第七話 最北の森

 あの日の朝は、少しだけ気まずかった。ずっと背中に張り付いて寝ていたティナと共に起き、朝食をご馳走になる。

 あまり会話はしなかったが、美味しい朝食だった。ただその後はティナも仕事だという事で分かれた。

 そして僕も仕事をしないといけない。雑用係に休みはないのだ。しかし身に入らない。ずっとティナの言葉が脳裏を回っていた。


 ――『私を迎えに来てよ』


 ずっとティナの事を思い浮かべる。

 忘れていい言葉のはずだ。僕ではティナに勝てない。だから迎えにいけない。そのはずだ。


「はぁっ。はぁっ――」


 でも僕の心は忘れてくれない。気づけば騎士団に休暇届けを叩きつけていた。

 心のままに無意識で準備して、誰にも何も言う事なく僕は走る。帝都を出て、平野を走って、森を翔けた。自分でもここまでの体力がある事に驚くほど走った。


 僕はどこかに向かっていた。最低限の荷物と二つの刀だけを持ってどこかへ――。




 気づけば森にいた。深い深い森の中。大よそ人が住む場所ではない。獣達の世界。いや、それよりもさらに上。魔獣達の世界。

 うねった巨大な木々と、危険な植物。凶悪な魔獣が潜む帝国屈しの危険地帯。そこに僕はいた。


「また来ちゃった」


 何年かぶりの話しだ。確か最後に来たのは騎士団に入る前。ティナから逃げた時だ。


「ひさしぶりだね」


 刀を抜く。ここは油断ならない世界だと知っているから。


「また、僕に答えを頂戴」


 そうして、僕は上空から降ってきた魔獣を切った。答えを求めて。



 ◇



 昔、僕がティナに勝てなくなった時の事。

 何度戦っても、何をやっても勝てない。勝てるビジョンが見えない。初めてみた越えられない壁。そんなティナに絶望して、僕は逃げた。


 どうやったら勝てるか知りたくて、そしてティナから逃げたくて僕が辿りついたのがこの森。


 帝国最北端。人類未踏の地。危険地帯『死界大森林』。ただ走り続けた果てに見つけた世界が、僕には心地よかった。

 ここの生物は苛烈、しかし勝てない相手じゃない。ティナほど絶望的じゃない。だから好きだ。ここにいると無心になれる。だから好き。


「はあああっ」


 白龍が巨大な虎を斬った。黒狼が空から迫って来た怪鳥を斬る。斬って斬って、それでも魔獣はいなくならない。無限だ。無限に魔獣は存在する。


「……確かあの時。僕はどんな答えを出したっけ」


 ティナに勝つ方法を探していた僕は、この森で一つの答えをだした。


「いや。決まっている。覚えているよ」


 とてもつまらない結論だった。くだらなくて、大嫌いな答えだ。


「僕はティナに勝てない」


 そう理解して僕は森を出た。そして剣を捨て、ただの雑用に落ちた。

 この森は答えを教えてくれた。この無限の魔獣も、ティナは鼻歌交じりにやっつけるだろう。僕がボロボロになるほどの存在でも、ティナは汗一つ掻く事は無い。

 さまざまな魔獣をティナに見立てて戦ってみても、結局ティナの底知れなさを痛感するだけだった。


 斬って斬って、僕は斬り続けて。そして疲れた様に倒れる。


「はぁ……はぁ」


 魔獣は全て斬った。しかし息が上がって倒れこむ様じゃいけない。ティナは息なんて上がらないし、全て斬った後も笑顔を浮かべているだろう。


「僕……弱いな」


 ティナとの差が僕の弱さを突きつけてくる。森の中で、僕が斬った事で開けた場所に寝転がる。

 空は緑一色で、でもその隙間から射す太陽の光が少し眩しかった。


「僕はどうすればいいんだろうね。しろまる、くろまる」


 どうすれば良いか分からない。誰か教えてくださいっ。


「簡単な話だろっ!!」

「えっ!?」


 突然怒鳴り声が聞こえた。


「しろまる、くろまる?」

「そっちじゃねえよ愛弟子」

「……師匠?」


 木々を切り開いて、大柄な酒飲みおやじが顔を出す。


「ここ危険地帯ですよ。何してるんですか?」

「お前に言われたねえよ。エルテル」


 まあ確かにそうだけど。

 僕は起き上がって、師匠と相対する。いつも通りの師匠は、笑顔を浮かべて僕を見ていた。


「それで何をしに?」

「師匠だからな。弟子を導きにだよ」

「導き?」

「本当は自分の中で結論なんて出てるだろう。でもうじうじ悩んでるんだろうエルテル」

「っそれは」


 師匠に指摘されて、僕は心が痛くなった。その通りだって僕は思ったのだろう。


