第二話 ティナリア

 英雄バウザーは老いを理由に一線から退いた。その後に始めたのが、『バウザー道場』だ。

 己が今まで培ってきた技術を若い世代に継承し、次世代の英雄を育成する事を目的とした機関。まあ師匠はそんな高等な理由で始めたわけじゃないだろうが、世間一般的にはそうだ。


 月謝もほぼほぼ掛からず、強ければ良いという場所であったために貧乏男爵家の次男である僕にも入る事ができた。

 そこで切磋琢磨し、僕は強くなったと思う。何せそこで一番だったのだ。とても強かった時期が僕にもあった。

 しかし僕が少々テングになっていた事は否めない。負け知らずで、同年代じゃ一番強かったのだからしかたがない。


 ――でもそんな時、彼女と出会った。


「注目! 今日から新しい仲間がくるぞ。ティナリアだ」


 とある日、師匠から紹介された少女はとても可愛らしい子だった。

 白銀の髪をゆらし、元気いっぱいにほほ笑む少女。男ばかりの世界で、珍しく咲いた一輪の花。みんな色めき立っていた。


「あの騎士の名家、メープリア公爵家の子だ。とっても強いぞ。同年代じゃ負け知らずだから、俺の所に来たんだ。俺の道場は凄いからな」

「ティナリアです! よろしくお願いします」


 公爵家の者でありながら礼儀正しく、平民も混じっている僕たちにペコリとお辞儀をする。

 そんなティナリアに惚れてしまった者は両手の数じゃきかないだろう。


「よーし。紹介も終わった事だし、最初は模擬戦だ!」

「「「はいっ!!!」」」


 みんな元気いっぱいだった。ティナリアにかっこいい所を見せたいのだろう。

 ティナリアと模擬戦するのは誰だろうとみんな目をギラギラさせていた。


「んー。よし、エルテル。ティナリアの相手してやれ」

「はい。師匠」


 そして選ばれたのは僕だった。

 みんなから殺気のこもった目線が飛んできたのを今でも覚えている。


 視線に晒されながらも、その時僕はどうやって手加減しようか考えていた。女の子を泣かすわけにもいかないし、簡単に勝ってもあれだ。良い感じに花を持たせながら勝とう。そう決めたのだ。


