第6話「微笑」
※改変済み
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『アカリさんは、前の学校ではスポーツとか部活とか、何かやってたんですか?』
『スポーツの経験はないですが、吹奏楽ならやってましたよ』
『吹奏楽! 何の楽器を――』
この時のアカリさんは、いつもの微笑を浮かべていた。
『アカリさんって、どんな音楽聞くんですか?』
『そうですねー。流行りの〇〇とかはよく聞きますね』
『あー! 流行ってますよね、〇〇! 俺も好きで――』
この時のアカリさんは、いつもの微笑を浮かべていた。
『アカリさんって……、好きな人とか、いるんですか……?』
『いないですね。そもそも恋愛に興味が無いので』
『そう、なんです、ね……』
きっぱりとした物言いに項垂れる俺をよそに、この時のアカリさんは、いつもの微笑を浮かべていた。
――デート前日の夜。
俺はベッドに寝転がりながら、過去にアカリと交わした会話を想起していた。教室での会話、廊下ですれ違った時の一言、登下校で偶然会った時の挨拶。どの会話も俺にとっては大切な思い出で、鮮明に記憶されている。その記憶を思い浮かべる度に、その時の喜怒哀楽がありありと蘇るほどに。もっとも、殆どが喜と楽だが。
それと同時に思い出されるのは、アカリの表情だ。いつも変わらぬ微笑。とても自然で人間的で、視線が吸い寄せられてしまうほど美しい微笑。全てを受け止めてくれそうな、聖母のような微笑。
彼女を象徴するような微笑だが、不気味なほどに、それ以外の表情を見せることは滅多にない。どんな場面でも、どんな会話中でも、彼女は常にその微笑を保っている。あたかも、初めから用意された表情であるかのように。
そのことは人間的とは思わない。いっそ機械的とも言えよう。
ただ、一度だけ、彼女が表情を大きく変化させたところを見たことがある。それは、いつかの昼食時――。
食事の邪魔をするように、俺の周りを飛び回る蚊がいた。それを煩わしいと感じた俺は、その時持っていた箸で飛ぶ蚊を摘んだのだ。すると、
『ええ!? 今飛んでる蚊を箸で挟みましたか!?』
『えっ、はい。そうですけど……』
『ほえぇ~』
たまたま通り掛かったであろうアカリは変な声を出して、驚いたように目を丸くしていた。
彼女が大きく表情を変化させたところを見たのはこの時くらいだ。表情に僅かな変化はあれども、微笑でなくなるほどの変化をこの時以外に見たことはない。
俺は、このように彼女の表情が滅多に変化しない理由を知りたい。
ただ、いきなり詰め寄り、それを無理やり暴くような不粋な真似はしたくない。それでは、彼女を守るという真の目的に支障をきたす可能性があるからだ。俺の知識欲を優先したがために、アカリに煙たがられて距離を取られ、その結果として彼女を守ることが出来なかった、なんてことがあれば、それこそ本末転倒だ。
だから、俺は少しずつ距離を詰め、ゆっくりと時間を掛けて彼女のことを知ることにした。その第一段階が今回のデートだ。
え? 第一段階からいきなりデート!? そう思ったそこの君。その反応は正しい。実は、俺も想定外だったのだ。
俺もまさか、デートの誘いが受諾されるとは思ってもみなかった。俺とアカリの間に密接な関係がある訳でも、特段仲がいい訳でもない。彼女が首を縦に振る理由に思い当たる節がなかったため、てっきり断られるとばかり思っていた。
しかし、実際、奇しくもデートの誘いは受け入れられた。普通の人なら理由がわからないことに慌てるだろう。だが、俺はこの道のプロだ。謎だらけのアカリに『なぜ』と疑問を抱いた回数は数知れない。こんな疑問は今更だ。それ故、慌てなどしなかった。
俺は不思議な現実をありのまま受け入れ、些か飛躍した気もするが、デートの準備を進めてきた。
そして――、
「緊張して寝れねええ!!」
――今に至る。
ベッドに入って早くも2時間が経った。その間ずっと目を瞑り、寝ようと努めてきた。しかし、瞼の裏に浮かぶのはアカリの姿と明日への不安。どちらにも交感神経が刺激され、すっかり目が覚めてしまったのだ。