「お前の中で出てる結論を教えてやろう。お前は、ティナリアという女が好きだ。そしてそれを手に入れたいと思っている」

「……そんなわけはっ」

「お前は、ティナリアが好きなのだろう。師匠は何でもお見通しだ」


 嫌いだっ! そう叫ぶつもりで、でも声なんて出なかった。

 喉の奥で引っ掛かって出てこない。僕の心がその言葉だけは叫びたくなかった。

 そんな僕の様子を見て師匠はやっぱり笑った。


「本心を聞きたい。エルテル、お前のな」

「僕は……」


 師匠の言う通りだ。答えは出ている。ただ僕がいろいろ言い訳を考えて言葉にしないだけだ。言葉にして自覚してはいけないと、僕はそう分かってる。でも人は合理では生きられない。


「もしティナを何とも思ってなかったら。僕は剣を捨てる道なんて選ばなかったでしょう」

「なるほど」

「好きだから、幻滅されたくないから。弱い僕を見せたくないから……剣を捨てて逃げたんです。ティナの事は、剣と同じぐらい。それ以上に好きなんですっ!!」


 僕は剣が好きだ。僕はたかだか勝てないぐらいで剣を捨てるわけがない。好きなんだから。でも同じぐらいティナが好きだったから、僕は逃げたんだ。ずっと、ずっと昔から僕はティナが好きだった。ただ弱い自分が情けなくて目を逸らしていただけだ。


「よし自覚したな。じゃあ後は簡単だ。ティナリアを倒して、結婚しろ」

「……簡単に言いますね」

「ティナリアはずっとお前を待ってる。ずっとな。男なら、駆けつけるのがカッコいいってもんよ」


 ティナが求めているなんて、知っている。求めてくれたから。

 だが勝てない。ティナには勝てない。


「エルテル勘違いするな。現状を正しく認識しろ。その上で言ってやる。お前はティナリアに勝てる唯一だ」

「……なんで、師匠達はそう言うんですか。僕はティナに勝てなかったんです」

「昔の話だろ。それにこの惨状を作っておいて弱いですとか馬鹿にしてるのか?」


 師匠が指差したのは積み上げられた魔獣の死体。汚い雑な切り口で切り裂かれた魔獣。ティナであればもっと綺麗に切っている。


「この数の魔獣を倒せるなんて、帝国で片手で数えられる。ティナリア、俺、お前だ。お前は十分強い」

「十分じゃ意味がない。ティナより強くないとっ」

「いいや。お前はすでに互格だよ。子供時代に抱えていたハンデはすでに消えた。もう互格なんだよエルテル」

「ハンデ……?」

「お前は世にも珍しい二刀流。熟練の剣使ですら難しい二刀流だ。それを操るのは並み大抵じゃない。それをお前は子供ながらに操っていた。……が、いくら才能があろうと子供には難しすぎる物だ。第一に筋力。二刀を完全に操る筋力がなかった。だから子供時代のお前は、剣に操られていた。でも今なら分かるんじゃないか?」

「…………」


 師匠の言葉通りだった。指摘されて、今気付いた。あまりに久しぶりに握ったから違いに気付くのに遅れたが、子供時代より白龍と黒狼が振りやすい。


「今のお前は剣を操っている。二振りの剣を自由自在に操る筋力を手に入れた。そして単純に大人になったから子供時代には出来なかった事がいろいろ出来るはずだ」

「……僕って本当に強いんですか?」

「お前が弱かったら全員弱いわ!」

「みんなティナより弱いんですよ」

「お前以外はな」


 こうやってみんな買いかぶるんだ。僕が強いなんて。


 ……でも少しだけ信じても良いかもしれない。僕の大好きな人と、一番尊敬する人が言う言葉なら。僕はほんのちょっとだけ強いってね。

 僕でも、ほんの少しティナに届きうるって。僕は信じてみたい。信じて、それを現実にしたい。そしてティナを迎えに行きたい。


「僕でもティナを迎えに行っても良いですか?」

「お前以外の誰が迎えに行ける。あいつと結婚できる男なんてお前以外にいるわけがない」

「……そうですか。まあ、ティナは誰にも渡すつもりはないって、思えました」

「おう。だれにも渡すなよ」


 僕の中にあった迷いは師匠が晴らしてくれた。まだティナに勝てるかなんてわからないし、勝てる気なんてしないけど。やっぱ僕はティナが好き。ずっと好き。昔から。好きだから、僕は剣を捨てた。


「師匠って、何で師匠みたいな事するんですか?」

「……そりゃあ。師匠だからに決まってんだろ」


 やっぱ師匠は。英雄バウザーは僕の一番尊敬する人だ。

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