第五章 赤い振袖

その日は、朝はさむかったけど、昼間は暑いくらいで、なんだか変だなと思われるくらいの気候だった。そんな日の中、ずっと嫌な思いをしながら、過ごしていかねばならないのであるが、みんな暑い暑いと言いながら、いつまでも変わることなく過ごしていくのであった。

そんな中で、製鉄所には、二人の客が来訪していた。客は、一枚の反物を杉ちゃんに見せて、これで振袖を作ってくれという。それは紺色に、小さな花を絞りで入れたいかにも可愛らしい感じの着物なのであるが、杉ちゃんはこれを見て、

「いやあこれはねえ。」

と、二人の前で言った。

「これは絞りの反物だし、それに、木綿の反物なので、振袖は、作れないよ。」

そう聞いて、二人の女性は、明らかに落胆の表情を見せた。

「まあ、振袖は無理だと思って諦めるんだな。振袖は無理だから、せいぜい作れても浴衣くらい。それに、絞りは、江戸時代までは使っていた人の身分が低かったこともあり、あまり格の高い染め物とは言えない。」

「そうなんでしょうか。でも、絞りの振袖なんて、今はちゃんとあるじゃないですか。」

母親と思われる女性が、杉ちゃんに言った。

「そうだけど、絞りというのはね、本来桂女と言われる売春婦みたいな女性が着ていた着物で、もともと身分の高い人の着たものじゃないんだよ。それを、礼装用として振袖にしてしまうのは、本当にひどい誤解。本来の使い方であれば、普段着に毛の生えた程度しか使えないの。」

杉ちゃんがそう説明しても、女性二人はよくわからないという顔をした。

「でも、絞りの振袖とか、有松絞では普通にあるって。」

と、若い方の女性がそう言うと、

「だからあ、そんなものあるわけないじゃないか。有松は、あくまでも庶民の柄で、礼装としては用いられなかった。礼装として着るんだったら、京友禅とか、そういうものを着るんだよ。それに、最近ブームになっている藤井絞、雪花絞りとも言うけど、あれはもともとはおしめの柄で、着物としては採用されていなかった。それを着物として使うなんて、ありえない話だ。」

と、杉ちゃんは和裁屋らしく言った。

「そうかも知れないけれど、この反物、娘が成人式を迎えるというので、何十万もだして買ったんです。他の反物は、何百万とかして、変えなかったので、一番安いものを買ってきたんですよ。それをしたててくれないなんてどういうことですか?」

母親がそう言うと、

「だったらリサイクルの振袖を買えばいいだろうが。それなら、数千円で入手できるよ、振袖なんて。僕はね、悪いけど和裁屋として、間違った使い方で着物を作るわけには行かないんだ。だから、これで振袖を作るのは勘弁させてもらう。悪いけど、着物の知識をもうちょっと持ってから、反物を買いに行くべきだったね。」

と、杉ちゃんは言った。それと同時に、水穂さんが製鉄所の食堂へ入ってきて、

「あんまり、そういう事言うと可哀想ですよ。振袖にして上げることはできなくても、着物の形にしてあげることはしてもいいんじゃないですか。絞りといえば、結構、高価なものですしね。それをお母様が娘さんに買うのは、自然なことですし。」

と、杉ちゃんに言った。

「だけどねえ。間違った着物を作るわけには行かないの。ましてや成人式で着るんでしょ。だったら、会場でお前さん着物が違うなんて言われたくないでしょう。着物代官はいつどこで現れるかわかんないよ。道を歩いていてさ、お前さん礼装に、絞りなんか着て何やってるんだなんて言われてみな?嫌でしょう?それを塞ぐためにも、ちゃんとした礼装用の着物を買おうよ。こんな生地じゃなくて、ちゃんと正絹の、できれば羽二重の、そして、京友禅みたいな高級な染め方をしているものを買うんだ。大丈夫だよ。ホント、リサイクル着物屋に行ってみな。三千円くらいで買えるから。」

「そうですか、、、。」

親子はがっかりした顔をした。

「それで、長襦袢とか、帯枕みたいな小道具は一緒に買ったの?」

杉ちゃんが聞くと、お母さんがはいと答えた。

「一緒に買ったほうがお買い得だからと言われまして。どうやって使うかはわからないものもありますが、それでも呉服屋さんに進められて。」

「そうか。そういう悪質な呉服屋が多いんだねえ。着物なんてね、長襦袢に紐一本、着物に二本あれば十分なんだよ。帯なんて、作り帯にしてしまえば大丈夫。だから、着付けの先生に高額な費用を払わなくてもいい。お金が無くて、成人式用のものが買えないんだったら、リサイクルで買えば、レンタルするより安い。その当たりをちゃんと調べて、それで成人式に挑め。」

