「私より強い人と結婚します」と君は言ったから、僕は全力で強くなろうと思う

天野雪人

本編

第一話 再開

 昔々、子ども時代の話だ。

 まだ彼女と互角だった頃の話。剣が打ち合えていた頃の思い出だ。


 剣が打ち合うたびに、楽しさがこみ上げた頃があった。いつも勝ったり負けたりで、ボロボロになりながら練習をして。人生で一番、輝いていた時間。


「一緒に、騎士になろうよ。エルテル」

「もちろんだ、ティナリア!」


 試合を終えて、傷だらけのまま笑いあった過去の話し。結局決着が付かず、共に地べたに寝転んで、息を切らせながら約束した。

 ティナリアと一緒ならば、何にだってなれる気でいた。近衛騎士にも、英雄にも、歴史に名を刻むことだって!


 ――ただ問題は、ティナリアにはその才があって……僕にはなかった事。


「エル、どうしたの? 弱くなった?」


 それはいつの日か拮抗が崩れ、僕が大きく負け越した時に、余りに重く痛感した。

 ティナリアの言葉がとても痛かったのを覚えている。


 最初は微々たるもの。それがどんどんティナリアに傾き、ついに僕は勝てなくなった。

 そう。一勝もできなくなった日から、僕は剣を捨てたのだ。

 それと同時にティナリアとの約束も捨てた。僕には何もなくなった。


 エルテル・イグー。今の僕はただの雑用。騎士団の雑用、騎士団の最下層に位置する、敗北者だ。



 ◇



 大陸一の強国、パルテニア帝国において騎士団とは魔境だ。強い事が称えられ、弱い事が罪である。そんな完全実力主義の魔境であるから、帝国は随一の強国の名を欲しいままにしているのだろう。

