トレソンの憂鬱
───いい匂いがする。朝の日差し。見慣れぬ天井。あぁそうだ。俺は魔王に攫われて、城に監禁されているのだ。この匂いは何だろう。辺りを見渡す。
「まずは顔を洗え。シャワーは浴びるか?だらしがないぞ。」
魔王がいた。椅子に座り、傍らのテーブルにはティーポットと朝食。カップが二つ……。
「もしかして俺が起きるのを待ってくれてたのか?一緒に朝食を摂るために?」
「二度言わせるな、まずは顔を洗え。そこに流しがあるだろう。」
むぅ……魔王の言う通りに俺は顔を洗う。水が丁度いい温度で気持ちがいい。備え付けのタオルもふかふかで柔らかい。この世界に来てからトップクラスに快適なことばかりだ。
魔王の正面に俺も座る。朝食はパンに肉、野菜、汁物。ティーカップに紅茶のようなものが注がれる。魔王自ら注いでいる。
「王様直々に紅茶を淹れるなんて良いのか?」
「心配するな、私の趣味だ。私は王である以前に女だ。息苦しい王政事務ばかりでは気が滅入る。もっとも部下にこのような姿は見せるなと、スフレらからは口酸っぱく言われるがな。」
紅茶に口をつける。美味しい。ルブレにお茶をご馳走になったことがあるが、それと引けをとらない美味しさだ。どちらが美味しいというわけではない。ベクトルの違う美味しさ。ほんのりした甘みが鼻につき、透き通るような後味。決して主張しすぎないお淑やかな香りが、料理を引き立てて、何とも言えぬバランス。紅茶単体としてではなく、料理と一緒にとることで初めて完成される味。
だがそれはそれとして、昨日聞いた調教という物騒な言葉。これから何をされるのかと思うと警戒を解くことはできない。
「そんなに緊張するな。そうだな……汝は異世界から召喚をされているのだろう。話してくれないか。興味があるのだ。人間どもが喚び出しているという、別世界のことが。」
俺は話をした。俺のいた世界のことを。魔王にとってはその全てが新鮮で、俺にとってはつまらないことでも、魔王はまるで子供のように目を輝かせ話を聞き、食いつくように質問もしてくる。想像していたものと違い、俺はいつしか魔王に対する警戒心が解けていた。
「それでそれで?そのスマホというのは他にどんなことが?」
「王様、そろそろお時間です。次のスケジュールが……。」
気がつくといつの間にかなりの時間が経っていたのか、メイドが魔王に対して次の予定を伝えている。
「えぇ~、まだいいだろ?どうせ予定っていったっていつもの定例報告じゃん。私がいなくても成立するんだから適当にしてよ。」
「王様、流石に言葉遣いをちゃんとしてください。人間の前です。定例報告を欠席したいという話は承りました。そうですね、今回は人類の救世主を魔王直々に調教しているのでそちらを優先するとでも言えば皆様納得してくださるでしょう。」
頭を下げてメイドは立ち去っていった。それを上機嫌そうに魔王は手を振って見送る。王の威厳は微塵もない。もっとも……魔王にとって俺は、路傍の石ころと同レベルで、威厳を見せる価値すらないのかもしれないのだが。そんな俺の思いとは裏腹に魔王は目を輝かせ、俺を見つめながら話の続きを催促する。少なくとも話のネタが切れるまでは安全そうだと、胸をなでおろした。
───エルダーエルフのトレソンはようやく再入場許可を得て城内を悠々自適に歩いていた。魔王城。それは一部の選ばれた者しか立ち入ることの出来ない、最高位のもの。そこに入ったという事実だけで大変名誉なことであり、ましてやその城に出入りできるというのは、羨望の眼差しで見られる。
トレソンの場合は、自由に出入りは出来ないが手続きを踏めば、再入場許可が大体下りるという立場。それでもヒエラルキーとしてはかなり上位のものであり、その優越感は相当なものだった。
「やはりここの空気は違うな……外界の低能どもと同じ空気を吸うこと自体吐き気がする。」
用意されている客室に向かう途中、侍女たちが何かを話しているのが耳にした。聞き逃すわけにはいかない言葉だった。
「王様、あの救世主にこの城の永住権を与えるみたい……。」
「本当に?今から媚びを売っておこうかな……。」
魔王城の永住権。それはこの世界において最上位の栄誉。最後にその権利を得たのは確か四魔貴族の一人。数百年前の話。その歴史に新たなページが加わるのだ。その相手が……救世主?人類の?