「そうですか。わかりました。私が、一生に一度だからぜひこれにしたいと言った着物は、失敗だったんですね。」

娘さんは半分泣きそうに言った。

「泣かなくたっていいんだよ。悪いのは呉服屋で、お前さんが悪いわけじゃないんだからさ。まあ、ダイジョブだよ。三千円で立派な振袖が買える世の中だからね。」

杉ちゃんが、でかい声でそう言うと、

「せめて、せっかく持ってきた、この反物、着物にしたててやってくれませんか。」

水穂さんが静かに言った。

「だって、そういうからくりがあっても、彼女が着物として着たいと思った気持ちを大事にしてやりたいと思うんです。それは、杉ちゃんが言う通り、悪いのは店が悪いので、彼女ではありませんし。」

「そうだねえ。」

と、杉ちゃんは反物を見た。

「じゃあ、これを浴衣として、普段着とか夏祭りに着てもらおうか。」

それと同時に、只今戻りましたという声がして、槇原重子さんが製鉄所に戻ってきた。買い物から帰ってきたところである。重子さんは、杉ちゃんの浴衣として着てもらおうという言葉を聞いて、

「浴衣を作るんですか?私にも見せてください。」

と好奇心の目で食堂にやってきた。重子さんも、着物を着てお琴を弾いたりするくらいだから、着物を作るということで面白いと思ったのだろう。

「ああ、これなんだけどね。なんでも振袖にすると言って来たんだが、これでは振袖は作れないので、代わりに浴衣にするということにしたんだ。」

杉ちゃんが反物を重子さんに見せた。

「ああ、有松絞!あたしこの浴衣を1つ持っています。良かったじゃないですか。有松は、凹凸が多いので、着物と皮膚の間に隙間ができますから、結構涼しいですよ。良かったですね。」

重子さんがそう言うと、

「じゃあ、今度行われる成人式の振袖をどうしたらいいのでしょうか?」

と、娘さんが言った。

「肝心のものが手に入らないじゃないですか。」

ちょっと怒りを込めて彼女が言うと、

「大丈夫よ、あたし、リサイクルでたくさん着物を買いましたが、リサイクルであっても、新しいものに引けを取らないくらい立派な着物が手に入ります。大丈夫です。なかないで。試しにインターネットでリサイクル着物を調べてみてください。すごく可愛い着物が、手に入りますから。しかも数百円で。」

と、重子さんは明るい声で彼女を励ました。

「数百円って、、、。」

と、娘さんもお母さんも、驚いた顔をしている。

「百聞は一見にしかずです。今からリサイクルきものに行って見ましょうよ。そうすれば、あたしが言った事は間違いじゃないってわかりますから。」

重子さんはにこやかに言った。

「そうですね。それがいいですよ。洋服と同じくらいの価格どころか、洋服の半額くらいでも買えますよ。そんなにお金が無くても、今は豪華な振袖が着られます。」

水穂さんにも言われて、お母さんと娘さんは、そうですねと言った。重子さんはもう出かける支度を始めてしまった。お母さんのほうが度胸を据えた様な顔で、

「わかりました。じゃあ連れて行ってください。」

と言った。

「じゃあ、私が道案内をしますから、車にのせていってください。」

重子さんはそう言うと、お母さんはわかりましたといった。そして三人の女性は、製鉄所の近くに止めてあった軽自動車に乗った。重子さんは、お母さんに、道順を教えて、カールさんの経営している増田呉服店に連れて行った。呉服店という名前なので、同じ失敗をするのではないかと、娘さんは困ってしまったようだが、重子さんは変な売り方はしないから大丈夫、と明るく言った。

「ここです。」

重子さんは、増田呉服店と小さな看板が着いた店の前で車を止めさせた。確かに、呉服店とは書いてあるけれど、一般的な呉服店とは全然違う、小さな雑貨屋のような店だった。重子さんが店のドアを開けると、ドアに釣る下げていたコシチャイムが、カランコロンとなった。

