第20話 怒髪天を衝く
ベルはヒイロの側近二人に人間語で「アオ」と「アカ」というあだ名をつけた。髪の色から着想を得たもの。やはり魔族の二人には慣れない響きらしかったが、命の恩人から授かったものとして、嫌がるどころかむしろ誇らしげだった。
ただ一人、人間語を多少理解するヒイロだけが「それは、色の……」と言いかけるものの、無粋だと思ったのか結局は黙った。
アオとアカが増えたことで、隠れ里の雰囲気が明るくなった。頼れる味方が加わったことで、弱い者たちに安心感が与えられたのだ。
アオは頭が回るようで、隠れ里の内部構造について改良案を出す。アカは筋力があり、遊び場が少ない子どもたちの面倒をまとめてみた。
そして、ヒイロは側近たちと話し合うことが増えた。理解し合える相手と勝手知ったるといった様子で
ベルはその会議の邪魔にならないように近くで話を聞くようにした。この世界のことと魔族のことをもっと知らなくては、と思ったからだ。
どうやらアカとアオにはたくさんの身内がいるらしく、働きかければ協力が得られるらしい。さすがの魔族も家族には従うようだ。
対して、ヒイロは一族のたった一人の生き残りだということが分かった。そのことを聞いたベルは、心が痛んで彼の元に近寄った。元々の性格からなのか、妖精としての感情なのか、分からない。
ヒイロの腕に小さな手を置いて顔を見上げた。温かい光の魔力がじわじわと意思関係なく溢れ、輝く粒子となって降り注いだ。
「光の祝福か。案ずるな、ベルよ。我が一族のような古い者たちは徐々に数が減っていっているのだ。創造神なき今、それが普通だ」
そう言って顔を緩めるヒイロを見ていると、やるせない気になった。寂しそうにしているのではなく、まるで自分の運命を受け入れているようだったからだ。
*
魔族の隠れ里は現在この地を含めて六つあるそうだ。どれも人間が近づくことができない場所にあり、力のない者が身を寄せ合って生きている。中でも一番広い里は、魔王城があった北の大地にあるという。島を一つ造ったということだから壮大な話だ。そこなら身体が大きい者でも無理なく住めるらしい。
三人の話に耳を傾け、少しずつ魔族のことを知っていくうちに、ベルは不安になった。ヒイロたちも穏健派も人間のことを知らなすぎる——というより、人間だったベルが詳しすぎるということなのかもしれない。
以前の世界では、人間たちは十九世紀に劇的な進化を遂げた……はず。ベルは歴史の授業や本で知った前世の知識を引っ張り出す。転生してから五年ほど経っているから難しい。
とにかく人間は電気が使えるようになり、あっという間に生活の常識が変わってしまったはずだ。二十世になると、さらに
前世の人間たちは、とっくに天を越えてしまっていた。他の星も探索しているし、将来的には移り住むなどという話も聞いたことがある。
今の世界は、前と違って魔法がある。まだ電気はない。けれども、人間という生き物は基本的には変わらないように見えた。不便でも工夫を凝らして生きている。
魔法は神々の真似事かもしれないが、人間には知恵があるのだ。
ベルは嫌な予感がした。肌が
「あの……」
ベルが会議に口を出したのは、初めてのことだった。自信のなさに及び腰になる。それゆえの
「人間は……前の世界での話だけど、魔法が使えなくても空が飛べるようになるし、海に長時間潜れるようになるの。目に見えないものも……見えるようになる。だから……」
ヒイロの冷静な声がベルの後を継ぐ。
「静かに隠れて住もうとも意味はない——と?」
簡潔な言語化に、ベルの首が縦にこくこくと勢いよく動く。
「ベルの前世ではそうなのだな。人間の街で観察してみて、奴らの進化速度は目を見張るものがあった。寿命は五十……百もないだろう。力もない。それなのに、工夫をして生を営んでいるように見えた」
続いてアオが憎々しげに言った。語尾に獣の唸り声のようなものが混じる。
