夜空駆け巡る覇者

 街の人々はざわめきだす。街の上空に突如出現したそれを見て悲鳴をあげる。人々は見た。夜空の宙空に浮かぶ巨大な蠢く天の川を。否、それは天の川に非ず。体内はまるで宇宙の星々のように脈動し輝きを照らす。しかし頭部と思わしき部分は、巨大なかぎ爪と顎。紛うこと無く生物であり、そして明らかなる敵意を持つもの。怪物の叫び声が聞こえる。甲高い、理解を拒む叫び声。


 爪一つが巨大建造物に相当する大きさ。それはあまりにも規格外の怪物。モンスター。魔王が召喚したのだ。トウコを引き離すために。遥か上空、巨大な怪物の背中にトウコは半ば無理やり乗せられることになる。


 「こんなでかいだけの怪物……ッ!待っててユシャ!こんなのすぐに殺すから!!」


 思い切り拳を握りしめる。事実、今のトウコならばこの怪物を殺すことなど容易である。多少の時間稼ぎになる程度。その多少の時間が致命的になる前に、トウコは死力をつくし全力で怪物を屠る……筈だった。


 「ハハハッ!なんだこれ!魔王が召喚したガーディアンビーストか!なんだあいつ随分"今回"の救世主様には入れ込むじゃねぇか!!」


 怪物の背中には、さらなる怪物が立っていた。邪滅龍エルドラ。魔王と比肩する怪物。トウコを見て、心底愉快そうに笑っていた。

 トウコはそれを無視して拳を叩き込もうとするも、突然吹き飛ばされる。エルドラが蹴り飛ばしたのだ。この世界で、異次元の強さを手に入れたはずだというのに、まるで普通の少女のようにトウコは転がる。


 「なんなの……!あんた……ッ!!」


 エルドラを睨みつけるがまったく物怖じしない。愉快そうに、本当に楽しそうに笑っていた。


 「いやぁ、だってお前よ。この怪物瞬殺しちゃって救世主様を助けに行くだろ?そんなの面白くねぇよ、魔王の奴がわざわざ救世主にこんなところまで来るなんてめったにないことだ。面白いことは……邪魔しちゃ駄目だよなぁ!」

 「そう、だったらあんたをまず殺す。ユシャの敵だって今認識した。」


 一瞬にして感情が冷える。トウコの目に感情的なものが消えた。これから処分する害虫を見る目。目の前のこいつはやはりユシャの敵だ。この怪物はいつでも殺せるが、エルドラはそうもいかない。この夜空の宙空で、確実に殺す。


 「いいねぇ!そう来ると俺も燃えてくるぜ!!」


 エルドラは浮遊する。エルドラは竜族の最上位に位置する。それは人型でありながら竜族の能力を行使できる。翼を使って空を飛ぶなどという下等なことはしない。そんなものに頼らずとも、エルドラ自身が空を飛べると思えば飛べるのだ。

 巨大な怪物の周囲をエルドラは超高速で飛び回る。目で追うにはあまりにも速すぎる。それは音速を超えていた。


 「行くぜ女ァ!精々楽しませろよォ!!」


 叫びとともに、エルドラが突っ込む。強烈な蹴り、すんでのところで躱し、エルドラの蹴りは怪物に直撃する。怪物に巨大な穴が空き悲鳴をあげた。

 だがそんなことはお構いなしにエルドラは高速ユーターン。トウコ目掛けて更に突っ込んでくる。足場の狭いこの限定的な場所で、エルドラは自在に空を飛び回り一方的にトウコを蹴り殺す算段だ。


 「単調な攻撃。力はあっても知能に欠ける。」


 いくら高速で動いていても、その軌道は分かる。その狙いは分かる。ならば蹴りのタイミングは自ずと分かるのだ。無論、タイミングや、この怪物の身体が死角となって分からないこともある。ならばやることはタイミングを見計らい、確実に決められる時まで防御に専念し……その瞬間を横から叩きのめす……ッ!


