這い寄る無数の黒き蛇

 港町の賑わいはいつもと変わりない。つい先日、魔王と邪滅龍エルドラがいたというのに、そんなことはもう遥か昔のことのように、人々は安寧を満喫していた。

 だがしかし、そんな中、まるで通夜のように沈んだ様子で街を歩く者たちがいた。そうトウコたちである。

 ユシャが魔王に攫われたことを知ったトウコは半狂乱となりて、魔王を追いかけると、魔王城の場所をメイや周りの者達に詰め寄っていた。だが魔王城の居場所は海の向こう。知ったところで船を出さなくてはいけない。港町ルフトラに来た目的はつまるところ、魔王のいる大陸に移動することなのだから。

 そして船は未だ手配中。今もユシャが魔王によって囚われの身となっていると思うと、頭がおかしくなりそうな気持ちで一杯だった。そんな中、聞き覚えのある声が、忘れるはずもない声が聞こえた。


 「おーい、救世主様ー?どこにいるー?あまり私を困らせないでくれよー?」


 それはあまりにも平然に、我が物顔に、この街を歩いていた。

 魔王、忘れるはずもないその顔。メイが苛立ちで食いしばるのと同時に、トウコは駆ける。目標は当然魔王。完全な、ありったけの殺意をこめて殴りかかった。

 だが、その拳は届かず。あのとき同様、魔法陣のようなものが宙に浮き防がれる。


 「おや、お前たちはあのときの。まだこの街にいたのか。」

 「このメスブタ、今すぐ殺す。」


 魔法陣を突き破ろうとトウコは猛攻を繰り出すが何一つ届かず。魔王は涼しい顔でトウコを見ていた。


 「哀れな女よのぉ。叶いもしない望みをもって、現実から目を逸らし続けるその様は哀れこの上ない。」

 「はぁ゛?いいからユシャを返しなさいよこの売女。」


 トウコの言葉に魔王は待っていたと言わんとばかりに笑う。


 「救世主様なら、とっくに余に屈服したぞ?昨日もともに食事を楽しんだばかりよ。」


 勝ち誇るように魔王はトウコに対して言い放つ。だがトウコの表情は若干であるが和らいだ。思っていた反応と異なり魔王は少し戸惑う。


 「よかった……ユシャは無事なんだ……本当によかった……。」


 まずはユシャの生存に、食事をとれるくらいには問題のない状態であることにトウコは安堵した。最悪の想定、すでに死んでいたという話はなくなったことが、トウコにとっては何よりも救いだった。

 そんな反応が魔王にとっては少し気に食わなかったのか、ムッとした表情を一瞬浮かべ更に魔王は言葉を続ける。


 「あぁ、そうだとも無事だぞ?何せ余に忠誠を誓ったのだからな。いや、それ以上か?余もあやつの情熱的な態度にはつい圧されてしまってな、一夜の契りも交わしたよ。ふふ、救世主様は甘え上手なのだな、なぁ知っていたか?あぁそういえば言っていたぞ、厄介なストーカー女につきまとわれていて困っているとな。」


 魔王の言葉にルブレは耳まで真っ赤にする。メイは舌打ちをしていた。だがトウコは表情何一つ変えず即答した。


 「は?ユシャがそんなことするわけないし、言うわけないでしょ。ストーカーなのはお前だろ。虚言癖のあるところなんて典型的ね。」

 「なっ……ストーカー……!?わ、余が!?……くっ……クク……本当に哀れよな女。現実逃避の末のレッテル貼りなど、惨め極まりない。あぁいい話のネタができたよ、今夜、床の上で救世主様と先のことを話そう。」

 「ユシャの黒子の位置、答えなさいよ。」

 「は?」


 突然のトウコの言葉に魔王は混乱する。黒子の位置?何故そんなものが突然話に出るのか理解できなかった。


 「ユシャを抱いたんでしょ?なら知っているよね黒子の位置。」

 「ば、馬鹿!そんなの覚えていないわ!大体、お前だって知らないだろう!!」

 「知ってるよ。私、ユシャとお風呂に入ってたし。ずっとユシャの裸を見てたからどこに黒子があるのか、どこが弱いのかも全部知ってる。確かにユシャって甘えたがりなところはあるよね。うん、それにちょっと敏感なところもあるの。大体、全部触ったんだけど、ビクリと痙攣したように反応したりして、特に弱いところをなでると反応が凄くかわいいの。私もついつい意地悪な気持ちになって、何度もお風呂の時は撫で回したりしたけど、流石に数十回くらいしてから不快感を露わにするようになったから自重するようになったなぁ。もっとユシャのこと触りたかったけど、嫌われたら私、生きていけないし、本末転倒だもんね。でも謝ったら許してくれたし、それからは対して弱くないところをさりげ無しに触ることにしたの。でもね、突然一緒にお風呂に入らなくなったの。ユシャから入りたくないって。ひどいよね、私はこんなユシャのことが大好きで一緒にお風呂に入るのはお泊りの時の楽しみだったのに。でもそれもユシャから理由を教えてもらったから今は嬉しい思い出なの。まぁ子供の頃の話だから弱い場所は変わってるかもだけど黒子の位置は昔と変わってなかったね。」


 絶句した。言葉が出なかった。さも平然と子供の頃の話を持ち出すこの女に。というより子供の頃からそんな黒子の位置を覚えるくらい、同じ年頃の男の子の裸体を凝視していたその異常性に。どこが弱いかも知っているということは、おそらく風呂場ではわざと幼い救世主様の様々な部位を触っては反応を見て、それを全部記憶していたのだ。

