第四章 初めて料理を作る。

その日は、暖かい朝であったけれど。日が出なくて、ちょっと寒い日であった。こういう日が本当の秋の気候というのだろう。朝晩は極端に寒くて昼は暑いくらい。そんな気候が続いているから、当然のごとく体調を崩してしまう人も現れるのである。誰でも、強くてなんでもできるというわけでもない。

その日も、いつもどおり、槇原重子さんは、製鉄所に出勤した。ちょうど、その日は、杉ちゃんが台所で水穂さんにあげたはずのご飯のお皿を片付けているところだった。

「水穂さん。また食べなかったんですか?」

重子さんは、杉ちゃんに言った。

「食べなかったよ。ほら、沢庵一切れだけだよ。」

杉ちゃんはお皿を彼女に見せた。

「そうですか、、、。それでは、残念ですね。水穂さん、食べてくれないのは困りますよね。」

「まあな。全くな。いくら食べさせてもこれでは、困ってしまうぞ。体力もつかないし、栄養も取れない。人間は、薬だけじゃ絶対やっては行けない動物なんだ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。重子さんは、杉ちゃんの作った皿を見る。なんだか美味しそうな中華丼。ちゃんとあんもかかっていて、具材もほうれん草やら、青梗菜のようなものが、大量に乗っている。もちろん、肉さかな一切抜きで生活しているから、肉も魚も卵も入っていない。

「こんな美味しそうな中華丼捨てちゃうんですか。どうしたら水穂さんたべてくれるんだろ。」

重子さんは小さな声で言った。

「あたし、頑張って水穂さんに食べるように説得してみようかな。なんでも、杉ちゃんが大切に作ったって言えば、なんとか食べてくれるんじゃないかしら。」

「いやあ、それは無理だね。無理なものは無理だよ。それでもさ、食べさせなきゃいけないから、一生懸命食べさせているんだけど。食べても食べてももっと食べたいっていう人よりマシだと思わなきゃ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなんだ!だったら、余計に誰かが作ってくれたものだから、ちゃんと食べろって伝えなくちゃいけないんじゃないかしら。あたしも、それを伝えるのを手伝ってもいいかな?」

と、重子さんは言った。

「ああ、そうだねえ。女には、無理だよ。感情的になって、伝えられないのが落ちだよ。まあ、そういう事は、仕方ないことだから、半分諦めながら、半分期待しながら、そうやってやってくしか無いってことだな。看病なんてそんなもんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですか。じゃあ、あたしが丹精込めて作ったんだって言えば、それで食べてくれるでしょうか?」

と、彼女は言った。杉ちゃんが思わずへ?とだけ言った。

「いや、そうやって説得は何度もしたんだが、何も食べてくれないんだ。そういう手は、もう使えないよ。」

「わからないじゃないですか。過ぎちゃんじゃなくて、私がやってみると言ったら、また違うんじゃないですか?」

思わずそういった彼女を、杉ちゃんはからかうように、

「お前さん。料理したことあるの?」

と聞いた。

「ありません。」

と、彼女は言った。

「じゃあ、何が作れるんだ。何も作れないじゃないか。」

杉ちゃんが言うと、

「いえ、初めてですが、私がお料理してみます。もちろん私は、お料理は全然できないけど、杉ちゃんお願い、簡単な料理の仕方を教えて下さい!」

重子さんは杉ちゃんに頭を下げた。

「そうだねえ。じゃあ、何を作って見たいか、言ってみてくれるか。」

重子さんは、すぐに食べたい食べ物が思いつかなかったが、とっさに思いついた、

「グラタンを作ってみたいです。」

と言った。杉ちゃんはでかい声で

「そうか。それなら、まず、材料を買ってくることから始めようか。じゃあ、これからショッピングモールに買い物に行こう。」

と言って、巾着袋を持って、製鉄所を出ていった。彼女、槇原重子さんもその後をついていった。二人は、重子さんが呼び出した、タクシーでショッピングモールに行った。

「えーと、グラタンの材料は、まずマカロニが要るわよね。」

と、重子さんはすぐにマカロニを取ったが、

「ああ、ダメダメ、水穂さんが当たってしまわないように、グルテンフリーのものを買ってくれ。」

と、杉ちゃんに言われて、重子さんはすぐにグルテンフリーと書いてあるマカロニを探し始めた。それを探すのが、非常に難しかった。それでもやっと数あるマカロニの中から、グルテンフリーマカロニと書いてあるものを取って、かごのなかに入れた。次は野菜を買って、ほうれん草とソーセージを買おうとしたが、杉ちゃんに肉さかなは一切ダメだと言われた。

