魔王との駆け引き
気がつくと俺は見知らぬ場所にいた。寝かされている。ふかふかの感触が気持ちいい。ホテルやルブレの自宅でこの世界のベッドを体感したが、段違いだった。沈むように柔らかく、それでいて程よい弾力。それはまるで天上の雲の上にいるよう。かけられた布団は羽毛のように柔らかく、そして軽い。俺の身体を優しく包容する天使のようだった。
このままずっと横になりたい……そんな楽園とも言えるほどに、このベッドは至極の感触だった。寝返りをうち掛け布団を抱きしめる。いい匂いがする。こんな極楽、誰だって二度寝をしてしまう……。
「起きたようだな。疲れが溜まっているようだけれども、二度寝は駄目。健康によくないよ?」
女性の声がする。聞き覚えのある声だ。誰だったか、いつ聞いたか……。
思い出した。俺は飛び起きる。そして声の方に振り向くと、そこには魔王がいた。俺は魔王と対峙して、大衆の前で無様を晒して、それから……それからどうなったんだ……?
「おはよう、救世主様。よく眠れたかな?そのベッドは普段は私が使っているもの。快適性は最高のものだと自負している。さぞやいい夢を見れたことよ。」
魔王の……目の前の女性が普段使いしているベッド……だ……と……?恐れ多い感情とちょっぴり嬉しい感情が入り混じってよく分からない気持ちで満たされる。
いや、しかし待て。普段使いしているベッドと言ったか。ということはここは……。
「お、その表情……気が付いたようだな。ようこそ救世主様、魔王の城へ。」
ここは魔王の城。港町より遥か遠く、人類未踏の地。魔王領地の中心部。本拠地。怪物の胃の中に俺はいた。
「そう身構えるな。殺すつもりはない。それに脅すつもりもない。それは謁見の間ではなく、私の寝室に汝を招き、私のベッドを使わせ、こうして私服で汝の前にいることで証明になると思ったがまだ不足か?」
確かにそれは一理ある。拉致しておいて丁寧に拘束もせずベッドに寝かせるどころか自身の寝室に招き入れるというのは、どうも丁寧すぎる。服装もギルドの時とは違う、まるで大切な客人を保護するかのような振る舞いだった。
俺が落ち着いたことを察したのか魔王は指を鳴らすと、メイドが入ってきた。何やら荷物を持っている。魔王はその荷物を手に取り、状態を確認する。
「あぁ、これが何か気になるか?こいつは映像投射装置。これの前で起きた出来事は映像として記録される。そしていつでも再生できるというものだ。」
つまりビデオカメラのようなもの。それを魔王はメイドに指示してベッドに座る俺の前でセッティングを始める。魔王は紙切れをとって俺に渡した。
「汝の力は先程、十分に理解した。断言しよう。今の汝では私の足元にも及ばない。殺し合いをするというのなら、瞬きすらする前に死に至るであろう。そんなのは……嫌であろう?私の言う事を聞いてくれるなら、その命を保証しようではないか。」
思い切り首を縦に振る。魔王は提案しようというのだ。俺が生き残る道を。俺の態度に気を良くしたのか、魔王は立ち上がり俺のとなりに座る。不謹慎なのは分かっているが、少し胸が別の意味で……いや正しい意味で高鳴る。
「あの装置の前でその紙に書かれていることを私と一緒に映りながら言えば良い。簡単なことであろう?」
渡された紙切れにはこう書かれていた。
『私、ユシャは人類の救世主として魔王様に果敢に挑みましたが、魔王様の圧倒的力の前に負けてしまいました。ここは魔王城です。一生敵わないと理解させられた私は魔王様に永遠の屈服と忠誠を誓いました。人類の皆さんごめんなさい。』
それは俺が魔王に完全降伏を告げるもの。救世主としての尊厳を完全に捨て去るものだった。まぁ俺には元からそんなものはないけど。
「いやな?人類どもは懲りもせず何度も救世主救世主と刺客を送り込んでくるのに嫌気がさして。ここらで完全に心を折るのが良いと思ったのは良いものの、ある程度、救世主として箔がついたものを堕とす方が良い。そう思った矢先に汝の登場だ。幹部が殺されたのは痛手ではあるが……必要な犠牲と考えれば悪い話ではない。あぁ、表情は適当で良いぞ。あとで編集する。絶望し無理やり笑わされているような表情にするつもりだ。そして全人類に公開する。ふふ……今から楽しみ。」
こんなもの全世界に公開したらトウコは本気でキレて魔王城に単身乗り込んできそうだ。いや、トウコだけではない。要求を呑んだ後、俺はどうなるんだ?そのあとの人類は?こんなビデオを撮影したあと、俺は用済みになるのではないか……そんなことが容易に想像できた。
「余計な心配をしているようだな。安心しろ、この記録を撮影したあと、汝にはこの城への永住権を授けよう。城内の施設も自由に使って良い。専用のメイドも一人つけようではないか。また城内の者には汝が私に意見する許可を得ていることも周知する。それは即ち、同格であるということの証明。人類であろうと汝を軽んじるものはいなくなる。何なら……ふふ、私の私室の鍵も渡そうか?」
いたれりつくせりだった。こんな立派な城に住まわせてくれるだけではなく、アフターケアまでしてくれる。いや……なによりもそれは俺が求めていたスローライフなのではないだろうか。この豪華絢爛なお城で……何か新しい趣味を見つけてのんびりと新たな人生を過ごす……。
「人類のままで居づらいというのなら、私の魔術で魔族に変質させても良いぞ?スフレ、種族変質の術式はまだ可能だったな。」
「はい問題ございません。王様、それでしたら変質の様子の一部始終を撮影するのは如何でしょうか。人類の希望である救世主が魔族へと堕ちる様……さぞや人類にとっては絶望的なものでしょう。」