「いらっしゃいませ。」

と、カールさんがにこやかに、挨拶した。お母さんたちは、欧米系の顔をしたカールさんが、着物を着てお客さんにご挨拶しているので、びっくりしているようだ。

「今日は何をご入用ですか?」

カールさんが明るく言ったので、二人の女性は、返答に困ってしまった。代わりに重子さんが、

「あの、成人式に使う振袖はありますか?」

と聞いた。

「はいありますよ。色は何色がご希望ですか?」

と、カールさんが聞くと、娘さんは小さな声で、

「紺とか、黒とか、そういうものでいいです。お金が無いので。」

という。カールさんは、

「そうですか。でも、お顔から判断すると赤も十分似合うんじゃないですかね。そうだなあ。例えばこんなものはどうでしょうか?」

と、言って、一枚の赤い振袖を売り代から出してきた。

「こちらの振袖は、赤に金糸刺繍で、桐紋を入れたものです。日本の古典的な柄ですから、お祝いごとにいいのではないでしょうかね。」

カールさんがそう説明すると、

「桐紋は、豊臣秀吉の家紋です。秀吉が、農民から天下人まで出世したので、出世を願う吉祥文様です。だから、いろんな着物に使われるようになりました。」

と重子さんがそう説明した。

「みんな、出世を願って桐紋の柄をつけるんです。このお着物は、菊の花と桐紋を金糸刺繍で入れてありますね。そして対象年齢は、振袖だから若い人の着物ですよね。素敵じゃないですか。菊は、無病息災を願う柄、桐紋は出世を願う柄。そうやって、若い人が、広い世の中へ出ていいことがあるように、という意味の着物ですよ。素敵ですよね。誰が作ったかわからないけど、日本の着物はそうやって、一枚一枚に、願いが込められているんです。」

「そうなんですか、そんな立派な着物でも、お値段が高いんでしょう?何十万とするような着物を、私が買えないので。」

娘さんは小さい声で、でも拒絶するように言ったが、

「いえ大丈夫です。こちらは、古典柄なので、3000円で大丈夫です。」

と、カールさんが言った。

「ほ、本当ですか?」

お母さんが思わずそうきくと、

「はい。そうです。大丈夫ですよ。ちゃんと領収書も書きますし、それ以上値段を上げることはしませんよ。」

と、カールさんはにこやかに言った。

「本当に、それでいいのでしょうか?」

と、娘さんが言うと、カールさんはひとこと、

「はい。」

と言った。

「じゃあ、どうして3000円で振袖が販売できるものなのでしょうか?」

とお母さんが聞くと、

「いやあねえ。こういう着物屋は、要らなくなったきものを買い取ってというか頂いて仕入れているのですが、何しろ、着物というものは、需要が無いものですからね。一度着たら、もう終わりと言う人が多すぎるくらい多いんです。それでは、着物が可哀想ですし、だったら本当に着物を好きな人に、手に入れやすい値段で入手しやすいようにしてあげて、本当に着物が好きな人に届けてあげたいですよね。まあ儲かる商売ではありませんが、そういう人のところに、着物がお嫁に言ってくれることを願ってやっています。それはもしかしたら、人間の人生と同じかもしれませんね。人間、一度や二度は、的外れたものを引いてしまって失敗したりすることもあるでしょう。この着物たちもそうですよね。着物を愛さない人のところに一度は行ってしまったんですけど、今度はもっと気軽な方法で、本当に着物を着てほしい人のところに行ってもらう。それは、一度捨てられたり失敗したりした人でなければ、着物の楽しさはわかりませんよね。」

と、カールさんは、にこやかに笑っていった。

「そうなんですか。ここには素敵な着物も帯もあるけど、いくら位なんですか?」

娘さんが思わずそう言うと、

「はい。こちらの袋帯は、1本1000円です。帯締めや帯揚げが何色であるかで、判断してください。それは、持っているものを有効活用してくれればいいです。全部を買い替える必要はありません。」

と、カールさんは言った。

「そうなんですか。全部買い換えなくていいんですか?」

娘さんは驚いた顔で言うと、

「はい。そんな必要は全くありません。持っている帯揚げや帯締めなどの小道具の色と、新しく買う帯の色を考えてくれれば、それでいいです。」

カールさんはにこやかに言った。

「じゃあ、この桐紋の赤い振袖と、この黄色の帯を締めてもいいでしょうか?」

娘さんは、疑うように聞いた。

「いえ、これは無理ですね。振袖に、名古屋帯はつけられません。それよりも、こちらの袋帯を締めて頂いたらどうでしょう。」

と、重子さんは、売り台から一本袋帯を出した。金で刺繍してあって、とても素敵な袋帯である。

「なんで、振袖に名古屋帯はだめなんですか?」

娘さんがそうきくと、

「名古屋帯はカジュアルな帯で、フォーマルウェアには使えないんですよ。それに、名古屋帯は、高齢の女性がするもので、若い女性がするものではありません。着物や帯は年齢制限があるんです。振袖は、あなたが成人したことを示す大事なものですから、それに高齢の女性がする名古屋帯をつけたらおかしいでしょう。だから、使えないんですよ。」

