第五話 酒場

 僕達は二人とも十八歳。帝国の法律ではお酒が飲める年だ。ティナがお酒を飲もう何て少しびっくりしたが、ぐいぐいと腕を引かれては断る事もできずに僕達は酒場まで来た。

 工業区には酒場が多い。職人たちが飲むためだろう。酒場なんて初めてきたので、ちょっとキョロキョロしてしまう。


「へー。ここが酒場なんだね。初めて来たよ」

「ティナも来た事ないんだ」


 二人とも初めての場所。普通は酒場なんて目を輝かせる所じゃないと思うが、二人して目を輝かせた。

 仕事帰りの職人たちのいる酒場。そこの二人席に座り、メニューを見る。たくさん酒があるが何が良いのかわからない。


「……ティナは酒とか飲むの?」

「んー。あんま飲まないよ」

「じゃあ何で酒なんて?」

「覚えてない? 昔、師匠のお酒盗んだ時の事」

「ああ……」


 昔。ティナとの修業時代。一緒に師匠のお酒を盗んで隠れて飲んだ時の事。昔は悪ガキだったのだ。師匠の修行がきつくて、ついつい悪戯をしたくなった。


「あの時は二人して吐き出して……大人になったら今度こそ飲もうって。言ったからさ。ちょっと覚えてたんだ」

「ごめん。僕は欠片も覚えていなかった」

「いいよ。ちょっとした事だし、思い出してくれたから」

「そっか。じゃあ何飲もっか?」

「もちろん。取りあえずビール二つ!」


 ティナが注文すれば、返事と共にすぐさまジョッキが二つやってくる。凄いスピードだ。

 泡が立ったビール。僕自身もあまりお酒は嗜まないため、美味しいのか見当もつかない。


「じゃあ、乾杯」

「乾杯」


 ぐっとジョッキを呷る。とはいえ一気に飲み干すなんて事はせず、二口くらい飲んでテーブルに置いた。


「けっこう美味しい」

「うんうん。イケるね」


 下町の酒場にしては良い酒を出すのだろう。まあ僕達はあんまお酒の良しあしは分からないけど。


「後は料理も頼もうよ。師匠がお酒にはヘロヘロ蛇の揚げ焼きだって言ってた」

「そうだね。あとは何品か」


 師匠の大好物。ヘロヘロ蛇の揚げ焼きはちょっとした憧れだ。それといくつか適当に頼めば、一気にテーブルは豪華になる。師匠の好きなテーブルだ。


「ん。美味しい。お酒に会うね」

「酒場何て初めて来たけど、以外といいもんかも」


 少し辺りを見渡す。賑やかな酒場はなかなか心地の良い空間だった。師匠が好きなのも頷ける。


「ぷはっ。んー。美味しい。ひさしぶりにこういう所で食べるな」

「……やっぱ大丈夫かな」

「何が?」

「何でもない」


 まあ公爵令嬢様に酒場で飯を食わせて安い酒も飲ませている事だ。今更だと言ったが、やっぱり不安にもなる。

 打ち首かもしれない。その可能性は非常に高い。


「……まあ。美味しいけどね」


 美味しいとはいえティナを連れてくるような場所ではないだろう。

 僕も摘みの焼き麺を食べ、美味しいと頷いた。


「というかティナそんなに飲み食いして大丈夫?」

「んー。大丈夫!」


 不安だ。ジョッキを三杯空にしたティナ。僕は酒に呑まれない様セーブしているがティナにはそういう気配がない。頬を酔いで赤く染め、瞳もちょっととろんとしている。


「ん~。何だエル。あんま飲んでないよ。私がお酌してあげるね」


 大丈夫かとティナを見ていれば、突然そんな事を言ってくる。そして止める間もなく椅子を移動させて僕の隣まで持ってくると座り、僕のジョッキにお酒を注いできた。


「あ、ありがと。……本当に大丈夫?」

「ん、何が?」


 普段よりふにゃふにゃした声で聴き返してくる。僕の肩に寄りかかって、蕩けた様な瞳でじっと見つめてきた。


「あの。近くない?」

「ないよ~」


 ある。めっちゃ近い。

 僕の肩にスリスリしてへにゃーと柔らかい笑顔を浮かべる。酔っていた。ティナは完全に酔っていた。


「やっぱりお酒弱いんじゃな」

「弱くない~! 強いの!」

「嘘つけ!」


 ティナは絡み酒の様だ。どことなく弱いんだろうなと思っていたが、やっぱり弱かった。