「おい君!さっきの話は本当なのか!?」
詰め寄る。先程の話が本当なのか。信じがたい話だった。
「と、トレソンさん!?えぇ、まぁ……お付きのメイドもつける予定らしいので誰が入るかと……。」
───専用の使用人。当然だ。永住権を持つものは貴族階級に等しい。だが多くのものは自前の使用人を城に呼んでいる。しかし今の言い分だとこの城の使用人がつくというのだ。それはつまり……王族御用達の使用人がつくということ。使用人というのはつまるところ下級的立場であるが、この城の者たちは違う。選ばれたものたち。その中でもトップが王族の使用人。それを……ただの人間に……つける……?
「そういえばぁ、スフレさんが魔族変質術式の準備もしておけっていってましたよぉ。魔王様直々にやるみたい、永住権といい、これって相当本気だよねぇ。」
「なッッ!?魔王様直々に……だと!?ほ、ほ、本気で言っているのか!?」
魔族変質術式とは名前のとおり魔族でないものを魔族へと変質させるものだ。だがそれは単に変質させるものではない。変質させるためには魔族の力を必要とする。その力をもとに変質させるのだ。即ち、魔王様が執り行う場合、新たな王族級の魔族の誕生……魔王様の従属者として働くことを意味する。
身体がふるえる。なんでそんな大変名誉のあることを一介の人間が……度し難い。
「その救世主とやらはどこにいますか。」
「え?1等客室を改造した牢にいますけど……ちょっと!まさか会いに行く気ですか!?だめですよトレソンさん!今は王様が面会中です!!」
魔王様もいるのならば丁度いい。私は救世主の正体を知っている。あのギルドで出会った彼、あれにはまるで力を感じなかった。魔王様が思っているような存在ではない。人間どもが用意した大層な肩書きに騙されているのだ。忠臣として私は真実を伝えなくてはならない。
「魔王様!失礼します!お伝えしたいことがあります、そこの人間は救世主などで……は……。」
絶句した。魔王様が親しげに、あんな少し手を伸ばせば触れる距離で、親しげに人間と話をしている。ティーポットを手に取りティーカップに魔王様自ら、人間に茶を淹れている。私の存在など気がついていないのか、話に夢中で、とても楽しげに話をしていた。
ポットの中が空になったのか立ち上がり、追加を淹れようとしたとき、ようやく私の存在に気がついたのか一瞥する。
「スフレ、なんだこのエルフは?何の用があって来た。」
凍りつくような声だった。先程とは打って変わる冷たい声。感情が微塵も籠もっていない、事務的なやりとり。
「も、もも、申し訳ありません王様!スフレ様!何度も止めたのですが言うことを聞かなくて……!」
トレソンにこのお茶会の話をしてしまった侍女が申し訳無さそうに何度も頭を下げる。
「……どうやら用事はないようです。勝手に入ってきたみたいですね。」
「成程、余は今、気分が良い。此度の不敬は特別に許そう。失せよ。」
「待ってください!その男に永住権を与えるという話は本当ですか!?ましてや魔王様の手で魔族変質の儀まで執り行うと!?考え直してください!!そのような下賤な者に与えるべき栄誉では……。」
負けじと意見するトレソンに侍女はただただ慌てていた。そして侍女の不安は的中する。先程まで和やかだった魔王様の態度に変化が出てきている。
「此れは少し勘違いをしているようだな。余に意見をするとは……たかが希少動物風情が傲慢さを覚えたか。希少故に蒐集物として城で保管することを考えていたが、いかんな。考え直す必要があるようだ。」
魔王はもとよりトレソン個人を何一つ認めていない。魔王が着目していたのはトレソンの種族、エルダーエルフという珍しさだけ。絶滅危惧種を保護するものと同じ感覚で、入城を許可しているだけに過ぎない。トレソンはそれを理解していなかった。故に、今の魔王の発言は、彼の自尊心を大きく削ることになる。
