変わらぬ心

 「……聞き……間違い……かな?説明してくれるよねユシャ……。今、なんて?」


 生唾を呑み込む。そのプレッシャーに呑み込まれそうで、思わず間違いだったと訂正したくなるくらい。だが、俺はここで否定するわけにはいかない。


 「だ、だから俺はルブレのことが好きなんだよ!惚れてしまったんだ!」


 怯えているルブレを逃げ出さないように抱きしめる。今、俺の傍から離れるとトウコに殺されかねないからだ。


 「私、ルブレちゃんと二人きりで話がしたいな。ユシャは今、魔王の手でちょっと頭おかしくなってるんだよ。」

 「いいや正常さ。何なら今、ここでキスしてもいいぞ!!」


 空気が滅茶苦茶重たい。息苦しくて窒息死しそうだ。トウコの瞳がルブレではなく俺へと移る。その表情は怒りや憎悪に満ちあふれているわけではなく、ただ無表情。故に何を考えているのか分からない恐怖感があった。じっと俺の目をトウコは見ている。


 「待て待て、余が完全に蚊帳の外ではないか。ストーカー女、余はなれを殺しに……。」


 魔王がトウコの肩を掴み引っ張る。力なくトウコはなすがままに魔王の方へと振り向く。魔王は閉口した。涙を流している。目から頬を伝う一筋の光。顎を伝いこぼれ落ち続けている。先程まで見せていた魔王のような気配は完全になく、それは年相応の外見に違わない、ただの少女の姿だった。


 「うっ……いや……その……あぁそういえば用事があったのを思い出した!余はこれで失礼するぞ救世主様!」


 気まずい様子で魔王は消え去っていった。トウコは脱力しきった様子で、下を向き呆然と立ち尽くしている。流石に良心の呵責が限界を迎えたので、俺はトウコの肩を叩く。


 「あの……トウコさん……?今の嘘だから、その……悪いと思ってるよ……本当にごめん……。」

 「う……そ……?」


 掠れた声でトウコは確認するように反復する。


 「う、うん……ただそうしないとトウコはあのまま魔王と戦って殺されてたから……仕方なかったんだよ……あの……むかついたなら俺のこと二、三発殴っていいから機嫌直してくれないかな……?」

 「う、嘘だったんですか!?お、お、驚かさないでください!!」


 後ろでルブレが驚いた様子で叫ぶ。トウコはこちらを向かない。それどころかそのまま走り去っていった。


 「最低ですね。いやクズといった方が良いでしょうか。」


 辛辣な意見。メイは冷たい目で俺を見ながらそう言う。だが仕方ない。正論すぎて言い訳のしようがない。


 「ま、待ってくださいメイさん!ユシャはトウコさんの命を助けたくて嘘をついたんじゃないですか!わ、わ、私は別にかまわないです!な、何も悪くないよ!!」


 ルブレは擁護してくれるがメイはやはりため息をついた。


 「そんな単純な話ではないでしょう。ルブレさん、私たちはしばらく喫茶店なりで時間を潰しましょう。そしてご主人様はトウコ様を追いかけてください。彼女はおそらく宿の自室にいます。そうですね……三十分くらい時間を置いてから行ったほうが良いです。」

 「え……でもこういうのは急いで行ったほうが良いんじゃ……。」


 再度のため息。やれやれと、乙女心を理解していないユシャに対して心底メイは呆れた様子だった。


 「トウコ様はご主人さまが思っているよりも強い女性ですよ。走り去ったのは、単にご主人さまに"今"は顔を見せたくなかっただけです。恋をしている乙女の気持ちを理解してあげてください。」


 強いと思ってるけど、俺が思うより更に強いのか……。だがメイの忠告には素直に従ったほうが良いだろう。俺は時間を見計らい宿の、トウコの部屋の前まで来た。ノックをする。


 「トウコー?いるかー?」

 「ゆ、ユシャ!?どうしてここにいるって……ううん、いいよ、鍵はかけてないから入って。」


 部屋に入る。造りは俺の部屋と同じ構造。横になるベッドと簡易な机がある程度。宿の部屋の造りなんてどれも同じようなものだから当然だ。違いがあるとすればトウコの荷物が散らばっていること。化粧道具のようなものが床に転がっている。