 昔から師匠の酒の匂いを嗅いだだけでちょっとふらふらしていたティナだ。飲めばこうなるなんて当たり前か。


「くっ。ほっぺすりすりするな」


 僕の頬にティナはスリスリしてくる。柔らかでもちもちな不思議な感覚。癖になってしまう。


「や~」

「やじゃない」

「んー。ほら私って可愛いじゃん」

「……そうだけど」

「ふふん。だから嬉しいでしょ」

「……くっ。否定できない」


 だって嬉しいから。ここはばっと否定すればかっこいいかもしれない。でも僕は男なんだ。これでもっ。

 だから、僕は拒絶できない。するべきなのに。ティナの体が密着してきて、とてもドキドキする。僕の中では天使と悪魔がせめぎ合っていた。悪魔頑張れっ。


「はぁ。うん。まあいいや」


 僕はかっこよくなかった。悪魔が勝ってしまった。

 お酒が入っているからちょっと判断が狂ったかもしれない。だがっ。本望です。


「よしよしして」

「……よしよし」

「ほっぺなでなでっ!」

「なでなで」


 無心だ。僕は今悟りを開くのだ。

 サラサラしてて、撫でてる方が気持ちい銀髪の感覚も、もちもちして一生なでなでしてたい頬の感覚も。僕は無心に……やっぱ無理。


「僕が僕である内に離れてくれるティナ?」

「や~」

「そっか」

「さみしかったの」

「……そっか」

「何も言わずに消えちゃって。さみしかった!」

「ごめんね」


 燃え上がっていた心は、ティナの言葉で落ちついた。


「エルは私に剣の楽しさを教えてくれたヒーローなの! だから、急に消えて泣いちゃった」

「ごめん。……僕は負け続けて、どうすれば良いか分かんなくなったんだ」

「ん。……私もごめんね。負けてあげたら良かったのかな……」

「それは僕への侮辱だよ」

「うぅ。ごめんね」


 結局あるべくしてあった結果なんだ。あの時の僕はティナを倒すビジョンがまるでなかった。越えられない壁の様だった。ティナに勝つとは、人が空を飛ぶぐらい荒唐無稽な話し。

 それほどに、ティナは強い。メープリア公爵家の最高傑作。英雄も負けを認め、誰も勝てない人外の騎士。それがティナリア・メープリア。


「でも……僕も剣が好きなだけだったらティナの前から消える事はなかったんだろうね」

「……?」

「何でもない」


 言わなくても言い事を言った。

 僕は簡単に誤魔化す。酔っているティナは何もつっこむ事はなく、それで納得した。


「はぁ。……ティナ。そろそろ帰ろっか」

「んー。うん」


 僕の腕に抱きついたまま離れる気配のないティナ。僕は残っている料理を左手だけで片付けて、立ち上がる。

 それと同時にティナは僕の背中に移動すると、首筋に顔を埋めてくる。


「じゃあ帰るから放してくれる?」

「や~」

「そっか」


 ティナの馬鹿力はひきはがせる気がしないので、拒否されてはしかたがない。背にティナをひっ付けたまま会計を済ませて外にでる。周囲の視線は気にしなかった。

 外に出ればすっかり夜。街の明かりだけが頼りの世界。


「ティナ?」

「ん~」

「まだ酔いは覚めない?」

「酔ってないよ~」

「まだ覚めないみたいだね」


 ならば家まで送っていくしかないだろう。


「ティナの家はどこにあるの?」

「……帝城の一室」

「そんな所に住んでるんだ」

「私は偉いのです」

「それは凄いね」


 おそらくはティナが近衛騎士だからだろう。

 王族の守護を務める近衛騎士だから、王城に住んでいる。ティナも公爵令嬢だし住む分には問題ない身分だ。


「帝城か。僕は入れるかな」


 騎士団の雑用が掛かり程度では入れない場所だ。だが王城まで送れば後は何とかしてくれるだろう。


「さっ、帰るよ」

「や~」

「わがまま言わない」


 背中のティナをズルズル引きずりながら、僕達は帝城を目指した。

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