――以上が、僕と彼女の馴れ初めだ」

「ちょっと待ってほしい。かなり待ってほしい」

 僕のベスト・マンたる紳士は、困り顔でこちらを見ている。

「先ず、君の奥さんはどこに出てきたのかな?」

「何を云っているんだ。ほらよく見てくれ。あの実験室の――」

「なるほど」

「――積みあがった本の一冊に『カーマ・スートラ』があるだろう?」

「ふん。お姉さんね。ん? たしかに見えるが、本がどうしたんだい?」

「いやだから『カーマ』が僕の奥さんだって」

 先日は素敵な名前だと云ってくれたではないか。

「カーマという名前がね。私の親友は神と結婚したのかな」

「そうとも云えるが、非人格的な概念としてのカーマかな」

 銀行勤めの親友がスーツを乱してしばらく考え込んでいる。こうなれば長いことを知る僕は、故郷の紅茶をサーブしにキッチンへ。

 戻ると、親友は一口飲んで深く息を吐いた。

「もういいから新作の話をしよう。アルビオン・ストリートで非行少女に出会うというのは刺激的な導入だ。ただ、彼女の更生にやっきになる主人公というのは受けが悪いのではないかな」

 確かに一理ある。正義を振りかざすような結末を用意するつもりはないが、その気配があればプレイヤーは離れてしまうかもしれない。

「第二案」

 そう云うと思って、主人公案を含めた新しいプロットを用意していた。その欠点には僕も気づいていたのだ。両親の強要する進路に嫌気がさしつつも、社会のレールから外れることに恐怖して動けなくなってしまった少女。彼女は、ありがちな結末として大麻に逃げた。或る夜、大喧嘩の末、自暴自棄気味に路上で眠った彼女に、帰宅途中の主人公が出会う。

「お嬢さん、深夜に独り歩きは危険ですよ?」

「うるさい。体は売ってないからとっとと失せて」

 僕は妹に目配せした。

「でも貴女を放置することはできないわ。それにお兄ちゃんに下心はないよ、ね?」

 そこでどうして疑問形になるのだ妹よ。

 どうしても放っておけなかった僕たちは、説得と隠し味の脅迫を経て非行少女を家にお持ち帰りすることに成功した。母は歓迎してくれて、若いころは自分もお痛をしたと余計な自慢話を披露してくださったのは、何とも複雑な思いである。

「そういえばあんた、あの留学生のお友達はもうすぐ帰っちゃうのよね」

「そのことなんだ母さん。明日、研究室のみんなで送別会をするって云ってたけど、場所が彼のアパートになったんだ」

「まあ! それは面白そうね」

 実は、件の日本人留学生はかなりの変人だ。或る時から女装をして大学に来るようになったし、声までアニメキャラそっくりなのだ。母さんは何故かそんな彼のことをいたく気に入っていて、何かと面倒をみている。

 翌朝、自分も行きたいと駄々をこねる妹を宥めつつ家を出ると、昨夜もいた少女が路上で寝ていた。おそらく薬物だろう。関わりたくなかったから素通りして帰宅したものの、夜が明けてみれば我が家の玄関先でお休みとは全くいい迷惑である。母に伝えて対処を任し、研究室に顔を出すと彼女、いや彼がいた。

「それはパーティー用の仮装かい? 随分と気の早いことだね」

「僕の英語力もまだまだだな。何云っているかわからないよ」

 ご丁寧にも金髪のウィッグを被り、清楚なワンピースを着こなす変態の国代表選手と僕は、すっかりおなじみの雑談と昼食を経験しつくして、いざパーティーの時を迎える。

 僕が入った時には既に白衣の狂人でおなじみの先輩の酔いがだいぶ回っていたようで、我が物顔で歓迎の言葉を投げかける。

「やあよく来てくれたね。君たちが都合よく酔っぱらった美少女でとても嬉しいよ。ところで聞いてほしいのだけど、さるインドの密教経典にはこんなことが書いてある。えっと。まあ詳しくは面倒だから云わないけど、この世界は夢だ云々。そこで君たちには――」

 白衣をきたお姉さんが狂った瞳で踊りつつ僕たちに何かをしたのだけれど、残念その先は記憶が無い。

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