「奴らに創造神が与えたのは、繁殖と進化……。想像ができますね。大人しく短い生を終えていればいいものを。なんと
アカは首を傾げ、二人とは違った突拍子もない反応をした。
「五十年……俺なら身体を動かして寝ているうちに終わってしまうな」
「お前は……もっと生産的なことは言えないのか……」
隣で睨んでいるアオに向かって、
「充分生産的だろう。俺は分かりやすく人間の寿命を例えているのだ。画期的だろうが」
と悪びれずに言うので、会議という空気ではなくなってしまった。
*
緑の部屋でベルが葉と蔓で作ったベッドで休んでいると、ヒイロがやって来た。慌てて起き上がろうとすると、手で制止される。
「貴重な意見を感謝する。闇の者である我らだけでは到底思いつかないことだった」
「ううん! わたしのただの思いつき。余計なことを言って混乱させちゃったかも……」
ヒイロはベッドの横に腰を下ろし、ベルの視線の高さに近づける。
「いや、助かった。我らは人間のことを羽虫程度にしか思っていない。意識していないと言った方がいいかもしれない。例えるなら、大きな獣が気づかずに踏み潰してしまうものだ。だから、礼を言いに来た」
ベルは目を伏せ、ヒイロから視線を外し、
「あのね……シロアリっていう虫がいるの。小さな虫が人間の家を食べ壊してしまうこともあるんだ」
「小さなものにも目を向けろと、そういうことだな?」
「わたしの考えすぎかも……」
すべては予感という不確かなものからだった。真剣に捉えられると、自信がなくなる。ベルは眉尻を下げた。
「いや……」
下を向くベルの視界に円形に咲いた一輪の花が映る。見ていると明るい気持ちになれそうな淡い桃色。ヒイロが近づけるので、とりあえず茎を持つと、そのまま渡された。
「自分たちだけでは視野が狭くなる。どうかこれからも気がついたことがあれば言ってくれ」
ベルが可憐な花に鼻を近づけると、
「人間どもの間では、ベルはさぞかし重宝されただろう。勲章を授けられてもおかしくない」
ヒイロの言葉に驚いて顔を上げると、遠くを見つめて想像を巡らせているようだった。少し気まずくなり、花に顔を埋める。さらに「妖精の貴重な力を盗まれなくてよかった」と続くので、とうとうベルは小さな声で、
「あのね……わたし、そんなんじゃなかったの……」
確かに魔王討伐のパーティメンバーは、それぞれ爵位なり土地なりを授けられた。しかし、人間は妖精の扱いに困り、宝石を渡したのみ。夜会の服は用意してもらったが。
人間の間では五十年は妖精を観測していないのだから、仕方がないことだとベルは思っている。城では妖精について昔の記録を調べていたらしいし。
そもそも、ベルは勇者の付属品だった。勇者という存在に箔をつける装飾品——だったのかもしれない。
燃える赤い髪と空の青い瞳。太陽のような眩しい笑顔を思い出し、ベルの目の縁が濡れる。鼻の奥がつんと痛み、口がへの字になる。泣いてしまったらヒイロを困惑させてしまう。不意に溢れそうになった感情を押さえる。口を開いたら湿った声が漏れてしまいそうで、口の端を強く結んだ。
それまで柔らかい表情でベルを見つめていたヒイロの握り拳が震える。ベルの態度を見て何を感じたのか、牙を剥き出しにして、
「人間とは本当に救いようのない生き物だッ!!」
目を吊り上げて真っ赤な瞳が炎のように爛々と輝く。額には青筋。普段は感情的ではないヒイロの激昂した姿に、ベルの心臓が飛び跳ねる。
「あなたが怒ることじゃないの……!」
両の手のひらを向けてヒイロを宥める。「貴重な命をなんだと思っている」と怒りが腹の底からどんどん湧いているようで、収まるまで時間がかかった。
いつも冷静でもやはり魔族なんだ、とベルはなぜか感心したように納得していた。
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