魔王

 「行く必要なんか無い。父親を思う気持ちは大事だよ。でもお前の父親はお前のことを何とも思っていない。それどころか殺そうとしている。なのに黙って行かせるなんてそんなことはできない。」

 「ユシャになにが分かるの……?パパはパパだよ。どうあろうとも。パパに見捨てられたら、私はもう一人きりになっちゃう。誰もいない。私を必要としてくれる人は誰もいなくなっちゃう。役立たずの私を唯一、見てくれるのがパパなんだよ?」


 ルブレはずっとあの森で一人だった。両親に置いていかれて、ただ一人。周りのエルフたちは支えてくれはしたものの、彼女にとって本当に心を許すのは両親しかいない。それが家族の絆というものだった。だから切り捨てられない。どんな扱いを受けても、唯一無二の家族なのだから。


 「違うぞルブレ、お前は役立たずなんかじゃない!いらない子なんかじゃない!俺たちは、エルフのお前としてではなく、お前を……ルブレ個人を必要としているんだ!俺はお前を見ていた!短い間だったけれども!だから、そんな辛そうな顔をして、行かないでくれ。そんなのは……絶対に間違っているから……。」


 力なく立っていたルブレを無理やり引っ張る。無抵抗だった。その身体はとても軽く、華奢で、小さかった。バランスを崩し、俺の胸元に寄りかかる。

 瞬間、堰を切ったかのようにルブレは泣きわめいた。父親は自分を見ていなかった。ただの材料としてしか見ていなかったことに、ようやく頭の整理が、ずっと拒んでいた現実を理解してしまったからだ。それは耐えられないことだった。自分の人生が全て否定されることと同じだった。それでも……今ここで起きている現実は、紛れもない真実だったのだ。


 「静かにしろ!ぎゃあぎゃあと不愉快な……まったく最後まで不愉快なものだ。手間をとらせるだけではなく、人を苛つかせるとはな。」


 周囲の空気が震えだす。魔力がトルソンの周囲に渦巻いてくる。ギルドの人たちは何が起きたのかと注目した。まさかこの場で争うというのか。街の中心、人々がたくさんいる中で。


 「矮小な人間風情がどれだけ束になろうとも、エルフの中でも高貴で最も歴史を持つエルダーエルフの私に敵うはずがないであろう。もっとも、此度は争うつもりなどないがね。」


 トレソンの周囲に光が圧縮される。そして解き放つ。それは超高密度なレーザー光線。狙いはルブレの両手両足。四肢を切断して、運びやすいようにする。抵抗はさせない。また焼き切ることで出血も起こさせない。極めて合理的で、極めて残酷な手段だった。


 だがそのレーザーはルブレに当たることはなかった。トウコが身を挺して庇ったのだ。その頑丈な肉体には傷一つつかない。

 高等魔術式による超圧縮レーザー光線をもってして無傷。そんな馬鹿なことがあるというのか。不可解な出来事にトレソンは一瞬狼狽える。それが致命的だった。一瞬にして距離をつめられる。容赦のない殺意。トレソンは覚悟した。目の前にいる黒髪の女は、エルダーエルフの自分よりも遥かに格上の存在であると、それは……まるで魔王と対峙した時と同じ感情。死。辺り全てがスローモーションに感じる。否、これは確実な死を前にして脳細胞がフル回転しているのだ。


 トウコの手刀が叩き込まれる。だが不可解な出来事が起きた。手刀がトレソンの手前で止まっている。魔法陣が、手刀を受け止めている。

 トレソンによるものだろうか?いや違う。もしも本当に彼の仕業だと言うのなら、今の彼の表情に説明がつかないのだ。


 「やぁやぁ、駄目だ。そいつは貴重なエルダーエルフ、絶滅危惧種だよ?そんな殺してしまっては勿体ないじゃないか。」


 それは、突然現れた。何もない空間から突然に。


 確かにそこには誰もいなかったはずだった。何故かって、その女性は本当に突然、俺のすぐ隣に現れたのだから。何の気配もなく、何の前振りもなく。


 「君もそう思うだろう?救世主どの?」


 そうにこやかに俺に馴れ馴れしく肩を組む。

 なぜ、知っている。俺が、救世主として祭り上げられていることに。この街では、誰にも話していないのに。


 「ご主人さま早くそいつから離れてください!!!!」


 メイは叫んだ。だが無理だった。動けない。肩を組まれた時点で、俺の身体はがっしりと掴まれていた。身動き一つとれない。まるで……拘束具を着せられたかのよう。彼女は何者なのか、理解が拒んでいた。


 「お……おぉ……魔王様!!わざわざ私めを助けるためにいらしたのですか!!こ、このトレソン!か、感動で涙が……!!」


 トレソンは平伏する。その女性に。否、魔王に。今、俺の隣に、息すらかかる距離に、魔王がいる。心臓の鼓動が高鳴る。こいつが……魔王。


 「いやお前のためではないぞエルフ。なにやら勝手なことを色々としているようだが余計なことをしないでくれないか?余が来たのは、こいつに会いに来たんだ。余の部下たちを……それも幹部が世話になったようだな?」


 決して表情を崩さず、笑みを浮かべながら魔王は俺を見て問いかける。世話になった……。それはトウコが殺害した魔王軍幹部のことだろう。幹部が立て続けに死亡して、魔王自ら確認に来たのだ。"今回の"救世主はどのようなものかと。


 「ユシャから離れろッ!!」


 トウコは激昂した。そのまま床を踏み抜き魔王に殴りかかる。だが、先程と同じように魔法陣に遮られ、無力化された。


 「あの紋様は何なんだ……?」

 「基礎的な防御魔術です。もっとも……規格外に強い。爆薬や矢を防ぐことも優れた魔術師なら可能ですが、トウコ様の一撃をいとも容易く防ぐなんて……。」


 基礎的な技ですら魔王にかかれば奇跡的な力となる。その力は只ならぬものだと察せる。


 「救世主の仲間というのはやはり有能だな。いやかなり手強そうだ。だから……君の相手は彼にしてもらおうか。」


 魔王が指を鳴らす。地響きがした。地震かと思ったが違う。巨大な怪物がギルドに突っ込んできて、トウコをそのまま吹き飛ばしていった。


 「さて、邪魔者は消えた。これでゆっくりと話せるな、救世主様。」

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