剥がされたヴェール

 時間は遡り、半壊したギルド。魔王の手がユシャの肩に乗せられている。


 「ま、ま、魔王だ!見たことがあるぞ!映像投射魔術で演説をしていたときと同じ姿だ!!ほ、本物だ!!」


 ギルドの面々が騒ぎ始めた。当然だ。人類の敵、それがいま目の前にいるのだから。


 「き、騎士団に通報!」

 「やめろ馬鹿!そんなことしてみろ、殺されるぞ!そ、それにここの騎士団が魔王に敵うわけがない!!」

 「じゃあどうすればいいんだ!……いや待て、確かあの魔王は救世主と呼んでいたぞ。肩に今手を乗せている男のことを!!」


 ───救世主。魔王は確かにそう言っていた。ギルドの面々は一転し盛り上がる。


 「なるほど、救世主様だからあんなに魔王が接近していても平然といられるのか!」

 「救世主様なら魔王を倒せるはずだ!今まで魔王の姑息な罠でたどり着けなかったらしいが、今回は違うぞ!!」

 「救世主様!私たちをお救いください!!」


 ───終わった。全員の注目が俺に集まる。トウコはここにいない。救世主ということが皆にもバレた。でも俺は本当は救世主ではない無力な人間。きっとこの魔王とやらの足元にも及ばない。


 「おーさすがは救世主様。大した人望だ。余を前にして震え上がるどころか救世主様が勝つことを皆、信じている。なぁ救世主様?余は興味があるぞ、余の幹部を瞬殺したその実力、見せてくれ。」


 魔王の言葉にギルドの面々のテンションはピークに達した。幹部を瞬殺した救世主。最早疑いの余地もない。人類の英雄がやってきたのだと。

 魔王は肩から手を離して俺と対峙する。


 「ユシャ……!大丈夫だよね?ユシャは救世主なんだから!」


 ルブレは俺の胸元から離れ距離を置いてギルドの面々と一緒に応援を始めた。当然の反応。ルブレは俺が偽物の救世主だと知らない。邪魔にならないよう離れて、見守るのは当然だ。


 「待ってください。魔王、覚えていますか。かつてルドンから来た使者のことを。お前が殺した相手のことを。」


 メイが俺と魔王の間に割って入った。兄の仇……メイは魔王のことをそう言っていた。特使として向かった兄が、生首だけとなって返ってきたことを言っているのだ。


 「殺したルドンからの使者……?知らん。余は殺した相手のことなど、わざわざ覚えていない。そんなくだらないことを、汝は気にするのか?」

 「お前!!!」


 メイは全身の毛を逆立てたかのように怒りを露わにして、服に仕込んでいた暗器を魔王へと向けた。だが当然届かない。そして地面にメイは叩きつけられる。


 「邪魔をするな小娘……余は救世主に用事があるのだ。汝のようなものに用事はない……さぁ救世主よ、勝負といこうではないか。あぁ……そうだ。ただ戦うのは面白みに欠けるな。」


 魔王は俺に向かって無造作に近寄る。そして俺の手をとった。


 「せっかくだ、汝の全力を見てみたい。その渾身の一撃を余にぶつけてはみないか?ほれ、今の余は無防備だ。もしかすると……一撃で余を死に至らしめるかもしれぬぞ?」


 無防備……その言葉に周囲はざわめき出す。そして怒号が広がった。


 「あの女完全に俺たちを舐めてるぞ!」「やれ救世主様!人間の力を思い知らせてやれ!」「今なら倒せるぞ!!」


 魔王のその態度に、皆は怒りと、そして希望を抱いた。長年に渡る戦いが終わるかもしれない。そんな期待が高まる。

 俺は内心震えていた。当たり前だがそんなことできるわけがない。だって俺は凡人だ。何ができるというのだ。皆の期待には答えられない。


 「どうした?あぁ武器がいるのか?仕方のないやつだ……。」


 ───武器を取りに行く。そう言ってこの場から逃げ出してしまえば良いのではないか。そんな悪魔の囁きが聞こえた気がした。だがそれは無常にも潰される。


 「ほら武器だ。余の魔術の一つ"複製"。汝の記憶に干渉し、武器を全て再現したが……なんだそれほどないな?おぉこれは余の幹部の持っていた魔剣ではないか。懐かしい。危険な代物だぞ?切り傷一つで対象を毒で蝕み破壊する。それは生命に限らず無機物さえも。」


