第六話 二人きりの夜

 帝城。帝国の権威を現す、非常に広大な城。

 そこは帝王の住まう場所であり、僕の様な貧乏貴族では入れない。とても警戒厳重で、ネズミ一匹通さない鉄壁の城なのだ。


「ここが私の部屋だよ」


 なのに、僕は帝城に入っていた。

 帝城の一室。ティナの部屋。酔ったティナを連れて僕はここにいた。


「……本当に僕はここに来ていいのかな?」

「んー。問題なし」

「問題ある気がする」


 だがティナが人睨みすれば門番は縮みあがって僕を通してくれた。それで良いのかと思うが、ティナが連れてきたなら大丈夫だとでも思っているのだろう。それはティナの信頼だ。


「まあゆっくり休んで酔いを覚ましなよ」

「ん!」

「じゃあ僕は帰るよ」

「それはダメ!!」


 じゃあ帰ろうとすれば、ぴょんっとティナが背中に飛び付いてきた。


「やだー。ここで暮らすー」

「そ、そんな事無理に決まってるだろう。ティナは早く寝なさい」

「寝る。エルと一緒に」

「っ昔とは違うんだ。僕達はもう大人。弁えなさい」

「酔ってるから弁えない」

「さっきと言ってる事違くない?」


 都合によって酔ったり酔わなかったりするらしい。

 ちょっと不思議に思って観察すれば、少しとろんとしているがティナの瞳には確かに理性の瞳がある。


「ティナ……もしかして酔いから覚めてる?」

「ぎくっ」

「分かりやす!」


 お手本の様な図星。目を泳がせて、あわあわとしだすティナ。

 いったいいつから覚めていたかは分からないが、その反応は完全に素面だった。


「はぁ。まあそれなら大丈夫だね。僕は行くから放してくれる?」

「やっ」


 背中に顔を埋めて、ティナは小さな声で拒否した。

 だが弱々しい声。拘束も僅かに緩み、僕ならば抜け出せるだろう。


「……エルぅ。もうちょっとぐらい。一緒にいてよ」


 でもティナの声に、僕は動けなかった。

 僕を求める様に甘い声で、ティナは言った。その声に僕は足を止めた。


「寂しかったの。何年も会えなくて」

「うん。僕が避けていたからね」

「ん……」


 同じ騎士団に所属しながら、会えなかったのは一重に僕が避けていたから。

 僕だって苦しかった。それぐらい、ティナも苦しかったのかもしれない。だから苦しみは分かる。


「……もうちょっとだけ。だよ」

「……ありがと」


 僕は折れた。もうちょっとだけティナといようと、部屋の中に引き返す。

 ティナと並んでソファに座り、薄暗い部屋で肩が触れ合うほど密着していた。


「エル……」

「何?」

「んー。何でもない」


 そう言って、こてんと僕の肩に頭を乗せるティナ。

 甘い酒精と、ティナの香りが鼻孔をくすぐった。暗くて、静かな部屋だからそれがより顕著に感じられる。心が乱れた。


「……静かな部屋だね」

「一人暮らしだし。……あんまり帰らないから」

「そうなんだ」

「うん。いつもミーティちゃんの部屋で寝泊まりしてるから」

「ミーティちゃん?」

「ミーティア姫」

「……なるほど」


 姫殿下の事をちゃん付けとは。やはりティナは恐ろしい。

 護衛の騎士とお姫様。とはいえティナは公爵令嬢であり、身分的には意外と釣り合っている。よく考えればおかしくはないだろう。


「仕事。頑張ってるんだ」

「うん。今は楽しいよ。でもあの頃が一番楽しかったかな」

「そっか」

「うん」


 僕もだ。あの頃が一番楽しかった。ティナと剣を交え、一緒に師匠にしごかれて。他の兄弟弟子に嫉妬されて。キラキラ輝いていた子供時代。僕が逃げて全てが終わったあの頃の話し。