「それでは、タンパク質はどうするんですか?」

重子さんがそう言うと、

「じゃあ、モッツァレラチーズとか、そういうもので取ればいいじゃないか。」

と、杉ちゃんが言ったので、急いでモッツァレラチーズを探そうと思ったが、チーズの売り場に行っても見つからない、困ってしまって、外国製のチーズ売り場に行くと、「モザレラ」と書いてあるチーズの塊が売られていたので、重子さんはそれを取った。

「あとは、サイドメニューとして、サラダがほしいな。サラダだって貴重な栄養源だぜ。肉さかなで蛋白が取れない水穂さんに、アボカドは貴重なタンパク源だ。」

杉ちゃんが指示を出して、彼女はアボカドを買った。アボカドはなんだか石のように見えたけど、大事なタンパク源であると杉ちゃんは、説明した。脂肪分がたっぷりあり、森のバターと言われる食べ物であるという。重子さんは、そんな食べ物があったなんて知らなかったといった。杉ちゃんは、インスタント食品とか、マクドナルトばかり食っていたなとカラカラと笑った。

二人は、レタスとか、ドレッシングを買って、買い物を終了させた。またタクシーで製鉄所に帰る。製鉄所に帰ると、早速調理を始めた。

「じゃあ、まずはじめに、グラタンを作るために、野菜を切るんだ。それではやってみてくれ。」

と、杉ちゃんが言って、彼女に包丁を渡した。彼女は、包丁を持ってみたが、どう扱っていいのかわからない様子だ。

「もう包丁はこう持つんだ。そして、こうやって野菜をまな板に寝かして野菜を切るの。じゃあやってみな。」

と、杉ちゃんに言われて、彼女はそのとおりにした。とてもぎこちなくて、指を切りそうなくらいだったけど、なんとかほうれん草を切った。

「よし、じゃあ、じゃがいもを切るぞ。まず、包丁で皮を剥く。」

杉ちゃんが手本を示して、彼女はそのとおりにしたのであるが、包丁で皮を剥くことができなかったので、途中でピューラーに変えた。それでも彼女の手はぎこちなかった。そしてじゃがいもを危なっかしく切って、それを水で洗った。

「ほうれん草を柔らかく茹でよう。まず。鍋に水を入れて沸騰させよう。ガスにお湯をかけて。」

と、杉ちゃんが言うと、彼女は、その意味がよくわからなかったらしくて、思わずガスコンロに水をかけそうになったが、

「違うんだよ、ガスにお湯をかけるというのは、ガスに火をつけて、水を温めて沸騰させるんだ。」

杉ちゃんに言われて、彼女は、ごめんなさいといった。

「そんな事言わなくていい。早くやってみてくれ。」

杉ちゃんに言われて彼女は、ガスコンロを操作しようとしたが、点火スイッチを押したら火が弱すぎてしまった。

「それじゃあいつまでたっても沸騰しないじゃないか。そうじゃなくて、ダイヤルを回して、火を大きくするんだよ。」

杉ちゃんに言われて、

「そのためにはどうしたらいいんですか?」

と思わず聞く。杉ちゃんはそんなことも知らないのと言うことはなく、こうやって、ダイヤルを回して大きくすればいいんだと言った。彼女はすみませんといった。

「謝らなくてもいいんだよ。何も知らないなら、今からでもちゃんと覚えようね。それをしっかり、覚えるのも大事だよ。」

と、杉ちゃんはにこやかに言った。その時に、バカにしているというか、そんなことも知らないので、驚いているとか、そういう事は一切言わなかった。これをするのが大事である。何も知らないのかとか、そういう事を言っては行けない。今の人はプライドだけはちゃんとあることが多いので。

「よし、沸騰したら、まずほうれん草を茹でようね。そのうち、水がブクブク沸騰してくるからよ。それに、ほうれん草を入れるんだ。」

と、杉ちゃんに言われて、彼女は、そのとおりにした。沸騰した水にほうれん草を入れるのはちょっと怖いようであったが、それでもなんとかして入れることができた。そして、ほうれん草を入れて数分後。杉ちゃんに言われた通り、彼女は、箸を使ってほうれん草が柔らかくなった事を確かめると、すぐにそれを水につけて冷たくし、包丁で、細かく切った。

「次はホワイトソースを作るぞ。まず玉ねぎをみじん切りにする。みじん切りとは、玉ねぎを、細かく小さく切るんだ。ちょっと涙が出るかもしれるけど頑張って。」

杉ちゃんに言われて、彼女はそのとおりにした。確かに玉ねぎは涙が出るものだ。それでも彼女は、杉ちゃんの指示通り一生懸命やった。そして、フライパンに油を入れて、玉ねぎを炒め始めた。その仕草も本当にぎこちないけれど、頑張って、箸を持って、玉ねぎを炒めていた。