「なっ……よくそんな恐ろしい発想ができるな!私はお前の発想力が恐ろしいよ!!……まぁともかく!救世主様、こいつは恐ろしい考えを述べたが、汝が魔族になれば家庭を持つこともできる。悪くはないことだと思うぞ?人の身では色々と不便であるしな。」
魔族となって異世界スローライフ。うむ悪くない。そもそも一度死んだ身なわけで、目の前の二人を見ると魔族だろうが人間とそんな変わらないし良いのかもしれない。
だが……一つだけ気がかりなことがある。
「俺がその条件を受け入れるとして……人類はそのあとどうなるんだ?」
「ん?当然侵略は継続し、最終的に支配する。その先は死か奴隷か。あぁ、汝の仲間たちを気にしているのか。悪いが汝の頼みでも見逃すことはできん。むしろ救世主の仲間だというのなら、徹底的に殺さなくてはな。特にあの黒髪の奇妙な格好をした女。あやつは確実に殺すよ。絶対に。」
───トウコのことだ。魔王はトウコに目をつけている。トウコの力を知っているのだ。故に見逃さない。人類の希望とならないように。確実に仕留めるつもりだ。
「……なら駄目だな。魔王、その提案は受け入れられない。」
「ほう、人類の希望を残すためにあくまで服従を選ばない……ということか?」
「そんな大層なことじゃない。トウコはきっと、お前の言うとおり撮影した映像を見たら激昂するだろう。でもそれと同時に、凄く悲しむと思うんだ。それでもトウコを見逃してくれるなら俺は喜んで撮影を受け入れたかもしれないけど。トウコを悲しませる上に、その命すら奪おうと言うのなら、その選択は最初からありえない。」
トウコとは腐れ縁、幼なじみ。距離を置きたいとは思っているがそれでも幼なじみなんだ。この世界でも彼女は俺のために真っ先に駆けつけてくれて、命を救おうと懸命に頑張っていた。そんな彼女をただ無意味に悲しませることはできない。ましてや死という末路を選ぶことなど出来ない。
それは恋愛感情とかそんな気持ちでは断じてない。ただ、この懸命に、ひたむきに走り続ける彼女への礼儀なのだ。それすら無下に扱うというのは、人として最低で、自分で自分を嫌いになって……スローライフなんて送れるはずがないのだ。
「他者のために命を捨てるというのか?覚えているだろう先程の港町の出来事を。皆、お前を嘘つきと、偽物呼ばわりしていたぞ。そんな連中のために命を捨てるのか?」
すこし痛みが走った。見ると魔王の指が、俺の胸に少し突き刺さっていて血が流れている。今、この手で殺すという意思表示か。俺はこれから死ぬ。その実感が痛みを通して湧き上がる。死にたくない。本当はまだ生きたい。足掻いて足掻いて何とか生きたい。
「あ、ああ、そうさ!こ、殺すといい!で、でも覚えていろよ!!いつかトウコがお前を倒すから!!」
震え声で、他力本願で、何とも情けない捨て台詞。でも無理なんだ。ここまで来たら生き残る道はない。ここは魔王城。助けも来ない。死を受け入れるのがこんなに怖くて、認め難いなんて思わなかった。
「……ふふっ。なるほど。そうでなくては堕とし甲斐がない。救世主様とはそうでなくてはならない。媚びへつらった顔で、ヘラヘラした顔で、鼻の下を伸ばして、私に忠誠を誓おうものなら、肉片一つ残らず消し飛ばしてしまうのも一興と思ったが……なるほど、強いのだな汝は。少なくとも、私が今まで見た中で一番強い救世主様だよ。」
この救世主は今までとは違う。魔王は確信した。情けなく涙と鼻水を垂らし、自分が弱者であることを十分に自覚し、今も死を認識している。
だというのに、十分に理解した上で、それでもなお自分に服従を誓おうとしない。現実が見えていないわけではない。これから起きる現実を理解した上で、この救世主は未来のために、自身の大切な仲間のために死を選ぶのだ。その精神性はまさに英雄の証。この世界が求める救世主の証明である。今までの小悪党のような連中とは次元が違う。
満足気に微笑んだ魔王はスフレと呼んだメイドに指示をして俺に拘束具をつけさせた。困惑しながら俺は身動き一つとれない状態となる。
「私の言うことを聞かないというのなら客人待遇はやめだ。汝が心折れ私に服従を誓うよう調教することにしよう。その時は改めて私の申し出を受け入れてもらうぞ救世主様?」
俺は担がれる。スフレと呼ばれるメイドに。華奢な身体に見えて凄い筋力だ。これが人間と魔族の違いか。そんな妙な感心をしながら俺は牢にぶちこまれた。まぁ牢と言っても檻のついた私室のようなもので、家具が一通り揃っている。
拘束具を外し、檻の錠をかけて俺を運んできたメイドは退室した。檻さえなければ立派な客室のようにも思える。この待遇……少なくとも魔王が俺に対して提案したことは事実なのだろうと思わせた。
「だとしたら調教って言葉が気になるよなぁ……。」
備え付けのベッドに横になる。先程の魔王のベッドと比べると流石に格落ちするが、それでもルフトラで泊まった宿のベッドよりも格段と良いものだった。
やはり鞭で叩かれるのだろうか、それとも電気ショック?あるいは洗脳装置みたいなものを取り付けられるとか……?
窓から外が見える。頑張れば脱走できそうだが、意味ないだろう。ここは城の中。しかも見知らぬ魔王の領地。運良く外に出たとしても帰る手段がない。それでも生きていれば希望はあるはずだ。俺はそんなことを思いながら、眠りについた。
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