第19話 森の奇跡

 ベルにとって魔族の里は居心地がよかった。魔族と妖精族が近い種族だというヒイロの言葉が正しいと証明された。創造神とやらが生み出した光と闇の二つの種族は、自然に寄り添って生きているらしい。鉱物も苔もベルを癒してくれた。

 たまに子どもたちが物珍しげにちらちらと覗いてくるが、騒ぐわけではないので気にならない。

 それに、ベルは一日のほとんどを寝て過ごした。あまりに起きていられないので、病気を疑ったくらいだ。単純に体力も魔力も消耗しているだけらしかった。十日も同じ生活を繰り返せば、森に住んでいたときのように身体が軽くなった。頭はすっきりとしているし、魔力が溢れてくる。それだけに、どれだけ人間の暮らしが身体に悪かったのか実感した。


 子どもたちはベルが元気を取り戻したことに気がつくと、少しずつ近づいてきた。

「げんき?」

「なにか欲しいものはある?」

「きれいな羽だね」

 ヒイロの言いつけ通り、ベルのことは丁重に扱っているつもりらしい。ベルは森産まれということもあり、動物に懐かれたようで悪い気はしなかった。もっとも、魔族は長命だというから、この子どもたちはもしかしたら年上かもしれないが。

 ベルが「植物の種はある?」と訊ねると、子どもたちは率先して里のどこかから集めて持ってきた。中には、虫の抜け殻だったりキノコだったり、間違えているものもあったが、協力してくれた子どもたちすべてにお礼を言った。

 ベルはまだ生命の力を感じる草花の種だけ選ぶと、苔の絨毯に蒔いた。手を一回叩く。金色の魔力がきらきらと周囲に広がる。ヒイロに光の者だと教えられてから、自身は自然に近い存在なのだと自覚した。「森の娘」と呼ばれた理由も分かる。意識をすれば、自然を操り、一体となることなど容易だ。

 ベルに力を与えられた種たちは一斉に芽を吹き出す。ぽんぽんぽん——。子どもたちの歓声が洞窟に広がる。芽はすぐにむくむくと伸び、葉や花をつけ始め、多種多様な植物が苔の上に咲いた。さながら洞窟内の植物園だ。

 天井にある鉱物の光は、植物を育てるには少し向かないようだ。ベルは手を天井に向けて黄金に輝く魔力を送った。鉱物の光に黄金色の煌めきが加わる。ヒイロの説明からすると、鉱物が光属性になったということだろう。植物と親和性が高いに違いない。

 予想通り、植物たちは生き生きとした。太陽光が届かない場所だと思えないくらい。葉は青々と茂り、花は瑞々みずみずしく咲き誇る。

 まるで地上のような光景に子どもたちは喜び、洞窟内を駆け回る。狭い場所だけに、お互いや壁と衝突しそうになっていた。その可愛らしさに、ベルはくすくすと笑う。「気をつけてね」

 子どもたちは緑の部屋を気に入り、毎日訪れて遊んだ。ベルにもすっかり慣れて戯れる。追いかけっこしたり、歌を唄ったり。みんなで団子になることもあった。ベルは獣の子たちと遊んだ産まれた森を思い出した。


    *


「随分賑やかになったな」

 ある日、ヒイロが部屋に顔を出した。少し驚いた様子だったが、すぐに表情を和らげる。

「懐かしい。光の者は我らより器用な魔法の使い方をするからな。私ができるのは崖に穴を掘ることくらいだ」

 子どもたちはヒイロに気がつくと、笑顔で駆け寄る。

「あるじさまー!」

「よしよし。子どもらよ、食事の時間だと係のものが言ってたぞ」

 ヒイロが指示を出すと、わらわらと部屋を出ていく子どもたち。残ったベルにしげしげと見つめ、

「元気になったようだな」

「お陰様で」

「住み心地はどうだ? 子どもらは迷惑をかけてないか?」

 ベルは空を飛んで宙を一回転して見せる。トンボのような軽やかな仕草。顔も溌剌はつらつとしている。

「子どもたちに元気をもらったの。あなたはどうしてたの?」

 ヒイロはずっと姿を見せなかった。子どもたちに訊ねても「わかんない」「おしごと」「あるじさま、いつもいない」という返事だけ。ベルとしては、体力も魔力も戻ってきたので、お礼を言いたかった。

「街で人間たちの動きを見ていた。あと、単独で暮らしている者の様子の確認だな」

 ヒイロが言うには、世界中の至るところに魔族はいるのだと言う。崖や森、山——暗い場所を好む。住みやすい里をいくつか作ったのに、そこから動こうとしない者は少なくない。個を重んじる魔族ならではの問題だ。

