第三話 白龍 黒狼

 気づけば訓練場ではなかった。考えても、ずっと剣を振り続けていた事しか思いだせずここかどこかは分からない。

 眠りと覚醒の境目で、僕は彷徨っていた。が、そろそろ起きないといけない。光が射してきたからもう朝だろう。


「ん……ここは」


 白い部屋だった。僕はベッドに寝ていたが、自室のベッドじゃない。もっと豪華だ。


「気づいたか馬鹿」

「……誰ですか?」


 上半身を起こした僕に近づいて来たのは、小太りの男だった。

 戦闘員には見えず、白衣を身にまとっている。


「医者だよ。でお前は訓練場で倒れていた馬鹿。担ぎ込まれたお前が、ずっとベッドを占領していて邪魔だった。OK?」

「なるほど……僕って邪魔でした?」

「ああ。患者が一人いれば休めねえ。今日は患者は一人もいねえし、パーっと豪遊だと思ってたら朝っぱらから担ぎ込まれて、俺の一日を台無しにしたのがお前。OK?」

「はあ。それはすいません」


 なんとも適当な医者だ。とはいえ騎士団所属の医者なんてだいたいこんなもの。しっかり寝かせてくれただけ良心的な人だ。

 大した怪我でもないなら馬小屋に放り込む奴もいる。


「見習いが練習しすぎて倒れるなんてまあある事だが、俺のためにもう無理はするなよ。OK?」

「はい。すいません」


 一晩中剣を振り続けて倒れてしまった。何とも馬鹿な事だけど、しかたがない。楽しかったんだ。

 自分の体を確認するが目立った外傷はない。当たり前か。

 ただ疲労は今だある。体の重さは癒されていなかった。


「まあ俺の一日はもうつぶれた。だから今日一日は寝ていて良い。無理はするな」

「ありがとうございます」

「ふんっ」


 鼻を鳴らして、医者は病室を出て行った。

 医者がいなくなれば、十ほどのベッドが無造作に並べられた病室は非常に静かだ。遠くから騎士団の練習が聞こえてくる。僕だけがこの広い病室にいて、少々退屈。


「ん……」


 だが眠気は抜けていない。退屈も、眠りの世界に消える様に。僕は目をつぶった。


「おーし。師匠が来たぞー」


 すぐ目を開けた。


「……師匠?」

「お師匠さまだ。英雄バウザーだ。よう愛弟子」

「邪魔だから出てってください」

「はっはっは。お師匠様にこの物言い。大物になる予感がするぜ」


 静かな病室は、騒がしいお師匠様の登場ですぐに賑やかになる。たった一人居るだけで宴会を盛り上げる人だ。病室すらサーカスにする。

 ただ僕にとってはありがたくない。今はあんまり会いたくない人だ。


「剣振ってって倒れたんだってエルテル」

「……笑いに来たんですか?」


 良い笑い物だ。もう剣は捨てたと言いながら、まだ剣が好きだった僕は。

 さんざん言って、剣は折れていなかった。ずっと眠っていたんだ。


 今は会いたくない。笑われたくないから。


「笑わねえよ馬鹿」


 でも師匠は、笑わなかった。


「信じてたぜエルテル。お前は折れてないって」

「……ただちょっと剣を振っただけです」

「いいや。もうお前は帰ってきた。ティナリアの前は確実にお前の時代だった。あの頃のお前が帰ってきたと俺は思う」

「もう何年もブランクがあります。あの頃より弱いですよ」

「謙遜するな。お前は間違いなく、ティナリアに勝てる唯一だ」


 師匠はそう言って期待する。僕は敗者だというのに。

 一方でその言葉に少しわくわくする自分もいるのだ。嫌になるね。


「で、お見舞いにでも来たんですか師匠?」

「ああ。お見舞いもだが、これを届けにな」


 師匠は背中に背負っていた荷物を置き、解き始める。師匠らしい乱雑な荷物の中には、とても懐かし物が入っていた。

 それは二振りの剣。刀と呼ばれる非常に珍しい剣を、師匠は取り出す。


「名刀『白龍』『黒狼』。お前の相棒だ」

「どうしたんですか今更」

「必要になるだろう。それにずっと倉庫にあって邪魔だった。こいつらご主人様の元へ行きたがってたからな」

「……そうですか」


 剣がそんな事言うはずない。そうは言わなかった。

 師匠の言うとおりこの剣は僕の相棒。手に持てば分かる。体の一部の様にしっくりきた。剣が喜んでいるのを感じた。


「ありがとうございます」

「おう!」


 師匠は本当にそれだけだった。僕が大した事ないと知ると、笑いながら病室を出ていく。最後まで騒がしい人だ。

 残された僕は、二振りの刀を手に取る。


「しろまる。くろまる」


 正式名は『白龍』と『黒狼』だが、ティナにしろまる、くろまると名付けられたのは今でも思い出せる。

 可愛いじゃんとのたまうティナの名前を、今も使い続けているのは義理みたいなものかもしれない。この刀もティナが見つけたものだから。


「よう。騒がしい人だったな」

「お医者さん。……そういう人ですよ」

「英雄バウザー。初めて見たが評判通りの人だ」