 そんな騎士団において雑用係は差別対象みたいなものだ。騎士団で一番弱いものが付く雑用係は、低の良いストレス発散用サンドバッグ。


 つまり僕は、騎士達のストレスを発散させるための存在だ。


「うぶっ――」


 凄まじい衝撃を受けても、痛みも屈辱も何もかも堪えた。

 腹を蹴られた衝撃で吐瀉物をまきちらしそうになったが、それも全力で耐えた。


「うわ。弱いわー。お前こんなんでまだ騎士団いるの?」


 僕を蹴ったのは一人の騎士。名前は知らない。興味もない。

 多分ストレス発散に、一番近くにいた雑用係。つまり僕を使ったのだ。

 仕事中だというのに無理矢理兵舎の裏に連れてこられ、殴る蹴るの暴行。日ごろのストレスを全て吐きだすように僕の頭をふんづけた。


「っ……」

「殺してやっても良いんだ。お前の命を握っているのは俺。調子に乗んなよ」


 調子に乗った覚えはない。彼は僕に何を重ねているのだろう。大かた普段自分が負けている人物だろう。


「くそっ。俺は強い。強いんだ」


 その言葉は僕に向かってはいているわけじゃない。

 完全実力主義の世界で、爵位すらあまり通用しない騎士団ではこういう人物が良く誕生する。


「なんか言えよ!!」


 彼はそう叫んで、息を切らした。

 口にすれば殺されるだろうが、僕には彼が哀れにしか思えない。


「こんんのお!!」

「ごぼっ――」


 最後とばかりに僕を蹴りあげた彼は、わずかばかりはスッキリした顔をした。

 そうして去り際に唾を吐き捨てる。完全にいなくなったのを確認して、僕は立ち上がった。


 まずは怪我の状況を確認する。だが幸いな事に、僕が抵抗らしい抵抗なんてせずに人形であり続けたからそこまでひどくはない。

 そもそも痛くない。痛みを感じない。怪我の具合をみればのたうちまわるほどの痛みであろうに、僕は感じない。


 あの日。ティナリアとの約束を破り捨てて、剣すらも捨てた時から僕は何も感じない。

 あの時感じた心の痛みが、僕の全てを上書きしてくる。


「っと」


 痛くは無いとはいえ、体はしっかり傷ついている。

 立ちあがった時に心と体のギャップでふらつくが、何とか立て直して体を引きずる様に歩く。


 やはり何も感じない。次の仕事を考えて、僕は歩いた。




 あの日から心が死んだような日々。とはいえ、僕にも楽しみぐらいある。それが食事だ。

 雑用係の食事は全員の食事が終わった後であり、余り物だが騎士団のご飯は美味しいから問題はない。


 人が消えた食堂で、余り物のご飯を食べるのが至福の時と言って良い。僕にとってはこの時間しか心踊る時はないのだ。


 だから、それを邪魔されるのはとても嫌いだ。


「エルテル。やっと見つけたぜ」


 向かい側の席に、一人のおっさんが座っていた。

 僕の食事を見ながら、達成感に満ちたように笑っている。


「なにか用ですか……師匠」

「おうおう。久しぶりの師匠が来たんだぜ。もっと喜べよ。ほら!」


 僕が師匠と呼んだことに、彼は非常に喜んだ。


「はあ……」


 豪快で、ただのおっさんにしか見えない師匠。

 喜べと宣う師匠をじと目で見ながら、パンを口に運ぶ。


「くそっ。クールな弟子を持ってしまった。俺に会えるだけで涙を流して喜ぶやつもいるんだぜ」

「昔から、たくさんあってますから」

「はっはっは。たしかに!」


 師匠は帝国の英雄だ。『大剣豪』バウザーに会えるというのは、涙を流して喜ぶ事かもしれない。

 だが僕は師匠に教えを乞うていた身。その正体がただの酒飲みのおっさんであると良く知っている。


「で、何か用ですか?」

「愛弟子に会いに来ちゃいけないのか? ずっと避けられて悲しかったんだぜ」

「僕は会いたくなかったので」


 師弟ではあったが、全て昔の関係だ。

 僕はもう剣を捨てた身で、師匠に会わせる顔はない。

 ただの雑用係のエルテルでは英雄に会えないのだ。


「会いたくないか。……なら、なんで騎士団で雑用なんかしてるんだ? エルテル」

「……それは」

「騎士団に居たら否応なしに俺に会っちまうだろう。お前なら騎士団と関係ない商会とかでもやっているけるはずだが?」

「……親の意向ですよ。僕が騎士になるって親は信じて疑ってなかったから……だから形だけでも騎士団に入ったんです」

「なるほどねえ」

「ほんとですよ」

「ああ。信じる信じる」


 信じていないみたい。だけど本当だ。未練があったとかそんな事……ないはずだ。

 疑いの眼が消えてくれない師匠。しかし僕がそれ以上言うつもりがないと悟ったのか、溜息一つで諦めてくれた。


「ま、偶には思い出話でもするか」

「……そのためだけでに来たんですか?」

「そうそう。そんな感じ」


 思い出話といっても、僕はしたくない。昔の事はあまり思い出したくないのだ。しかし師匠は僕の嫌そうな顔を無視して話し始めた。


「たくさん弟子がいたけど、お前は異彩だった。それは良く覚えている」

「ただの貧乏男爵家の次男ですよ」

「二刀流なんてしてるやつが、ただのなわけないだろ」


 二刀流、それも昔の話しだ。

 熟練の剣士でも難しいと言われる二刀流に、物語の英雄に憧れた僕は手を出してしまった。