 正直言って魔王は完全にドン引きしていた。気持ち悪い。同性の、無関係の自分でさえそう思うのだ。救世主様はこんなのを毎日相手にしていたのか。


 「ほら知らない。私の勝ち。大方ユシャに相手されないから、妄想で恋人である私に対してマウント取ろうとしたんでしょう?"哀れな女"。」


 魔王は震えていた。哀れな女……だと……?この女は、私を魔王としてではなく、一人の女として、負け犬を見るような目で侮辱するというのか。許しがたい屈辱。だが挑発に乗ってはならない。幸い切り札はこちらの手にある。


 「ふ、ふふ……吠えるが良い。だが理解しているのか?お前が"勝手に"恋人を自称している救世主様は余の手中にある。あとで語り合うとするさ、ストーカー女に無茶苦茶なことを言われたとな!はん!お前は一人だが余には救世主様がいるのだ!これは妄想ではなく事実だろう!!」


 ギリッ……!歯ぎしりの音が聞こえる。トウコだ。ユシャは今、魔王に攫われている。それは確かに否定しようのない事実。だがそれ以上に、トウコにとってはこの魔王によってユシャが辱めを受けないか、ただそれだけが不安要素であった。

 そしてその事実こそが、やはり魔王の勝ち誇るような表情として現れるのだ。

 両者にらみ合いが続く中、ルブレは建物の角に隠れながらこちらの様子を見ている不審な人物に気がつく。それはすぐに何者か分かった。満面の笑みで叫ぶ。


 「ユシャ!ユシャだよね!!ここにいたんだ、探したんだよ!!」


 皆を無視して建物の角へと駆け出す。そして思いっきり飛びついた。


 「ば、ばか……!滅茶苦茶まずいって今は……!」

 「ユシャ!よかった!本当によかったよ……私、どうにかなったと思って……あの日からずっと不安で不安で……本当によかった……あぁ本物なんだよねこの温かさ……。」


 涙ぐみ抱きつくルブレを見て俺は何も言えなかった。心配をかけたのは事実だ。不安にさせたのも。だから……ルブレのこういう行動は理解できる。……ただちょっと今は不味い。凄く視線を感じるが敢えてその方向から目を逸らして、ルブレの頭を撫でる。


 「悪かったなルブレ……ただいま。じゃあとりあえず、俺たちの宿に戻ろうか。」

 「待ちなさい。」


 感動の再会、そして大団円ということで、このまま自然に宿に戻ろうとしたのだが、やはりそれは許されないことだった。いつまでも目をそらすわけにはいけない。俺は声の主、魔王とトウコの方に目を向けた。

 魔王は俺を睨み、トウコは潤んだ目で嬉しそうな表情でこちらを見ている。今ほどトウコの視線に安堵したことはない。


 「忘れたのか救世主様?汝は余の所有物。勝手に離れることは許さぬぞ。少し折檻が必要なようだ、ひとまず私たちの城に戻るぞ。」


 いつのまにか所有物になっていたようだ。自覚がない。さりげ無しに私"たち"と言ってるのも怖い。俺は城に住む気はないのに。


 「これだからストーカー女は醜いものね。ユシャと私は愛し合っているの。恋人同士という現実をいい加減に認めたら?私たちの愛は誰にも断ち切れないの。」


 いつのまにか恋人になっていたらしい。俺のいない間になにがあったのだろう。少なくともトウコと出会ってから十年以上経ってるが恋人になった記憶は一度もない。


 「やはり此れはここで殺すべきだなストーカー女。余に対する度重なる侮辱、そして余の所有物を略奪しようとする不敬。断じて許されない。」


 二者の間の空間が歪む。お互い臨戦態勢に入ったようだ。巻き込まれれば間違いなく死ぬ。それを確信させるほどの空間の歪み。

 だが俺としてはこの状況はまずい。トウコは魔王には勝てない。それは今までのやりとりから明白だった。恐らく魔王は本気でトウコを殺すだろう。殺されると分かっていて、黙ってみているわけには行かないのだ。どうにかして今の状況を止めなくてはならない。だが……どうすれば止まる?トウコはともかく魔王は最初からトウコだけは殺すことに拘っていた。恐らくはトウコの力を危惧してのもの。ならば魔王にとって、トウコは無力であることを証明すればあるいは……!


 「聞いてくれ!!大事な話があるんだ!!実は俺……好きな人がいるんだ!!!」

 「ユシャ……そんなの分かりきってるから、今言わなくても大丈夫だよ。」


 既に答えは分かりきっている。そんな様子でトウコは魔王を見据える。だが魔王の方は少しこちらに注意が向いた。


 「俺……実はルブレのことが大好きなんだ!愛しているんだ!!一目見たときからッ!!!」


 隣にいるルブレを抱き寄せる。ルブレは一瞬なんのことか理解できなかった様子だが、耳まで真っ赤にして「え、えぇぇぇぇえぇ……」と小さく叫ぶ。

 瞬間、辺りが闇に染まった。否、闇に染まった気がしただけだ。何も起きていない。だが身体は突然動かなくなり、まるで自由が利かない。


 「……は?」


 トウコが魔王から目を逸らしこちらを見る。どんよりとした、絡みつくような瘴気が俺の身体を這う。まるで無数の蛇に絡まれているような、そんな感覚を思わせる。一歩、一歩少しずつトウコは俺の方へ近づいてくる。

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