「よろしくね。えっとエルテル」

「こちらこそ。ティナリアさん」

「ティナリアでいいよ」

「じゃあティナリア」


 最初の挨拶をして、竹刀を構える。


「二刀流? 初めて見た」

「僕も、僕以外にやってる人は知らない」


 竹刀二本の二刀流は僕以外見た事がない。というか僕が馬鹿な事をしているだけなのだ。


「よーし。じゃあ始めっ!!」


 師匠の合図と共に、剣が打ち合った――。


 僕は……この時の事をあまり覚えていない。あまりに早く決着がついたからか、心が封印しているのか。それは定かではない。

 ただ僕はこの時、積み上げてきたプライドと、名声と、誇りと、鼻先を全て叩き折られたんだ。


 僕はこの時、初めて敗北した。



 ◇



 ティナリア・メープリア。

 名家と名高いメープリア家の次女。優秀な騎士を幾人も輩出し、帝国の剣と謳われた名家。

 そんな名家において、ティナリアは一番の最高傑作だ。現在、齢十八で誰も勝てない最強の騎士『天騎士』になった次元の違う天才。そんなティナリアが僕のベッドで寝ていた。


 きょとんと、僕は見つめる。ティナリアは寝ぼけ眼で、ニコニコと僕を見ている。


「っ!! というか何て恰好でいるんだティナリア!」

「ん~?」


 ティナリアは、ほぼ下着姿だった。近くには騎士団の制服が散乱していて、僕の部屋で脱いだのだろう。


「仕事帰りでさ、疲れていたから寝てしまったよ。制服は寝苦しいから脱いだ」

「な、なんで僕の部屋にっ」

「それはね、エルが私を避けるからだよ。ついに最終手段に出ちゃったじゃないか」

「……今更。……会う理由はない」

「んー? 兄弟子に会うのに理由がいるの?」

「そりゃ……いらないけど」


 兄弟子に会うのに理由はいらないが、僕は会いたくなかった。


「今更君とどんな顔して会えばいいんだ。剣を捨てた僕はさ」

「どんな顔でも良いの! 私は会いたかったよエル!」

「うぐ。近寄るな」


 抱きついてこようとしたティナリアの肩を掴んで、強引に引き離す。


「えっ……。エルは私の事嫌いなの?」

「っ嫌いなわけじゃない! 自分の格好をよーく思い返せティナリア」

「……ああ。ふ~ん。照れちゃったんだね。可愛いなあ」

「くうっ。腹が立つ笑顔だ」


 によによと人を怒らせる様な笑みを浮かべるティナリア。

 自分の容姿に絶対の自信を持っている彼女だ。僕を照れさせて嬉しいのだろう。って谷間を見せるな。

 知らん間に成長してしまって。昔はちんちくりんだったのに。


「まあ私も恥ずかしいから服は着るよ」

「ティナリアにも羞恥心はあったんだね」

「当たり前じゃん。何を言ってるの」


 良かった。いつのまにか痴女になってしまったと心配した。

 僕の目の前だというのに散乱した服を整理して着こむティナリア。慌てて目をそらせば、にやにやと愉悦な表情を浮かべるティナリアの気配を感じた。

 無性に腹が立ってくる。


「んっ。よし。もう見て良いよ」


 長い髪を後ろで縛れば、キリっとした仕事モードのティナリアがいる。

 騎士団の白いキッチリとした制服を着て、腰に愛剣を帯剣していた。


「服は人を作るな」

「どういう事かなエル?」

「なんでもない」


 本性は意外とだらしないマイペースな子だが、制服を着れば仕事ができる天騎士になる。不思議なものだ。


「で、何しに来たの?」


 前にも言った気がするセリフをまた吐く。今日は会いたくない人に会う日だ。


「……んー。……会いたかったから来た。それだけ」

「そうかい」

「うん。もう何年振りかでしょ。エルは道場去っちゃうし」

「……しょうがないだろ」


 ライバルと思っていたティナリアに勝てなくなって、完膚無きまでに叩きのめされた日から僕は剣を捨てた。もう会うつもりもなかったのに。

 ……僕はティナリアをまるで理解していなかった。


「後……できればまた模擬戦しない?」

「っ……もう剣は持たない。僕を笑いに来たんなら帰ってくれ」

「笑いに来たわけないじゃん!! エルの事好きなのに」

「そうか……ん? 今何か言った?」

「やっぱ何でもない」


 僕が好きだという言葉が聞こえた気がするが、ティナリアがそう言うならば気のせいなのだろう。

 僕を好きとかあるわけないし。


「まあ、僕に会いに来たにしても戦いに来たにしてももう良いだろう。帰ってくれ」

「やだ」

「……え?」

「そんな意地悪言うならもうエルとここで暮らす!」

「なっ!! 帰ってくれよ。もう僕を惨めにさせないでくれよ」

「それはっんぐ」


 ティナリアの言葉は遮った。僕が弱いから、聞きたくなかった。


 惨めだよ。僕は敗者。君に負けた元剣士。

 君といると惨めになる。僕の弱さを突きつけられる。だから会いたくなかったんだ。


「僕は弱くて惨めだよ。ティナ」

「……そっか。エルはそう思ってるんだ」


 ティナはそう言って扉に歩いた。

 やっと見捨ててくれた。そう思ったのに、でもティナリアは扉に手を掛けて立ち止まる。


「でもね。私は信じてるよ。エルの事」

「もう折れた剣に何を信じるんだい?」

「んー。信じてるよ! 後、昔みたいにティナって呼んでくれて嬉しかったな」


 最後にそれだけ言うとティナは出ていった。あれほどまでに騒がしかった部屋が、静まり返った。

 僕はベッドの縁に腰掛ける。狭いはずの部屋が広く思えた。虚空が苦しかった。


「なんで僕を信じるんだよ――」


 答える者はいない。空に声は消えた。また惨めになった。

 僕はベッドに倒れる。あれほどまでにあった眠気はもうない。ティナに引っ掻き回されて、僕は眠れなかった。

 このもやもやも、眠れば回復するだろうに。グチャグチャの心じゃ眠れない。


「…………っ」


 ふっ切る様に、僕は立ち上がった。

 

「うああああああああああああっ!!!」


 叫んで、走り出す。

 どこかに消えたかった。僕は敗者でありたかったのに、みんな許してくれない。そして僕自身も、許してくれない。

 どうにもならない心の中、消えたかった。

 また剣を振りたいなんて言う自分が僅かにでも現れて、それが嫌だった。


 走って走って。僕は走って。気づけばどこかにいた。

 広い広い場所だ。カカシがいたる所にささっている場所。


「ここは……どこ。……いや、訓練場か」


 騎士たちが修練する場。しかしもう夜と言える時間だから誰もない。静まり返った訓練場だ。

 無意識に僕はここに来てしまった。そして無意識に近くにあった倉庫に歩いた。


 倉庫には、練習用の剣が沢山置いてある。雑用係がせっかく整理した倉庫を開け、剣を二本取り出す。

 そして振った。


「はあああっ!!!」


 断ち切る様に、迷いを切る様に。

 僕は剣が嫌いだと再確認するために振った。

 剣がつまらないものだと思いたかった。くだらないものであるはずなのに――。


「あはっ。はははは」


 笑っちまう。だって、何年振りかに振った剣が楽しかったんだ。

 つまらなくて、嫌いで、くだらないものであって欲しかった剣は、本当はとても楽しい。


「なんだ。僕、まだ剣好きなんじゃん」


 僕の中の僕は、まだ折れてなかった。折れたつもりでいただけだ。

 ティナに勝てなくなった日に捨てたはずの剣は、まだ心の中にしっかり残っていた。ティナも、師匠も。知っていたんだ。




 その日はずっと剣を振っていた。久しぶりの剣が楽しくて、ずっと。

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