「…………」


 ティナと僕は黙った。沈黙が訪れた。静かな夜は、その沈黙を掻き立てる。

 衣擦れの音すらよく聞こえて、ティナの吐息が耳に届く。鼓動の音すらよく聞こえる気がした。


「……眠い」


 沈黙を破る様にティナは呟き、僕の膝に頭を乗せる。そして僕は当たり前の様にその髪を撫でた。


「ベッドで寝たら?」

「そーする。エルも一緒に寝る?」

「僕は帰るよ」

「だめ」

「そっか」


 なら泊るしかない。するとそれはティナと一緒に寝ると言う事。だがそれはいけない事だ。


「ティナとは寝ないよ」

「……そっか。じゃあ客用のベッドあるからそこで寝て」

「そうする」


 全てが決まれば、ティナはよっと起き上がる。

 そして僕を寝室まで案内した。


 いくつも部屋があり、広いティナの家。

 そこの一室は客間らしく僕はそこに案内される。ガランとして、ベッドと最低限の家具しかない部屋。誰も泊りに来た形跡はない。


「ここ、使って」

「了解」

「廊下を曲がって突き当ったら洗面所とかトイレもあるから」

「うん。ありがと。ティナ、お休み」

「……お休み」


 ティナは少し名残惜しそうにして、部屋を出ていく。

 僕は静かな部屋に一人になった。ただ疲れを吐き出す様にベッドに倒れる。


「……ティナ」


 僕は呟いた。

 でも誰も返事をしてくれない。だから僕は起き上がる。


「寝よ」


 ぱっぱと寝る準備を整えて、ベッドにもぐりこんだ。

 新品で、新しい匂いのする毛布。いつも僕がつかっているより上等なベッドは、寝慣れないからかなかなか睡魔がやってこない。

 するといろんな事が脳裏をよぎった。でもその大半はティナの事。


 目をつぶって、寝ようとしていればふと足音と気配がした。

 それは僕の部屋の前に立ち止まり、ギイっと音を立てて扉を開く。


「……どうしたのティナ?」


 当たり前だがティナの気配だ。

 目を開ければ、さっきお休みといったばかりのティナがいる。寝巻を着て、長い髪は綺麗に櫛どかれていた


「ん。私のベッド工事中だったから」

「そっか。……あんま意味分かんない」


 ベッドが工事中とはどういう事だろう。


「だから、ベッドここしかないから。……一緒に寝よ」

「……もう子供じゃないんだ。あの頃は良くても。僕も変わった。大人の男になったんだ。とても危険だ」

「うん」


 そう脅しても、ティナは離れるどころか近づいてくる。そしてベッドの縁に腰かけた。


「エルなら良いよ」

「……冗談は言うな」

「良いよ」


 ティナは引かなかった。そして僕のベッドに潜り込んでくる。

 一緒の毛布を被って、とても近くで見つめ合った。甘い息遣いが心を浸食する。ティナは綺麗だった。


「冗談じゃすまないよ」

「うん……」


 己の獣欲にしたがう様にティナの腕を掴んだ。抵抗できるはず。ティナであればここからでも僕に勝てる。

 でも抵抗の欠片もない。逆に近づいてきて、そっと体を密着させた。


「…………」

「…………」

「冗談だよ……」


 僕は腕を放してティナの反対を向く。

 性欲はねじ伏せた。いや。それ以上にティナにこんな事をしたくなかった。


「私の事……嫌い?」

「なわけないだろ。……ティナが好きだから、嫌なんだ」

「っ……ごめんね」


 好き。そう、好きだから性欲に流されたくない。体の関係なんてまっぴらごめんだ。


「私はさ、恋愛結婚できない」

「しってる」


 ティナは公爵令嬢。そんなの分かりきった事だ。


「お父様は私を王族か、他の有力貴族に嫁がせたいみたい」

「だろうね」

「でもそんなの嫌。だから条件をつけたの」

「どんな?」

「私は、私より強い人としか結婚しない。私を打ち倒すほど強い人としか」

「結婚しないつもり?」


 誰もティナには勝てない。もはや師匠すら勝てないだろう。この世界に勝てる者などいない。

 というかよく許可が出たものだ。家族であればティナの強さなんて分かるだろうに。


「お父様は手段を択ばなければ勝てると思ってるみたい」

「……そんなわけないだろう」

「うん。何があっても負けない。どんな卑怯な手を使われても」


 卑怯な手を使った程度で勝てるならば僕だって勝てる。勝てないから、ティナは最強なんだ。


「でもね。一人だけいるよ。私を正面から打ち倒す人が」

「そんな人いるわけないよ」

「ううん。いる。私はその人に打ち倒してほしい。でもその人は自分が弱いって勘違いしてるの」

「それは……」


 言葉はでなかった。その人が誰をさしているかすぐ分かったから。いや、誰でも分かるか。僕は鈍感じゃない。だから、言葉がでないのだ。


「――私を迎えに来てよ」


 ティナに返す言葉を、僕は持てなかった。

 僕にできるのは唇を噛んで耐えるだけ。でもティナはそんな僕に何も言わない。ただ僕の背中に抱きついて、首筋にそっと顔を埋めるだけ。

 僕はそれに何も言う事はない。背中に当たっている感触すらも心は乱れなかった。それ以上に心が乱れていたからだろう。


「ティナ。……やっぱり酔ってる?」

「……そうかもね」


 だったらしかたのない事だ。今までの言葉も態度も。酔っているからでた妄言で盲動。そうしかたがない。

 ……でも僕は寝れなかった。昼にいっぱい寝たからか。多分そう。僕はそう考えて目をつぶった。


 今はどうすれば良いか、分からないから。

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