偽りの絆

 「古代兵器の稼働にはね、巨大な魔力が必要なんだ。残念だがね……でも私はついている。こんなところでエルダーエルフを見つけられるのだから。さ、ルブレ?お父さんと一緒に行こうか。ルブレは分かるよね、娘なのだから父親の言うことは聞きなさい。」


 邪悪なオーラを纏いつつも、その表情だけは先程ルブレに向けていたものと変わらない。それがかえって不気味だった。


 「パ、パパ……巨大な魔力ってなに?今、私に何をしようとしたの……?」

 「あぁルブレ。心配はいらないよ。ちょっと心を壊すだけだから。私たちエルダーエルフはね、他の一般エルフと違いその身に膨大な魔力を宿しているんだ。分かるよねルブレ。これは運命だったんだ。パパのために古代兵器の生体ユニットになってくれる。そのために会いに来てくれたんだろう?」


 表情が青ざめてくるルブレとは対照的に、トレソンの表情は何一つ変わらない。同じように、愛する娘に向ける表情で、娘に生体ユニット……即ち生贄になれと言い放つのだ。

 何一つ理解できなかった。先程見せた家族愛はなんだったのか?そこには偽りは感じられなかった。本物の愛があった。だというのに何故、そのようなことが言えるのか。


 「冗談だよねパパ……?生体ユニットって……心を壊すって……そんなの死んでるのと同じだよ……パパは……私に死ねって言いたいの……?」

 「あぁ!そうだな!かしこいじゃないか、えらいぞルブレ。そう、確かに生命活動は止まらない。肉体としての死は来ない。だが心が死んだ時、ただの肉人形と成り果てた時、それは生きてるとは言い難いな。哲学的に言えばそれは死体と同じだ。父さんは嬉しいよルブレ。娘がこんなに成長してくれていたなんて。それじゃあかしこいルブレは分かるよね?父さんのために死んでくれ。」


 即答だった。ルブレは、実の父親にはっきりと、死ねと言われた。

 ルブレの感情は混乱の渦に飲まれていた。目を見開き、肩を震わせ、涙だけが頬を伝っていた。だというのに口元は大好きな父との再会でニヤけていて、どういう感情なのか理解ができなかった。怒り、悲しみ、喜び、矛盾した感情がルブレの頭の中をぐるぐると周る。

 実の父親に死を願われるということ。それは最大級の裏切りだった。だが同時に、先程、愛情に満ちた目でルブレの頭を撫でていた父の顔も浮かぶのだ。


 俺はそんなルブレとトレソンの間に立ち塞がる。見ていられなかった。トレソンの邪悪な振る舞いが、下劣な精神性が、ルブレを穢していくのが。


 「ルブレ?うむ……お父さんの言う事を聞かないなんて悪い子だ。でも大丈夫だ。言っただろう?仕込みは出来ていると。」


 トレソンの杖が怪しく光る。魔法陣のようなものが浮かび上がる。ルブレの悲鳴が聞こえた。俺は後ろを振り向くと、ルブレの周りに同じ魔法陣がいくつも浮いている。それはルブレの頭部を中心に展開していた。


 「先程、頭を撫でた時に、既に魔術理論は展開していたんだ。さぁルブレ、大人しく父さんの言うことを聞いてもらうよ?」


 あの慈愛に満ちた行動さえ、裏切りの布石でしかなかった。確かにあったと思っていた父の愛が、完全に偽りで、歪んだものであることの証明であった。そして周囲に展開する魔法陣。その正体は……。


 「これは契約紋の強制契約!あぁルブレにわかりやすく言うのなら奴隷紋と言えばいいかな?ハハハ、大丈夫だよルブレ。奴隷にしたあとすぐに壊すから。」


 ───エルフに対する奴隷問題は極めて根の深いものだ。その容姿だけが目当てではない。エルフの持つ魔力は研究道具として重宝され、肉体の一部は薬品として使用される。捨てるところのない素材。故にエルフたちは奴隷であることを忌避する。エルフならば誰もが理解しているタブー。絶対に触れてはならないもの。

 それをあろうことか、実の父親に仕掛けられた。一線を完全に超えたものだった。最早、親子の絆というものは何一つないと確信に至るまでに。


 契約の魔法陣がルブレを包み込む。ただただ深い絶望だった。実の父親にこんなことをされるだなんて思いもしなかった。人生が否定されたようなものだった。今まで何のために生きてきたのか、こんなことなら……あの森でひっそりと一人永遠に過ごすべきだったと。深い深い後悔を感じながら、その魔術は完成を迎える……はずだった。


