挿話 ノアのいない町

ノアが王都に到着したころの故郷の町の様子。


ラウラは母に手を引かれながら、空を見上げる。

「ねぇ、お母さん」

「ん?」

「お兄ちゃん、もう着いたかな?」

ここ数日、ことある毎にラウラは両親にそんな問いかけをしていた。

「そうね、予定通りならそろそろじゃないかしら」

「お土産楽しみだね!」

そして決まって最後はこの言葉で終わる。

「何事もなく無事に帰ってきてくれると良いんだけど」

そして母も決まって、そうつぶやくのだった。


◆◆◆◆◆


ズブッ、と太い針を力を込めて突き刺す少女。

魔物素材の頑丈な革を縫い合わせるのは上位スキル<革細工>を持っていても、大変な仕事だ。

「ふぅ~」

クリスタは額から垂れ落ちる汗をぬぐって一息つく。

いつもならここではらりと横髪が垂れ落ちていたのだが、今日はそれが無い。

「あら?クリスタちゃん、その髪留め可愛いじゃない」

「あ、女将さん」

工房の職人に差し入れに来た女将さんが目ざとくそれを見つけて、クリスタに寄って行った。

いつも若い職人を気にかけて何くれと気を使ってくれる優しい女将さんと評判だ。

「ようやくクリスタちゃんにも春が来たかしら?」

「ちょ、そんなんじゃないっすよ」

ただ、何でもかんでも恋バナにしようとするのが玉に瑕。

以前、ノアがこの近くまで来たついでに様子を見に来たもんだから、女将はノアとクリスタの事が気になって、ことある毎に「あれからどうなの?」とクリスタに声をかけるようになった。

この髪留めの事も内緒にしておかないと何を言われることか、とクリスタは表情に出さないよう警戒していた。


クリスタは夕暮れ時の街並みを歩きつつその日一日の仕事を振り返る。やっぱり革細工は楽しい。

充実感を感じながら、クリスタの手は無意識に髪留めを触っていた。その指先で花の浮彫に触れて形をなぞる。

クリスタの胸の内に、何だか温かいものがポカポカと満ちてきた。

「よ~し、また明日も頑張るぞ!」

急に声を上げたものだから、すれ違うおばちゃんが目を丸くして、その後クスクス笑って通り過ぎていった。


◆◆◆◆◆


「はぁ、困ったわ」

冒険者ギルドの人気受付嬢であるドリスは、今日もため息を吐いていた。

「やぁ、ドリス。美しい君にため息なんて似合わないよ。悩みがあるなら俺に相談してみなよ」

やたらと気障ったらしい銅級冒険者が、髪をファサとかき上げてカウンターにもたれかかった。

「ええ、実は、依頼を請けていただけなくて」

頬に手を当てながら、物憂げな表情で目を伏せる。

「それはいけない。でも大丈夫さ、俺がどんな困難な依頼もこなしてみせるよ。君のためにね」

「まぁ、本当ですか?」

満面の笑みを見せるドリス。

「あぁ、遠慮なく頼ってくれよ」

これはイケる!と意気込む銅級冒険者。

「では、こちらの依頼を受託という事でお願いしますね」

依頼受託票にポンとスタンプを押して男に差し出す。

「ん?”共同トイレの掃除”だとぉ~!」

「あ、もう受託済みなので、失敗するとペナルティありますので、ご注意くださいね」

「…はぃぃ」

項垂れてトボトボと歩く冒険者に、ニコニコ顔で手を振るドリスだった。


「はぁ、あの手この手で雑用依頼をこなしてますが、明らかに発注者からの評価が落ちてますね。完了までの期間も明らかに伸びてます。あ~ん!早く帰ってきて、ノア君!」

ドリスは今日も王都の方角を向いて祈るように手を合わせるのだった。


◆◆◆◆◆


ゴドン!

雑に下された木箱が大きな音を立てる。

「おい、こら!雑に扱うんじゃねぇ!商品が壊れたら弁償してもらうからな!」

依頼主から鋭い声が上がる。

「ちっ、うるせぇな」

冒険者の男は慣れない荷物運びに加え、さっきから文句ばかり言う依頼主のせいで、気分が最悪だった。当然、勤務態度も最悪になっている。

「はぁ、本当に冒険者ってのはろくでもない奴ばっかりだな。あ~、その点ノア君は良かった。礼儀正しいし、仕事は丁寧だし。冒険者なんてやらすにはもったいないよな」

極めつけに、依頼主たちがことある毎に、男が毛嫌いして見下しているノアをこのように褒めちぎるのだから、さらに怒りが湧いて来る。そして仕事はさらに雑になるという悪循環。


「あ~!やってられっか!」

ドカッ!

男が木箱を蹴りつけ、大きな音を立てた!

「おい!何しやがる!」

「知るか!」

怒鳴り声を返すと、男はその場を足早に立ち去った。


翌日、その男がギルドに顔を出すと、受付嬢のドリスが何とも言えない凄みのある笑顔でこう言った。

「支部長がお待ちです。こちらへどうぞ」

男は逃げ出そうとしたものの、いつの間にか背後にグスタフ教官が立ちふさがっていて、逃走に失敗した。


顔が怖いことで有名な支部長の顔が、いつもの3倍ほど恐ろしい形相になっていて、男は既に膝がガクガクと震えていた。

「来たか。君には依頼失敗のペナルティとして雑用依頼を請けさせていたが、ここの所連続で3回、依頼に失敗しているね。しかも最近の2回は依頼主に損害を与えるような失敗だ。ギルドが損害賠償を立て替えたのだが、どのくらいの金額になっているか知っているかね?」

ギロリとその瞳が向けられたため、男は白目をむいて意識を失いかけた。

「ふんっ」

ビシッ!

「はっ!」

後ろに立っていたグスタフ教官が活を入れて正気に戻す。

「金貨2枚だ」

「き、金貨!?」

男は金額を聞いて腰が抜けて、その場にしゃがみこんだ。

「今より2週間以内に返済完了しない場合、君の冒険者資格は剥奪され、ギルドのブラックリストに追加される。この意味が、分かるな?」

その言葉に込められた気迫に、男は再び意識を失いかけ、グスタフ教官に活を入れられた。


男は小鹿のように脚をガクガクさせながら、這う這うの体でギルドから出ていった。

「はぁ~。分かってはいたが、ノア君がいない事がここまでギルドに影響するとは、予想以上だったよ」

「ヘルマンよ。ノアとはあのひょろっこい小僧の事か?」

グスタフ教官はノアの事を詳しくは知らなかった。ただヘルマンに頼まれたから、護身術の基本を叩きこんだだけに過ぎなかった。

「ああ。ここ数年のこのギルドの雑用依頼を、ほぼすべて一人でこなし、しかも依頼主からは最高の評価を得続けていた。たとえ戦闘能力が皆無であっても、彼の能力はこのギルドにとって得難い物だったのだと、改めて気づかされたよ」

強面で表情の分かりにくいヘルマンなのだが、付き合いの長いグスタフには、彼がずいぶんと疲れているように見えた。

戦いの事しか分からないグスタフは、自分では彼の力になれないことに歯がゆい思いをしていた。

(小僧、早く帰ってきてやれ)

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