 騒がしさからか、どこかに行っていた医者が病室に入ってくる。


「お前、見習いのくせに英雄の弟子だったのか」

「見習いじゃなくて雑用です。……これでも昔は少し強かったんですよ」

「昔……? お前まさか」

「昔の話しです」


 医者は、僕の事に検討がついたのかもしれない。だが言わなかった。

 しばらく沈黙が続くが、医者が切り出す。


「ま、しばらく寝てろ。そして速やかに出て行きな」

「そのつもりです」


 医者はそう言ってさっさと病室を出ていく。そしてまた一人になった。

 静かな部屋になった事を確認してベッドに倒れる。横向きになり、縁に立てかけた二本の刀を見つめた。


「…………」


 刀は答えない。


「しろまるもくろまるも。……僕に期待しているの?」


 刀は答えない……はずだった。刀が答えた様な気が、僕にはした。

 声を出したわけでも、身振りでぶりで現したわけじゃない。心が、僕に語りかけた。


「あはは……仕事どうしよ」


 答えを出すのはまだ早い。そう思って思考を切り替える。同僚に押し付ける事になる仕事を思って、やっぱり笑った。



 ◇



「もう治ったろ。これから飲みに行くからさっさと帰れ」


 さきほどまで優しく寝かせてくれた医者は、まだ日も出ている時間からそんな事を言うと僕を外に放り出し、締め出した。


「……まあもう治ったか」


 寝すぎて気持ち悪いぐらいだから、別に問題はない。

 締め切られた扉の奥から聞こえる医者の鼻歌。それをボーっと聞いて僕は立ち上がる。


「みんなに謝らなきゃ」


 何をしようか考えるが、一番は同僚への謝罪だろう。無断で休んで、仕事を全て押し付ける事になってしまった。まあ適当にやっても回るぐらいなのでそこまで切羽詰まった話じゃないが。

 一緒に放り投げられた刀を腰に差し、いったん自室に帰ろうとする。


「ふぁっ」


 ふと耳を澄ませば、まだ騎士達の演習の音が聞こえてくる。こんな時間から飲みに行くなど大分ダメな医者なのだろう。

 そんな事を思っていれば、何かが聞こえたきがした。


「エエエエエエエっ」


 声だ。声が聞こえた。そして地を踏みしめる足音。それは背後から。


「ルっっっ!!」

「うごっ」


 そしてその直後に背中に何かがぶち当たり、僕は地べたに倒れた。

 いったい何が飛んできたのか。そんなの声を聞けばわかる。


「ティ、ナ……」

「エルぅ。大丈夫? 倒れたって師匠に聞いて私は胸も張り裂けるほど心配したよ」

「大丈夫だったけど……ティナにのしかかられてダメになったかも」


 僕の背中に馬乗りになって心配されても困る。


「えー。私って重いかな? 太ってる? でも筋肉だから太ってなくてね」

「太ってない。太ってないからどいて」

「そう太ってないの。これでも羨ましがられるんだよ。あと重くても筋肉だから」

「太ってるとか重いとかじゃなくて……。単純に気まずい」

「あ、ごめん」


 いつまでも子どもの様だが、ティナだって美しく成長した女性なのだ。僕個人として、ティナに馬乗りにされては昔の様な気持ちでいられない。

 僕だって、ティナだって大人になっていってるのだ。


「ん……。で、大丈夫なのエル? 私がいろいろ言ったから倒れちゃった? だったらごめん」

「関係ない。……とは言い切れない。でも大丈夫だよ。ちょっと久しぶりに頑張っただけだから」

「そう? 無理しないでね。疲れたら私がよしよししてあげるし」

「それは恥ずかしい」


 いつまでも昔の感覚でいてもらってはこまる。……昔は負けるたびに膝枕されてよしよしされた。僕も男であるから屈辱的で、そのたびに絶対に勝つと奮い立ったものだ。

 でも今はそんな気持ちになるのは難しい。


「んー。まあ大丈夫なら良かった。それに……しろまるとくろまる。返してもらったんだね」

「押し付けられたんだ」


 ほっと一安心すれば、目敏く腰にさした刀を見つける。


「二刀ともエルが持ってるから栄えるね」

「まあ。そうだね」


 それだけは同意できる。自分で言うのもなんだが、とてもしっくりくるし一番僕が似合うと思う。


「そっかー。エルもやっと剣を持ったんだね」

「……戦わないからな」

「うん。それでOK! エルが剣を持っただけで嬉しいから」


 僕の腰に帯刀しているだけでティナはニコニコと笑顔を浮かべた。ただそれがとても申し訳ない。

 剣を持って、まだ剣が好きだと再確認したところで、戦いはしないのだ。もう戦いはコリゴリだから。


「ところでさ。エル」

「なに?」

「今暇?」

「暇だけど……」


 まさか模擬戦でも誘うのかと思ったが、違う。


「じゃあさ、昔みたいにまたデートしよ」


 僕の予想とは、百八十度ぐらい違う言葉だった。

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