「ど、ど、動物!?そ、そ、そうでしょう!いえ確かに偉大で尊大で美しい魔王様からすれば私など動物!ですがそれはそこの人間も同じでしょう!そのような下賤な下等動物に永住権を授けるなど魔王様らしから……!?」
言葉が最後まで続かない。舌が上手く動かない。まるで金縛りにあったかのように動かない。否、事実動けないのだ。
「ほう、此れは余の主賓を下等動物扱いするというのか。」
それは明確な殺意。魔王ともなればその殺意に指向性すら持たせることもできる。そしてそれは、殺意だけで相手を死に至らせるほどに強力な呪いにも転化する。ユシャは何が起きているのか理解できていない。ただトレソンが突然動かなくなり、止まったという奇妙な事実しか分からない。
「魔王様、その辺りでお止めください。主賓の前で死体を見せるのは礼儀に反します。」
スフレの一言で魔王はハッと正気を取り戻したかのように振り向いた。そこには先程と変わらない、親しげに俺と話をしていた魔王の姿がある。
「許してくれ救世主様。少し見苦しい姿を見せてしまった。これは詫びの印だ。」
そう言って俺の口元に茶菓子を運ぶ。受け取り口に運ぶと、とても甘ったるい。それでいて嫌味のない、とけるように消えていく味わい。それはまるで雪のように柔らかく儚い甘味……お詫びと言ってたし、きっと高いお菓子なのだろう。
「そこのエルフは城外へ連れて行け。不愉快だ。」
目を合わさず、廊下にいる侍女に対して魔王は指示をした。
「で、ですが魔王様……このエルフ、私たちの話を聞かず無視をするもので……。」
「希少品種ではあるが、多少の傷はつけても良い。許可する。」
侍女はトレソンの両腕を掴む。トレソンは必死に抵抗するが、振りほどけ無い。侍女にとてつもない力で引っ張られている。そして察した。侍女であっても自分よりも遥かに次元の高い場所にいるということに。今まで言葉だけで手出しをしなかったのは、先程の魔王様の言うとおり、自分は希少品種故に、魔王様の趣味である多くの蒐集品の一つ故に、傷をつけないように命じられていただけ。それさえなければ、自分の自由など簡単に奪えるということに。
「はいトレソンさん、それじゃあしばらく頭冷やしてくださいね。」
侍女に城の外へと放り出され転がる。侍女の冷たい目が一瞬だけ合ったがすぐに目を逸らされ城へと戻っていった。
「トレソン殿、大丈夫ですか?今日はもう遅いので我々の宿舎をお貸ししましょうか。」
衛兵は倒れたトレソンに手を貸すが、トレソンはその手を払う。侍女があれだけの力を持つのだ。護りを任されている衛兵は更にその上を行くのは明白。そんな相手に、今まで自分がとってきた態度があまりにも惨めで、耐え難かった。
だがそんなトレソンの意地も通用しない。衛兵は相棒に持ち場を少しの間一人でいるように伝えトレソンを無理やり抱える。そして城の外にある宿舎へと連れて行った。
「すいませんね。ですが、本当に危険なのですよトレソン殿。エルダーエルフというのはその希少性から狙われることが多いのはご存知でしょう?城を発つのでしたら明日、私が同行しますからここで辛抱してください。」
鍵をかけ衛兵は立ち去っていった。綺羅びやかな城内とはえらい違いだ。粗野な作り。少し臭う。硬いマット。いや、それよりも、なによりもトレソンが何よりも屈辱的だったのは、あの救世主である。何をしたのか魔王様の寵愛を一身に受ける奴が、あまりにも憎かった。それは純粋な嫉妬心。どうすれば魔王様はあのような下等生物ではなく自分に振り向いてくれるのか、それで頭が一杯だった。
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