 そんな危険な刃物を軽々と触り振るう。手に取った皿を魔剣で傷つけると皿は一瞬にして朽ち果てた。


 「もっとも、このような代物では余は殺せぬ。故に期待しているのだ。汝がいかなる武器を選び余を斃すのか。」


 ガラガラと音を立てて多種多様な武器が無から生まれた。全部どこかで見たような武器だが、俺はどれも使えない。


 「全部、無銘の大したことない武器だな。となると……ほほう!素手か魔術の類か!?期待が高まるの……ささ、遠慮するでない。余は汝の全力を知りたいのだ。」


 魔王まで目を輝かせ俺を見てくる。


 「あ、あの……俺は本当は救世主じゃないんです……勝手に祭り上げられた凡人で……。」


 白状するしかなかった。もうどうしようもない。ただはっきりとしているのは、ここで嘘を貫き通すのは不可能だということだ。


 「ははは、冗談か救世主様?それとも無防備の余を傷つけたくないという矜持からか?遠慮するでない。」


 そんな言葉すら通用しない状況に既に陥っていた。もう駄目だ。言葉で伝わらないなら、身体で知ってもらうしかない。本当の俺の力を。

 俺は思い切り振りかぶって、魔王を殴りつけた。柔らかな、人の肉を叩く感触。恐る恐る魔王を見る。当然のことだった。呆然とした様子で俺を見つめている。


 「…………なんだ今のは?ひょっとして……殴ったつもりだったのか……?」


 混乱に満ちた目だった。そんな目で俺を見ないでくれ。俺だって本当はこんなことをしたくない。勝手に喚び出されて、勝手に救世主にされただけなんだ。


 「もっと殴るが良い、何度でも。余が納得いくまで。これは命令だ。」


 言われたとおり魔王を殴る、殴る、殴る。どんだけ賢明に殴っても、感触こそはあるものの、魔王自身は微動だにしないどころか、その表情は段々と同情めいたものになった。

 周りの人たちもおかしさに気がつく。まるで力強さを感じさせない素人のパンチ。それが何度も何度も魔王に叩きつけられていて、それでダメージがあるならまだ分かるが、まったくの無傷。

 計りかねていた。魔王が圧倒的すぎるのか、あるいは……。


 「ひょっとしてあいつ偽物なんじゃあ……。」


 そんな呟きが漏れる。それはあっという間に伝播していった。皆がユシャを偽物だと罵り始める。


 「おしまいだ……偽物の救世主だったなんて……!」「騎士団に引き渡せ!死刑だ死刑!」「それよりも俺たちだよ!あぁ偽物さえいなければ魔王も来なかったのに……!」「ふざけるなこの偽物野郎!どう責任をとるんだ!!」


 魔王への不安はそのままユシャへの怒り、憎しみへと変わった。恨み、憎しみ……そんな気持ちがユシャに向けられる。


 「少し静かにしろ。余の前であるぞ。」


 魔王のその言葉に一瞬にして周囲は静まりかえる。忘れてはいけない。目の前にいる魔王は人類の敵。その気になればこの街を壊滅できる。


 「エルフ……あぁトレソンだったか?汝はひとまずこの街から退避せよ。先程の女が戻ってきた時、汝の力では殺されるだけだ。」


 トレソンは「分かりました!」と答えると帰還石を使う。記録したポイントに帰還する石である。古代道具の一つ。一瞬にしてトレソンは消え去った。

 その姿を見送った魔王は次にユシャの頭を掴む。瞬間、ユシャは気を失ったようにその場に崩れ落ちた。


 「今日は救世主様に会いに来ただけなのだが、予定を変更した。持ち帰ることにしよう。異論はないな?」


 周囲に同意を認めるように魔王は見渡す。当然誰も意見などできるはずがない。皆が皆、全力で首を振る中、一人の少女だけが声を上げた。ルブレである。


 「だ、駄目!ゆ、ユシャは救世主様なんだから!!私の大切な友達なんだから!!連れ帰るってお城に!?そ、そんなの駄目!殺すつもりなんでしょう!!?」


 必死に抗議するルブレに魔王は無言で近寄る。


 「お前、エルダーエルフか。ふむ、異論を唱えるものがいるなら殺そうかと思ったが中立気取りのエルフではな……。ではエルフよ、止めてみせよ、余がこの救世主様を連れ去るのを。そのくらいの裁量は許可しようではないか。」


 ルブレは魔王を引き止めるようにしがみつく。行かないで行かないでと叫ぶ。だが無意味なことだった。魔王とユシャに転移魔法が発動する。ルブレの抵抗は虚しく、一瞬にして空間を転移して、消えていった。

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