俺は上体を起こし、部屋に視線を巡らす。ソワソワと落ち着かなかった今日の訓練後に掃除をしたため、床に散らかっていた洗濯物などは片付けられている。カーテンの隙間から漏れた街明かりに青く色づけられた床は、少し幻想的だ。
扉の横を見ると、明日着る予定の服がハンガーに掛けてある。それを見て、
「降って湧いたチャンスだ。無駄にするわけにはいかない」
俺はそう思い、再び瞼で視界を閉ざした。絶えぬ不安感に心を突かれ、緊張で体を強張らせながら。
---
――翌日。
とある駅前。燦々と降り注ぐ日光の反射に目を細めつつ、辺りを探る。
「大丈夫かなぁ……。ちゃんと来るかなぁ」
俺は不安と闘いながら、約束した待ち合わせ場所でアカリの到着を待っていた。
現在時刻は午前11時。待ち合わせの時間の30分前だ。結局3時間ほどしか睡眠が取れなかった俺は、不安を抑えるために朝からランニングに出掛けた。しかし、帰宅してからも居ても立っても居られなかったため、予定よりも随分と早くに家を出てしまったのだ。
ただ、心配は不要だったようで、集合時間の5分前になると……、
「お待たせしました!」
スマホと睨めっこしていた俺は、横から掛けられた声に心臓が跳ね上がった。慌てて振り向き、
「うおぉ~」
そこに立っていたアカリの姿に思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
黒色を基調としたドレス風のワンピース。紅蓮の髪を更に鮮やかに引き立てる黒い衣に包まれた彼女は、お嬢様を思わせる上品な雰囲気を纏っている。多岐に渡る色や素材のアクセサリーは、無造作に散らばっているように思えるが、実際はそうではない。夜空に浮かぶ星のように、暗い印象を与える黒い服を煌煌と照らしているのだ。
美しく調和の取れた色合い。それが彼女の生まれ持った美貌を何倍にも輝かせ、見る人の、特に俺の心を奪う。
「ぁ……ぁっぁ……」
「大丈夫ですか!?」
「っとごめんなさい! 危うく心停止するところでした」
「冗談やめてくださいよ!」
アカリの美しさに心を奪われ、呼吸すら忘れて死ぬところだった。アカリを見つめたまま固まる俺に、彼女が声を掛けてくれなかったらどうなっていたことやら。危ない危ない。
なんて冗談はさておき、まずやるべきことがある。
「今日の服装、よく似合ってます!」
「ほんと? なら良かったです」
まず服や髪型を褒めるのが基本だと勉強したため、早速実践したが……、あまり効果はないようだ。彼女はいつもの微笑を保っている。
それにしても、まさかアカリがここまで気合を入れた服装で来るとは思わなかった。ただのクラスメイト相手にこんなドレスのような服って。相手が俺でなければ、自分に気があるのかと勘違いするぞ。……いや、待てよ。本当に勘違いか? この服装に、デートの承諾。実際は俺に気があるのではないか?
「そうだったら、マジで嬉しい!」
甘い期待を抱きながら、俺の初デートが始まった。
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まず始めに、駅内の店で軽く昼飯を済ませると、俺たちは映画館へと向かった。土曜日ということもあり、映画館はそれなりに混雑していたが、これといった不自由もなく映画を観ることが出来た。
観た映画は、現在話題沸騰中のコメディ映画だ。思わず吹き出してしまうシーンが多く、俺は何度か声が出てしまうほど笑ったが、アカリはそんなシーンを前にしても微笑のままだった。
微笑も笑顔の内の一つだ。一見すると、笑顔で映画を楽しんでいたようには見えたが、実際どうだったかは正直なところ分からない。
映画を見終え、手持無沙汰になった俺たちは近くのカフェに入ることにした。
映画館のすぐ横にあったこぢんまりとしたカフェだ。インスタ女子が気に入りそうな小洒落た内装に、メニューもスイーツが豊富だった。アカリが選んだ店だが、彼女も初めて来たのか、物珍しそうに店内を見回していた。