 「おわっ!!」


 トウコの拳がエルドラに叩き込まれ、突然の衝撃にバランスを失いエルドラは吹き飛ばされ転がった。先程のお返しだ。距離を詰めて追撃を叩き込もうとするが、エルドラも負けじと拳で応戦する。


 「やるじゃねぇか女ァ!そうでないと楽しくないぜ!!」


 心底嬉しそうに叫ぶエルドラに対してトウコは冷めた目で見ていた。こいつに構ってはいられない。早くユシャのもとに駆け寄らないといけないのだ。


 「早く死んでくれない?邪魔。」


 その言葉に応えるかのように、初めてエルドラは構えをとる。それは奇妙な構えだった。脚を開いて腕を前に突き出し、指先に力を込める。何かをしようとしている。トウコは察知した、迂闊に飛び込むのは危険だと。


 「出てこい野郎ども!!カーニバルの始まりだ!!」


 エルドラの指がくうを掴む。そして引き裂かれる。引き裂かれた空間は別の空間として姿を現した。それは竜の巣。無数の竜が、エルドラがこじ開けた空間の隙間から溢れ出した。

 竜族とはこの世界でも最上位に位置する種族。数は少ないにせよ、その力は圧倒的で、下等竜一体でも国の軍隊に比肩するほどである。それが無数に、トウコに襲いかかる。


 「お前も時間稼ぎのつもり?こんなトカゲ、相手にならないのを理解……な!?」


 無論、そんな竜族とはいえトウコにとっては敵ではない。エルドラの狙いは別にある。無数の竜族による死角の確保及び、視界の確保。エルドラは竜族の王。召喚した竜たちの視覚を全て共有できる。加えて、彼は……こんな下等竜のことなど何とも思っていない。

 即ち死角となった位置から、竜ごとトウコへ攻撃を放つ。竜の爪。空間を引き裂き、衝撃波となって、トウコを切り裂いた。

 更にエルドラはまた宙を舞う。先程のような高速軌道で、より複雑な動きでトウコに突っ込む。連携攻撃でトウコの身体は確実に傷ついていく。


 「どうした女!良いようにやられてるじゃねぇか!救世主様は今頃、魔王に何をされているんだろうなぁ!?」


 その言葉がきっかけとなったのか、トウコの動きが変わる。空気が変わった。トウコを中心に、空間がまるで凍り、張り詰める。下等竜たちの動きが止まった。怯えている。目の前の上位存在に。

 空気の変化に警戒しつつも蹴りを入れようとした瞬間、突然足を掴まれた。エルドラの動きは音速を超えていた。事実今までトウコは補足できていなかった。だというのに突然。この女に何が起きたのか。更に力が滅茶苦茶に強い。振り払えない。それどころかミシミシと音を立てて、エルドラの脚は握りつぶされそうだった。


 「ユシャがなんて?」


 ───エルドラは息を呑む。自分は竜族の頂点。だというのに思わず、トウコのその視線に不覚ながらもほんの一瞬だけ圧倒されてしまった。まるで深淵を覗き込んだかのような恐怖。奈落の底を見たような深い深い闇がこの女……トウコの瞳に映る。


 掴んだ脚をそのまま怪物に叩きつける。何度も何度も。その度に怪物は悲鳴をあげる。簡単なことだった。この空飛ぶ怪物を倒す、エルドラも倒す。同時にやりたければ、こうしてエルドラを使って怪物を斃せば良かったのだと。


 「いい加減に……しやがれ!!」


 エルドラは掴まれた脚を無理やり引きちぎりトウコから逃れた。体力は消耗するが脚など簡単に再生できる。それよりも突然動きが変わった。何だというのか。


 「何なんだお前……実力……隠してたわけじゃないよな。くそっこのガーディアンビーストは虫の息じゃねぇか。分かってんのかお前、こんなところでこんな怪物が落ちたら、街の人間にも被害が出るぞ。」

 「だから?ユシャのことなら大丈夫、私がこの怪物が街に落ちる前に怪我しないように助けるから。他の人間のことなんて知らない。」


 ……こいつは救世主の仲間だよな?エルドラは真顔でそう答えるトウコに少し戸惑いを覚える。


 「……他の皆はどうでもいいってのか?」

 「ユシャ以外の男なんていらない、私以外の女もいらない。世界にはユシャと私だけいればいいの。ユシャの敵は皆、私が殺す。ユシャはね、救世主なの。そんなユシャを邪魔する奴は皆、私が殺す。その為に人が犠牲になって死んでも、ユシャと私には関係ないじゃない。」


 エルドラは改めて感じる。その瞳には狂気が宿っていた。この女は、自分と救世主以外のことは何も考えていない。全てが平等に、路傍の石と同じ価値観で見ている。相手を間違えたようだ。こいつは人間ではない。いや種族こそは人間だが、その精神性は悪魔そのもの。狂気に満ち溢れ、独占欲に満ちていて、おおよそ人間の範疇を超えている。


 「帰るわ。俺が興味あるのは人間で、人の姿をした怪物には興味ねぇ。」


 エルドラは夜空を飛び去る。その姿を確認したトウコは、足元の怪物にトドメの一撃を刺した。怪物は一撃で絶命した。

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