 「改めて本当にごめん。嘘をついて。」


 俺は真っ先に頭を下げる。言い訳はしない。事実としてトウコを傷つけたのは事実だし、まずは真摯に謝罪をするべきだと思ったからだ。


 「か、顔をあげてよユシャ。私は怒ってないよ。さっき話したじゃない。私が死ぬのが嫌だから仕方なく嘘をついたって。私こそごめんね、ユシャの意図を何一つ理解できなくて、勝手に気持ちが暴走して……。」


 メイの言うとおりだった。トウコは気にしていない。俺の言葉は届いていて安心した。安心して顔をあげる。

 俺は唖然とした。思わず言葉を失う。彼女のこんな姿を見たのは、初めてだからだ。


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 「あ、あれ……お、おかしいな。分かっているのに。頭では分かっているのに。どうしてまだ流れるんだろう。ご、ごめんねユシャ。私、ユシャの言う事、信じてるよ。本当なの。ただ……ただ……ユシャのあの言葉が脳裏に離れなくて……思い出すたびに……あ……はは……。」


 懸命に笑いながら誤魔化しているが、止まらない。トウコの目から涙がこぼれ落ち続ける。俺は改めて、自分のしたことに、最低なことをしたということを自覚して、心が痛む。


 「本当にごめんなトウコ……もう絶対に、こんな傷つけるような嘘はつかないから。」


 そっとトウコに胸を貸す。トウコはそれに応えるように腕を俺の背中に回した。優しく、こわれ物を扱うかのように、そっと。


 「えへへ……あったかい……あの頃と……全然変わらないねユシャ。」


 人並み外れた力を身に着けていようが、中身は、その精神性までは変わらないのだ。年相応の少女であることに変わりはない。俺は大切な友人を二度と裏切らないと心に誓った。



 魔王城の私室。魔王は気まずさから帰還したものの、救世主様をつい残してしまったのが気がかりで、首輪に仕込んでいた撮影装置で様子を伺っていた。


 「ちょっとどういうことだよこれは!私、当て馬みたいじゃないか!!」


 そう、一部始終すべて見ていた。


 「みたい……というか当て馬そのものですね王様……色々と悪手をとりすぎですよ。そもそも何でルフトラに行ったんですか……。」


 映像投射装置を見ながら悶えている魔王に対してスフレは呆れた様子でそう答える。


 「だって仕方ないじゃないかぁ!見知らぬ土地だと救世主様も不安だろ!?それにルフトラは人間の街にしては平和で発展もしているから、今日みたいな用事には丁度良かったんだよー!」

 「その結果、救世主様を失っては意味がないですね。」

 「言うなぁー!あーもう仕方ないさ。私としても嫌がる救世主様を城に無理やり滞在させるのは気ではなかった!はぁ、考え直さないとね。」


 今回の救世主の篭絡。一筋縄ではいかないことは分かった。時間をかけてじっくりと落とす必要がある。映像を見るとまだ二人は仲良くイチャついている。ため息をつきながら魔王は装置を解除した。


 「ところで調教ってなにするつもりだったんです?」

 「え?ほらこの城のことよく知ってもらって、良いところだと分かってくれたら協力してくれるかなぁ……って」


 呑気な魔王の考えにスフレは思わず呆れ返った表情で失笑する。


 「あぁー!その態度、不遜!!」


 子供のように声を荒らげて頬を膨らます魔王の姿には威厳の欠片もなかった。それもそのはず、彼女は元々魔王ではなくただの令嬢だったのだから。

 だが魔王を名乗るようになったのだから、その"らしさ"というのを身に付けて欲しい……と思う反面変わらぬ彼女を見てスフレの頬は緩んだ。



 ───深夜。常に賑わいを見せるこの町も流石にこの時間だと人通りも少なくなる。周辺の魔物も高い壁に覆われているこの街には入ってこれない。夜勤をしている衛兵たちも気が緩んでいた。

 交代の時間がやってきたので衛兵は宿舎へと戻っていく。今日も何事もなし。平和なものだった。彼の仕事は丘の上での警備。港町であるこの街の近くには周囲を見渡せる高い丘がある。魔物が侵入してこないよう見張るべき重要地点。もっとも近くに衛兵の詰め所があり、魔物避けの松明もあるため、備えは他よりも万全。

 丘を下り彼は自宅への帰路へとつく。いつも見慣れた道。だが今日は少し違った。


 「あれ……おかしいな……。」


 海岸線の形状が少し変わっている気がする。いやしかし夜中。月明かりしかない、ほとんど見えない夜。そんな違和感は気の所為だろうと、そのときは気にも留めなかった。

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