「じゃあ次に粉を入れるんだ。小麦粉は当たるからだめ。代わりに上新粉を入れる。」

杉ちゃんに言われたとおり、彼女は、そのとおりにした。粉を入れて、その後、牛乳を加える。そして、ひと煮立ちさせれば、ホワイトソース、いわゆるベシャメルソースの出来上がりである。

「そして、次にマカロニを茹でるんだ。じゃあ、言ったとおり、水を沸騰させて、マカロニを茹でようね。」

杉ちゃんに言われて、彼女はそのとおりにした。グルテンフリーと書いてあるマカロニを、4分間茹でる。茹で終わったマカロニをどうしたらいいかも、彼女、重子さんは知らなかった。杉ちゃんに言われたとおり、彼女は、ザルにジャーっとマカロニを開けた。そして、具材をすべてホワイトソースとあえて、それを耐熱容器に入れ、細かく切ったモッツァレラチーズを上に散らした。

「よし、最後にオーブンを予熱するぞ。最近はトースター機能がある電子レンジも多いようだが僕らは、原始的にオーブンがあるのがいいんだよ。」

杉ちゃんはオーブンを顎で示した。

「まずはじめに、予熱をするよ。グラタンだから、200度位がいいよ。焼成時間は15分くらいやってみてくれ。」

重子さんは、予熱を設定し、オーブンのスタートボタンを押した。オーブンはすぐ稼働してくれて数分で200度にあげてくれた。それが終了すると、重子さんはこわごわではあるけれど、一生懸命彼女は天板に乗ったグラタン皿を中に入れ、オーブンの扉を締めて、スタートボタンを押した。待っているのがとても長く感じられたが、重子さんのグラタンは無事に完成した。

「よし、これで完成だ。グラタンの出来上がり。さあ、水穂さんに食べさせよう。」

と、杉ちゃんは、茶箪笥から小皿を出して、箸を取り出し、お盆の上においた。重子さんは、それに、ミトンをした手で、グラタンの皿をおいた。「これで、水穂さんに食べてと言うことができるわ。」

重子さんはとても嬉しそうだった。二人は、四畳半へ行き、杉ちゃんが

「お昼ごはんができたよ。今日は、こいつが作ってくれたぞ。今度こそしっかり食べてくれよ。」

と言って、水穂さんを布団に座らせた。

「まあ初めて作ったから、ちょっと不格好なグラタンだけど、食べてやってくれ。重子さんが、丹精込めて作ったんだ。もう食べたくないなんて思うなよ。」

杉ちゃんはそう言ってグラタン皿をサイドテーブルに置く。水穂さんは、杉ちゃんから渡された箸をとり、グラタンを食べてくれたのであるが、

「美味しい。」

とひとことだけ言った。

「それだけじゃなくて、もっと食べてくれないと困るんだけどな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「いえ、もう結構です。」

と水穂さんは言った。

「そうだけど、もっと食べなくちゃだめだよ。重子さんが一生懸命作ってくれたんだから。」

杉ちゃんがでかい声で言っても、水穂さんは、反応しなかった。

「だめだめ。ご飯を食べなくちゃ。ちゃんと食べないと、体がだめになっちまうぞ。」

「でも、食べる気がしないんですよ。」

水穂さんは、小さな声で言った。

「食べる気がしないじゃなくて、ちゃんと食べるの。食べないと、本当に体がだめになっちまう。人間は動物なんだもん。食べ物を取って、それから栄養を得ることが大事なんだ。それはちゃんとやらなくちゃ。ほら、しっかり食べて!」

杉ちゃんがちょっと語勢を強くしていうが、水穂さんはどうしても食べてくれなかった。

「水穂さん、あたし、はじめて料理をしたんです!」

不意に、重子さんが言った。

「はあ、それがどうしたの?」

杉ちゃんが言うと、

「あたし、料理をしたのは生まれて初めてで、本当に危険な作業だって思いました。包丁で指を切ることはあるし、200度にもあげたオーブンでやけどをするのでは無いかとか、そんなことばっかり考えて、足がすくんでしまいました。でも、頑張って、水穂さんに食べてもらいたくて、それで熱くても怖くても頑張ってやりました。食べもの作ることって、本当に大変なんですね。それを無視して、何も食べないなんて、そんな事されたら、作った側としては、ちょっと悲しいというか、辛いですよね。」