 とつぜん魔法陣が砕け散る。そして魔力の行き先は消滅し、全てが逆流しトレソンの杖に流れ込む。思いもよらぬ衝撃にトレソンは吹き飛ばされた。


 「な、なに!?これは……反魔術式!?ルブレ……お前いつのまにそんな高等魔術を覚えたというのだ……!?いやあるいは退魔のアミュレットか!しかしあれほどの強制契約術式を弾くアミュレットなど国宝クラスのものでしか……!どちらにせよ我が娘ながらぬかりのないことだ……父さんは悲しいぞッ!よもやそんなに警戒されていたとは!!」


 トレソンは半ば興奮したように今起きた出来事を分析していた。当のルブレは何が起きたのか理解していない様子。確かに完全に術は決まっていた。だが土壇場になって魔術が無力化されたのだ。


 「ま、まさか……私の秘めた才能がこの土壇場で覚醒……?」

 「違います。トレソン、契約紋の特徴をお忘れですか?契約紋は二重契約できない。」


 契約紋、トレソンは奴隷紋と言ったが本来それは、契約を履行するための保証である。即ち、二重契約は許されない。考えてみればそれは当然の話だ。そしてルブレには今、メイの手により契約紋が腹部に刻まれている。そのためトレソンは気づかなかったのだ。まさか自分の娘が既に契約紋を刻まれているなど。ましてやそれが……。


 「ば、馬鹿な……私が今、ルブレに施したのは契約紋の中でも最上位のもの!仮に契約が先に結ばれていたとしても、その強制力は上回るはず……まさか。」


 そう、ルブレには既に最上位の契約紋が刻まれている。主に絶対の服従を誓うもの。トレソンは震えていた。よもやそのような事態になっていたなどと、夢にも思わなかったから。

 トレソンは舌打ちをして、静かにルブレを見据えた。その目、表情からは既に先程の慈愛に満ちた表情すらなくなっていた。軽蔑に満ちた目。汚物を見るような目だった。


 「奴隷が……どの面下げて、私を父と呼んだ?穢らわしい。気持ちが悪い。よもやここまで能無しだとは思わなかった。まさか、素材にすら使えないゴミだったとは。」


 失望、そしてため息。トレソンは容赦のない罵詈雑言をルブレにぶつける。実の娘に投げかける言葉とは到底思えなかった。


 「ま、待てよあんた!いくらなんでも言い過ぎだろ!ルブレは確かに契約紋が刻まれているけど……あんたが思っているような穢らわしい奴じゃない!!」


 こうなった責任の一端は自分にもある。トレソンは誤解しているのだ。俺たちはあくまで保険として、裏切らないようにルブレに契約紋を刻んだだけで、やましいことなど一切していないと。

 そんな俺の言葉にトレソンは深く、大きくため息をついた。


 「奴隷紋を刻まれて何をしたかは問題ではない。問題なのは刻まれたという事実なんだよ少年。我々エルフは高貴な存在でなくてはならない。ましてやエルダーエルフならばなおさらだ。だというのに下賤な刻印をその肌に刻んだ時点で……下等生物と同じだよ。」


 それが常識と言わんばかりにトレソンは平然と、自分の娘を侮蔑するような目で見る。


 「ちょ、ちょっと待てよ!それじゃあ、あんたが今しようとしたことと矛盾しているじゃないか!自分の娘なんだろ!?なんでそんな……大変なことを、自分の娘に刻もうとしてるんだ!!」

 「……?ルブレは私の娘だ。私の所有物なのだから、何をしても構わないだろう。親子の間に口を挟まないでくれないか?……やれやれ仕方のない。穏便に済ませようと思ったのだが、力づくでルブレをあの祭壇に連れて行かなくてはならないな。穢らわしい奴隷エルフなんぞ触りたくもないが……。」


 矛盾している。いや、理解したくないだけだった。トレソンにとってルブレは娘でもなんでもない。ただ利用価値があるだけの素材。契約紋はトレソンからしたら、そんな素材に汚れがついてしまった、そんな認識でしかなかったのだ。娘を見捨て魔王軍についたときは、何か理由があると思っていたが、なんということはない。単にいらないから置いていっただけなのだ。


 「わ、私は……パパにとっていらない子なの……?」


 呆然としていたルブレがようやく口を開いた。その目には涙が溜まっていて、声も心細げだった。


 「腐ってもエルダーエルフだ。利用価値はある。ただそれだけだ、二度と私のことを父と呼ぶな気持ちが悪い。」

 「わた……私、役に立てるよ!パパの力になれるから!!そんなこと言わないでよ……わたし……良い子にするから……。役に立つから……。」


 縋り付くように、ルブレはトレソンに歩み寄っていく。その様子をトレソンは侮蔑したような目で見ていた。俺はルブレの腕を掴む。振り向き困惑に満ちた表情でルブレは俺を見ていた。


 「離してよ……パパのところにいけない。」


 行かせない。行かせる訳にはいかないのだ。だってそれは即ち死ぬということ。殺されることが分かっていて、どうして黙っていられるのか。

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