重子さんは、そう説明した。

「最近着物イコール名古屋帯が流行っていますが、それは着物を着る人が高齢者ばかりなので、そう見えてしまうだけです。若い方で着物を着るのなら、袋帯を締めてください。」

カールさんがそういうと、

「そうか。ねえお母さん。あたしが持っていた帯揚げと、帯締めは、確か、紫だったよね。」

娘さんはそういい始めた。お母さんはそうだといった。

「はい、金の帯に紫の帯締めは、よく合うと思いますよ。」

カールさんがそう言うと、

「じゃあ、こちらの振袖に、こちらの袋帯を買って、合計でいくらになりますか?」

娘さんは、小さな声で言った。

「はい。帯が1000円ですので、4000円です。もちろん税込みですよ。」

とカールさんは言った。

「じゃあ、それでは、お願いします。」

お母さんが、5000円をカールさんにわたすと、カールさんは千円を彼女に渡した。ついでに、丁寧な字で、領収書も書いてくれた。ここで初めて、彼女たちは、上田さんという名前なのだと言うことがわかった。

「じゃあ上田様ですね。もし、他に必要なものが出たら気軽に相談してください。一式買っても、一万円を切るように設定できますので。」

と、カールさんは振袖を畳みながらそういう事を言った。

「あ、ありがとうございます。」

二人は、狐に包まれた様な感じの顔をして、カールさんを眺めていた。カールさんは振袖と袋帯を、紙袋に入れて、

「はいどうぞ。大切になさってください。」

と、彼女に渡した。

「本当にありがとうございました。まさか振袖と、帯が、5000円を切って買うことができるなんて思ってもいませんでした。本当にびっくりです。これで、成人式は堂々と赤い着物を着ることができます。あたし、お金がないので赤い振袖は着られないと思っていたんですけど、これで良かったんですね。ありがとうございます。」

娘さんはとてもうれしそうだった。

「いえいえ、なにかあればいつでも買いに来てくださいね。」

親切な顔でそういうカールさんに、二人は、ありがとうございますと言って、店を出ていった。重子さんも、ありがとうございましたと言って店を出た。店のドアに設置されていたコシチャイムが、カランコロンとなって、彼女たちを見送った。

「本当にありがとうございました。あなたがこうして提案してくれなかったら、私達、ずっと赤い振袖なんか着られないで、夢で終わってしまうところでした。」

と、車の中でお母さんが重子さんに言った。

「それに、桐紋とか、菊の花の意味まで教えてくださってありがとうございました。あたし、菊の花に無病息災の意味があるなんてちっとも知らなかった。そんなに着物は奥が深いものだったんですね。教えていただいて嬉しかったです。」

娘さんが、重子さんに嬉しそうに言うのだった。それは、新しい知識を得ることができて嬉しいという喜びの顔だった。

「いいえ、あたしはただ、あたしが知っている事を教えただけですよ。」

重子さんはそう言うと、

「それだけでもとても役に立ちましたよ。あなたはどうして着物の事をよく知っていらっしゃるのですか?なにか着付け教室にでも通われていたとか?」

とお母さんがそう聞いた。重子さんは、正直に、

「私、お琴教室に通っていたんです。そのとき師匠が着物の事ですごく厳しかったんで、それで覚えました。」

と答えた。

「まあお琴教室ですか。それは日本の伝統に携わっていて素晴らしいですね。あの、春の海とかそういうものも弾かれるんでしょう?お正月によくかかってくるけど?」

と、娘さんがそう聞くので重子さんは、正直に

「春の海は生田流の箏曲で、山田流では弾きません。」

と答えた。

「そうですか。あたしたちからしてみれば、流派なんてどうでもいいもので、それよりもお琴の音色を聞きたいんですがね。生田流とか山田流とか、そういうのはどうでもいいんですよ。それよりお琴が雅やかで素敵なものであってほしいんですけど。」

娘さんが若い人らしい事を言った。重子さんは、彼女の言うことを聞いて、

「そうですよね。私もそういう気持ちです。本当は、そういう事を求めていきたいんだと思います。」

と小さい声で言った。そうこうしているうちに車は製鉄所に着いた。重子さんは、二人の言葉を聞いてあることを思いついたのだった。



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