と、重子さんは一言一言、噛みしめるように言った。

「そんな苦労話をしても、無理なものは無理だよな。」

杉ちゃんがそう言うが、

「でも、私は、そう思うんですよ。ここに来て、水穂さんの世話をさせて頂いていて、水穂さんを見て、ずっと生きるのって大変だなと思っていたんです。だって眠るのも食べるのも出すのも、水穂さんはうまく行かないじゃないですか。それを、ちゃんとできるって本当に人間すごいことやっているんですね。あたしは、そんな当たり前のことができるってことは、幸せなんだなと思いました。きっと、そういう事を学ぶために水穂さんが要るんだろうなと思うんです。だから、その大事な教材になってもらうためにも、一日でも長くこちらにいてもらわなくちゃ。そのためにも、食べるものは必要ですよ。だから、食べてください。」

重子さんは、できるだけ笑顔でそういう事を言うのであるが、彼女の顔は少ししゃくれていて、一生懸命言っているんだなと言うことがわかった。もしかしたら、こんな事言ってもいいのだろうかと思いながら言っているのかもしれなかった。

「無理するな。こういうときだから、お前さん言うことは全部いっちまえ。」

杉ちゃんがそれを助長するように言った。

「わかりました。じゃあいいます。あたしは、初めてグラタンを作ってみて、料理することがこんなに大変なんだと言うことを学びました。料理って、危険と隣り合わせでもあるし、それを犯してやるということは、よほど愛情が無いとできないですよ。杉ちゃんが、毎日それをやってくれるなんて、水穂さんは、本当に愛されているんですね。だから、それを忘れないで、食べることで恩返しするつもりで食べてください。」

重子さんは、一生懸命そういう事を言った。

「ごめんなさい。重子さん。そんな事言ってくださるとは、」

水穂さんは、そう言ったが、杉ちゃんがでかい声で、

「いいから食べろ。」

と言ったため、水穂さんは、箸を取って、グラタンを食べ始めた。途中で咳き込んだりすることもあったけど、頑張って食べてくれた。それと同時に、水穂さんの部屋には、何枚か着物がおいてあることに、重子さんは気がついた。

「わあ、見事なお着物ばかり。」

思わず重子さんは言ってしまう。

「男性ものの着物なんて、私は、見たこと無いから、びっくりしました。男性の着物というと、柄のないイメージですけど、そうでもないんですね。」

着物は、葵とか、桐紋などが大きく派手についていた。男性ものにはなかなかない、柄付きだった。でも、どこか、変わっているというか、他の着物には無い柄付きであった。

「水穂さんは、すごくきれいですから、何を着ても似合いますね。イイなあ。」

と、重子さんは言ってしまった。そういうものに、関心があるというのはやはり伝統文化に携わる人なのかもしれなかった。

「お琴教室では、着物を着ている人が多かったんじゃなかったの?」

杉ちゃんが言うと、

「いえ、こんな個性的な着物を着ている人は、初めて見ました。私、先代の鍵山先生と一緒にお稽古したけれど、着物を着ている人がたくさんいたんですが、ああいう柄の着物を着ている人は一人もいませんでした。だから、こんな着物があったなんて、知りませんでした。水穂さんは、変わった趣味があるんですね。」

楽しそうに言う重子さんに水穂さんは、思わず箸を落とした。

「いやあ、そんな楽しんで着るもんじゃないよ。」

杉ちゃんがしんみりという。

「水穂さんが、何をやってきたかで、水穂さんが銘仙の着物を着なければならなかった理由もちゃんとあるんだ。それは、ちょっと口に出しては言えないけどな。」

重子さんは改めて、水穂さんの部屋にある楽譜を見た。

「そうか、、、なるほどね。」

しばらく考えて、重子さんはいった。水穂さんの顔が真っ青になっているのを見て、重子さんは、にこやかに笑った。

「わかりました。水穂さんがそういう環境で生活していたってことは誰にもいいません。大丈夫です。あたしはこう見ても、口が固いので、誰かに言うことはありません。」

水穂さんは思わず布団の上に倒れ込んでしまったが、重子さんは、急いで水穂さんの背中を擦った。それがなにかを感じたというか、何かを学んだというか、そういう事を、感じさせた。

「あたし、がんばりますよ。これからも水穂さんの世話を続けますから。だって水穂さんが、あたしに、とても素敵なことをしてくれたじゃないですか。それがあるから、私は、水穂さんが、私より、立場が悪いなんて、いいません。そんな事絶対思いませんから、安心してください。」

咳き込んでいる水穂さんは、頷く余裕もなかったが、重子さんは急いで、水穂さんに薬を飲ませて、落ち着かせてあげたのであった。

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