第139話 建築現場の人に差し入れを

「ちょっとせーか! もうちょっと見逃しなさいよ!」

 きょーへーがリュータに電話をかけ始めると、私はさっきのせーかの咳払いについて抗議していた。

 せっかくきょーへーといい雰囲気だったのに。あのまま邪魔が入らなければもしかしたら……。

「あら瑠美夏さん。わたくしはこれでも瑠美夏さんに配慮したつもりですよ」

「どこがよ!?」

 きょーへーと見つめあってから三秒も経ってなかったわよ!?

「いいではありませんか。瑠美夏さんは夜も恭平さんと二人きりになれるのですから」

 それはそうなんだけど、家ではそんな甘い雰囲気にならないからチャンスだったのに!

「くっ! この『聖女』容赦ないわ」

「『聖女』と呼ばれているからこそ、自分の気持ちにも正直にしているだけですよ」

 せーかが嘘をついたところは見たことがない。短い付き合いだけどそれは本当なんだろうな。だからってこんな場面でも正直にならないでいいじゃない。

「あ、そうです。加奈子さん」

 せーかは何かを思いついたのか、手をパンと鳴らし、瀬川さんの方を向いた。

「はい。お嬢様」

「せっかくですから、建築現場の方々に何か差し入れを持っていきませんか?」

「それはよいお考えですね。きっと彼らも喜びます」

 私ときょーへーの家の向かいにある広い土地に、せーかが瀬川さんと住む家を建てているんだけど、既に三分の一程度は出来ている感じだ。動ける人員を総動員させてるって責任者の人も言っていたから、本当に進捗が早い。このままいけば夏休みには出来るんじゃないかってくらい早い。

「そうと決まれば買うものを考えないといけませんね。何がいいでしょうか?」

「入浴剤などはいかがですか? このジメジメした気候で頑張ってくれているのですから、彼らにはお風呂でサッパリしてもらいたいですね」

「「え?」」

 入浴剤かぁ……。理由も悪くないと思うけど、それはどちらかと言えば女の人に喜ばれるものじゃない? 近くにいるコータもそんな顔してるし、大人の男の人だったら───

「いいですね! さすが加奈子さんです!」

「恐縮です」

 せーかが賛同しちゃった。いや、いいかもしれないんだけど、もっとこう───

「そうです! それと一緒にフルーツの詰め合わせでも買いましょう。高級なフルーツで舌鼓を───」

「はいストップー!」

 せーかが金にものを言わせて、これまた女性が喜びそうな物を買いそうな勢いだったので、つい突っ込んでしまった。これを本気で言ってるんだもんなぁ。アイデアとしては悪くないんだけど……。

「どうしました瑠美夏さん?」

「私たちの案に何か不都合がありましたでしょうか?」

 二人のこの反応……本当に素で言ってるんだもんなぁ。

「いや、二人の案は悪くないんだけど、どちらかと言えば女の人に喜ばれるものじゃない?」

「悪い二人とも。俺も小泉と同意見だ」

 やっぱりコータも同じことを考えていたのね。珍しく意見が合ったわ。

「では、お二人は何がいいのですか?」

「ビールでいいでしょ」

「だな」

 あ、そこも同じだったんだ。珍しいことが続くわね。

 私とコータは顔を合わせ、シンクロしたことに少しびっくりした表情をしたけど、すぐにお互いニヤリと笑った。

「ビール、ですか?」

「うん。大人の男の人はビールが好きってイメージがあるのよね。もちろん全員がそうじゃないってわかってる。偏見かもしれないけど、ああいう現場で働く人はほとんどがビール好きな人が多そうだし」

「それに仕事終わりのビールは格別に美味いってテレビでもたまに聞くし、うちの親父も言ってるしな。キンキンに冷えたビールで喉を潤す……汗水たらして働いてくれた人達にとったらこの上ない差し入れだと思うぜ?」

 あ、そんなシーンを漫画でも見たことがあるわ。地下労働施設で働いていた主人公が、仕事終わりにビールを飲んでいて、さっきコータも言っていた『キンキンに冷えて……』みたいなセリフが有名な漫画だったような気がするわ。

「決まりね。私たちはもちろん買えないけど、瀬川さんがいるから問題ないしね」

 この場に瀬川さんがいてよかったわ。じゃなかったら、ビールは候補に上がったとしてもどうにもならないものね。

「お嬢様。差し入れはビールでよろしいでしょうか?」

「そうですね。スーパーでいっぱいビールを買っていきましょう。加奈子さん。お願いできますか?」

「もちろんです。お任せ下さい」

「みんなお待たせ。清華と瀬川さんもスーパーに行くんですか?」

 現場の人たちの差し入れも決まったタイミングできょーへーが戻ってきた。夕食のお誘いにしては長かったわね。

 私はすぐにきょーへーの隣に移動する。

「おかえりきょーへー」

「ただいま瑠美夏。ちょっとトイレに行ってたら遅くなっちゃった」

 あ、トイレに行ってたのね。

「ええ。いつも頑張ってくださっている建築現場の方々にビールの差し入れをしようと話していたのです」

 そして私とほぼ同時に、せーかもきょーへーの隣に並んだ。考えることは同じね私たち。

「そうなんだ。きっと喜んでくれるよ」

「はい! 瑠美夏さん、君塚さん。ありがとうございます」

「いいわよお礼なんて」

「だな」

「では皆様、スーパーに向かいましょう」

 清華さんがいつの間にか車のドアを開けてくれていて、私たちがいつでも乗り込めるようにしていた。さすがとしか言えないわね。

「お願いします瀬川さん」

「お、お邪魔します」

「すんません瀬川さん」

 私たちはそれぞれそう言ってこの大きく黒い車に乗り込んだ。もちろんきょーへーが真ん中で、私とせーかがきょーへーの両隣だ。

 この車に乗ったのは二回目だけど、本当に内装も豪華ね……。初めてこの車に乗ったのは立山との一件の直後で、車の内装を見る余裕なんてなかったから……。

 きょーへーは何回か乗ったことがあるみたいで少し慣れてるようだけど、コータは落ち着いていない。

 私も少し緊張しながら、車はゆっくりとスーパーに向けて徐々にその速度を上げていった。

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