俺たちは店の奥の方の席に座ると、ややあってから店員が注文を取りにきた。俺とアカリはそれぞれ欲しいものを注文すると、それらが届くまでの間に少し空いた時間が出来た。
ここまでの数時間で、アカリは一度も表情を崩していない。僅かに感情が現れることはあれど、常にいつもの微笑を浮かべていた。その上、会話の内容もどれも当たり障りのないものばかりで、新しいことは何も得られなかった。
「やはり、もう少し踏み込まないと駄目か?」
今日のアカリは、学校でのアカリと何一つ差異がない。このまま普通の会話ばかりしていては、学校でのアカリ以外のアカリが顔を出すことはあるまい。それでは埒が明かないと思った俺は、核心を突く、というほどではないが、核心を掠める程度の質問をすることにした。
「あの、アカリさん」
「はい、なんですか?」
神妙な面持ちで声をかける俺に、アカリはいつもの微笑で答えた。
「アカリさんって、何でそんなにしっかりしてるんですか?」
我ながらに変な質問だ。だが、言葉選びが苦手な俺には、核心に迫りすぎず、かつ核心から離れすぎない質問は、この程度のものしか思い浮かばなかったのだ。
「そうですね~。もともとの性格の問題もありますし、あとは……、昔からよく学級委員をやってきた、というのもあります」
アカリは表情を変えない。俺は彼女の顔をジッと見ながら話を続ける。
「なるほど、学級委員やってたんですね! 俺は学級委員なったことないんですけど、やっぱり大変なんですか?」
「それなりに大変ですけど、人と仲良くするのが好きなので、それを苦とは感じなかったですね」
アカリは表情を変えない。
「確かに、アカリさん人と仲良くなるの上手そうです! うちに転校してきた時も、すぐクラスの皆と友達になってましたもん」
「まあ、初対面の人と仲良くなるのは得意です」
アカリは表情を変えない。
「どうすれば、初対面の人とうまく喋れるようになるんですか?」
「それは……、私は昔から親の仕事の都合で転校を繰り返してるので、自然と……」
――遂に、アカリの表情が変化した。
一瞬。ほんの一瞬だ。頬のあたりがピクッと動いた。遂に、彼女の微笑にヒビが入ったのだ。
――表情が変わった! 聞くなら、今しかない!
俺は彼女の表情の変化に嬉々として、最後の一歩を踏み込む。
「アカリさんって……、何でいつも笑顔なんですか?」
「――――」
アカリは答えない。ただ、期待通り表情は変わって……、
――あれ? 表情が変わっていない?
なんと、彼女の顔にはいつもの微笑が張り付けられていた。
この質問でアカリの新しい一面が顔を出すかもしれないと胸を膨らませていたが、この程度のことでは揺るがないようだ。もしくは、攻めるベクトルが間違っていたか。
何にせよ、今回は失敗だ。
しかし、彼女の口は依然として閉じたままだ。きっと、答えづらい質問だったのだろう。
「ごめんなさい、変な質問しました。忘れてください」
「……いえいえ、気にせず」
謝罪と前言撤回をすると、アカリは特に気にしてない様子で答えた。
その後、注文していた品が到着し、何気ない会話をしながら食べた。
――その間中、なんだかアカリの口数が少なく感じたのは、きっと俺の気の所為だろう。
---
――夕方。
デートが終わり、現地解散した俺は駅へと向かっていた。アカリは家がこの近所だということで、駅とは異なる方面に歩いていったため、帰り道は一緒ではない。
さて、デートの感想はと言うと、デート自体は楽しいものだった。好きな女の子と二人きりの時間を過ごす。そんな誰もが憧れる出来事を経験し、気分が上がらない男などいまい。
だが――、
「はぁ……」
黄色に淡く染まり始めた空の下を歩きながら、俺は溜息を付いた。
――結局、このデートでやりたかったことリスト第一位と第二位――アカリの微笑の理由を知ることと、彼女の新しい一面を見ることはどちらも叶わなかった。
分かっていたことだが、アカリの普段と異なる一面を引き出すことは難しい。生半可なことでは新しい彼女を知ることはできなかった。今日は、その難易度の高さを改めて思い知った一日だった。
――ピロン!