 結局無理難題であり、今じゃ馬鹿だったなと思うだけ。


「そしてもう一人異彩を放っていた奴がいたな」

「へー」

「おいおい。知ってるだろ。ティナリアの事」

「まあ。そりゃ」

「お前と競い合ってたな」

「わずかな間だけですよ」


 ティナリアと。あの最強で、天才な少女とライバルであったなんてただの夢物語だ。

 ティナリアにとって、僕は通過点の一人にすぎなかった。


「でもあの時のティナリアが一番輝いていた」

「それはないですよ。今が一番輝いてるでしょ。『天騎士』ティナリアは」

「人によってはそうかもな。言いかえれば、あの頃が一番楽しそうだった」

「……そんな事。ないはずです」

「あるんだなー。これが」


 師匠は笑った。でも僕は笑えない。僕は彼女にとって通過点であり、経験値である。そうでなければ、剣を捨てたことを後悔してしまうじゃないか。

 ティナリアの中で僕の存在なんて大きくなく、裏切っても何ともない。そのはずだ。


「だってさ。凄く会いたがっていたぞ。お前にさ」

「……そんなわけっ」

「お前が避けて、見つけられないって俺に愚痴りに来てよ。会ってやれよ」

「そんな資格ないって知ってるでしょう。約束も、剣も捨てた。今の僕は雑用係で、貧乏男爵の次男! ティナリアは最強の騎士で、名門公爵家の歴代最強。もう無理です」

「無理なもんか。ティナリアは、諦めてない」

「……僕は諦めた。そして、会うつもりもありません」


 ティナリアに今更会って何を言えというのだ。何もかも捨てた日から、ティナリアと会う事はやめた。


「そうか。……お前は、あいつを何も理解しちゃいない」

「……どういう事ですか」

「ティナリアがどういう少女かな」


 そう言って、師匠は立ち上がった。


「俺はお前をあきらめてない」

「僕を……?」

「お前は紛れもなく、ティナリアと打ち合える唯一だ」


 師匠は僕が反論する前に、さっさと立ち去ってしまった。

 気にしたくなくても、師匠の言葉が心に反芻する。僕がティナリアと打ち合える唯一だと馬鹿な事をいう師匠の言葉が。


「師匠は、買い被りすぎですよ」


 僕は敗者。天騎士の前に敗れ去り、剣を折ったありふれた敗者だ。ティナリアと打ち合う者ではない。そもそも彼女には誰も勝てない。


 食事はすっかり冷めていた。僕の心も、料理と同じぐらいには冷めていた。

 食事は好きだ。唯一の至福だ。だからそれを邪魔するやつは好きじゃない。僕の心を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、食事の邪魔までしてきた師匠は……嫌いだ。



 ◇



 仕事も手に着かなかった。

 どうにかノルマはこなしたものの、いつもの倍の時間が掛かった。雑用係の名折れだ。反省しないといけない。

 仕事中もずっと、ティナリアの事が脳裏から離れなかった。これも師匠のせいだ。どうせ寝ればすぐに忘れるだろう。


 疲れた体を引きずって、騎士団の中にある寮へと向かう。

 馬小屋の隣にある部屋とも言えぬ部屋だが、僕のオアシスだ。寝て、このもやもやを解消したかった。


 小さなベッドだけでいっぱいになってしまう部屋。狭い部屋だが、その狭さは好きだ。狭くても、個室を貰えたのは嬉しい事だ。


「ふぁー。疲れたっ」


 今すぐベッドに倒れこみたかった。そしてそのまま夢の世界へ飛び込んで、スッキリと翌朝を迎えたい。

 その気持ちをもって扉を開ければ、ふとおかしな点があった。


「ん?」


 違和感。そう違和感だ。

 良く観察すれば、ベッドの上の毛布が膨らんでいた。だいたい、人一人分くらい。


「……誰か、寝てる?」


 その結論に達した。だって良く耳をすませば寝息が聞こえてくるのだから。

 毛布の中で、誰かが丸くなっていた。まず思いつくのが強盗だが、僕の部屋に盗る物などない。そもそも騎士団の本拠地まで乗り込んでくる強盗などいない。


「…………」


 考えてもラチがあかない。僕は覚悟を決め、一歩、足を進める。

 数秒深呼吸した後、一気に走りこむと毛布をめくりあげた。


「……はっ?」


 僕のベッドには、強盗は寝ていなかった。

 代わりに、少女が寝ていた。綺麗な少女だ。サラサラとした白銀の髪が背まで垂れ、あどけない寝顔を晒している。恐らく僕より少し低い背丈。寝顔だけでその愛らしさが分かった。

 安心しきった様に眠っている少女。とても、とても知っている少女に似ていた。


「君は……ティナリア?」


 ティナリアだ。綺麗に成長したティナリアが寝ていた。僕のベッドに。

 意味が分からない。ただでさえ疲労していた脳が、さらなる混乱に突き落とされる。


「んっ……うぅ」


 ティナリアは身じろぎする。そして逃げる間もなく、ゆっくりと目を覚ました。


「…………」

「……へへ。エル。おはよ」


 この時僕は初めて理解した。師匠の言葉を。

 僕はティナリアという少女を理解していなかった。ティナリアは、恐ろしい行動力を持った少女であるという事を。

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