今日のデートを顧みている傍から、スマホの通知音が鳴った。
「誰だろう、こんな時に……、って、おお!」
ポケットからスマホを取り出して、画面を見るとそこには、
『アカリ:あの』
アカリから短いメッセージが届いていた。続いて用件が送られてくるだろう、そう思った俺はホーム画面と睨めっこしながら言葉の続きが送信されるのを待つ。だが、数十秒後、
『アカリ:やっぱりなゆでもないです』
前言撤回の旨を伝えるメッセージが届いた。俺は首を傾げて、文章を読む。
「しかし……。誤字をするとは、かなり焦って書いたのか?」
数週間ほど、アカリとはメッセージのやり取りをしてきた。しかし、その中で彼女が誤字をすることなど一度もなかった。
俺はその点も考慮すると、途端に不安に襲われた。あるいはあのメッセージは、アカリの身に危険が及んで、助けを呼ぼうとして送ったものなのではないか。満足に文字を打つ余裕すらない、緊急事態なのではないか、と。
もちろん、ただの杞憂だという可能性のほうが高いし、そうであって欲しい。
ただ、もし本当にアカリが緊急事態に見舞われていて、助けが必要な状況だとしたら。それで俺に助けを呼ぼうと思って、そんな状況でも躊躇したということは――、
きっと彼女は俺を、助けを求めるに足る人物だと見做していないのだろう。
――ああ、情けない。
俺がアカリを助けることが出来る程の強さを示していれば、俺が常にアカリの側に居ることが出来る程の関係性を築けていれば、この事態は避けられたに違いない。アカリとの関係性が一向に進展しなかったことの始末が、このような形で現れたことが酷く不甲斐ない。
全身を支配するうずうずとした口惜しさに、思わず拳に力が入ってしまう。
だが――、
「今は、ここで燻ってられる場合じゃない」
俺は自己嫌悪に心が沈む前に、理性の部分で自分にそう言い聞かせる。自分の頬を、ペチンッと乾いた音が響くほど強くビンタし、心を入れ替える。一発では足りなくて、何度も何度も頬を叩いた。その痛みを噛み締め、悔しさから覚めた自分を叱咤する。
――今は、もっとやるべきことがあるだろ!
俺は走り出した。目的地は映画館だ。カフェの近くで解散した時に、彼女が歩いていった方向が映画館のある方角だったからだ。
あっという間に映画館の玄関に到着し、俺は辺りを探る。周囲は人で溢れていて、この中から手探りにアカリを見つけ出すのは至難の業だ。それに、既にここより先に進んでいる可能性のほうが高い。
俺は走りながらアカリにメッセージを送ったが、その返信はおろか、既読すら未だに付かない。
一言、『本当に大丈夫だ』と送って貰えれば安心できるのに。それすら送れないということは、彼女が実際『大丈夫ではない』ことを示唆するではないか。
「くそぉ……」
彼女の家の場所を知らないため、進む先の手掛かりは一切ない。周りの人に目撃情報を聞いて回るのは、あまりに効率が悪い。
俺は必死になって足りない頭を回すが、良い策は何も思いつかない。
時間がない。そう思って焦って思考するが、焦れば焦るほど更に頭が真っ白になるだけだ。
飛び交う喧騒の中、遠くを走る救急車のサイレンだけが、やけに煩く俺の空っぽな脳内を木霊する。それが、俺の惨めさを嘲る嗤い声に聞こえて、自分に酷く嫌気が差した。
無策で走り出す馬鹿な俺に、情報はゼロ。状況は最悪だ。それでも、諦めるにはまだ早い。どこぞのヒーローならそんなことを言うかもしれないが、正直、俺は諦念感に打ち拉がれている。諦め半分で、俺は選択肢から除外していた最後の、言ってしまえばなけなしの手段を取ることにした。
――プルルルルルル!
メッセージに既読すらつかない状況だ。電話に出られるはずがない。だが、藁にも縋る思いで、アカリにビデオ通話を掛けた。息を呑み、出てくれることを願いながら画面を睨み続けると……、
――プチ!
なんと、繋がった! 繋がったのだが……。画面の中の世界は天地がぐるぐると回っている。否、逆だ。スマホがゴロゴロと地面を転がり跳ねているのだ。
画面の中はそんな奇怪な光景でありながら、俺は思わず口角を上げてしまった。なぜなら、
――ピーポーピーポーピーポー!!
スマホの中から、爆音で救急車のサイレンが流れていたからだ。
俺は走る。サイレンの鳴っていた方へと一直線に。
一秒でも、一瞬でも、刹那でも早く到着せんと、地面を蹴り、地を跳ね、足を回す。走って、走って、走って、伸びた自分の影すら追い越す速度で駆け抜けると……。
――視界を掠めた。
建物の塀に挟まれた、細い裏道。そこの壁際に座り込む赤い少女と、詰め寄るむさ苦しい男が――。
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次回、アカリについて深掘りします。お楽しみに。
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