「まったく……。老人は頭が固くて困る。耳も遠くなるからな。荒地あれちに住む八千歳のドラゴンなど、眠っている時間の方が長いから起こすのも一苦労だ」

 額に手を当てる姿が人間たちと変わらない青年のようで、ベルは小さく笑った。

「大変なんだ」

「私にはもう従う者はいないからな。しかし、救える命は救わなくては」

 切れ長の眼に影が差す。ヒイロはいつも落ち着いているが、何も感じていないのではない。仲間の様子をわざわざ見に行っているのだ。魔王というまとめ役を勤めていたことからも、責任感が窺える。実は内心では様々な感情が渦巻いているのではないだろうか。

 ベルは多忙であろうヒイロが心配になり、

「ねえ、誰か手伝ってくれる人はいないの?」

 端正な顔立ちを覗く。

 しかし、すぐに首が横に振られる。

「いや。私の役目は終わってしまったのだ。果たせずにな」

 話を終えてから、間を置いて一言だけつけ足す。

「この者たちが健在でいれば……」

 ヒイロは胸元から滑らかで高価そうな濃紺の布袋を取り出した。動かす度に硬い音がする。それを手のひらに乗せてベルに見せた。

「これは……?」

 ヒイロが口紐を解くと、武骨な岩石と透明に輝く水晶が中に見えた。

「あ……っ!」

 ベルには二つの鉱物に見覚えがあった。魔王城で倒した強い魔族が残したものだ。

「これは、力を失った魔族の姿だ。我らの中でも上級の者のみになるが、命の危険を察すると残された魔力を使い、ほぼ無意識にこの姿になる。非常に硬質でめったなことでは傷つけられない。自分で動くこともできなくなるが……。仮死状態といえる」

 とても生き物には見えない二つをベルは凝視する。魔力すら感じない。命からかけ離れた存在だ。しかし、布袋に包まれていたことといい、ヒイロが胸元にしまっていたことといい、大事なものには違いない。

「あの……この状態は……。元に……戻るの?」

 ベルは言葉を選ぼうとして、結局はどうしたらいいか分からずに直接的な物言いになった。

「形式的には戻る。力を失っている状態なだけだからな。このまま回復するまで待てばいいのだが……」

 ヒイロは言葉を切り、沈痛な面持ちで口を開く。

「それには何千年という時間がかかる。大概はそれまでに寿命を先に迎える」

「それって……」

「今までにこの状態になって治った者はほぼいないということだ。それが分かっているから、我らはそなえ物として住み処に飾ることを風習としている」

 ベルは唾を飲み込む。活動している状態を知っているから言葉が重い。「ここは人間のいるべきところではない」「帰れ」「神のいかずちが下るぞ」——彼らはヒイロの部下として必死だった。

 ベルは顔色悪く目を瞑る。何日も前から考えていたこと。自分のできることを探す。光魔法でこれまでできたこと。

「彼らは……。命はあるんだよね?」

「そう。深く眠っているような状態だ。医者にもどうにもできない」

 静かな鉱物。とても生きているとは思えない。生き物だとは誰も分からないだろう。ベルの額に汗が浮かぶ。

「この世のすべての命よ。哀れな者たちを救いたまえ」

 金色の魔力を手に集中させる。集まった魔力は鉱物へ。それには精密な魔力操作が必要で、集中力が求められた。油断すると魔力が狙った方向から外れそうになる。

——お願い。本当にわたしの仲間が大地に残っているなら力を貸して……!

 暴れるような光の魔力が穏やかになった。外から何かが押さえつけてくれている。魔力の放出が安定する。大人しくベルに従う。

 魔力が注がれた鉱物にヒビが入る。ピシリ、パキパキ。卵の殻が割れるよう。パキン、と粉々に割れた鉱物の中から二人の魔族が現れる。地面にうつ伏せの姿で。背中がわずかに上下していることから呼吸をしていることが分かる。

「…………ニ千年以上生きていたが、見たことがない……」

 ヒイロは半ば呆然と二人を見ている。

「……うっ」

 ベルは力を使い果たし、その場に崩れ落ちる。絨毯のお陰で膝を痛めずに済んだ。汗が顎から流れ落ち、息切れがする。

「……ハアハア。ご、めんな、さい……。力は……少し、しか……」

 蘇った魔族が宿す魔力はベルが以前たものに比べれば、圧倒的に小さい。

「いや、充分だ」

 ヒイロは片膝をつき、二人の背中に手を置く。紫色の魔力が手から注がれていく。

「ぐっ……」

「カハッ」

 二人は覚束ない動きで身体を起こそうとする。生まれたての小鹿だ。両手両足を使い、震えながら上体だけ持ち上げた。

「こ……これは……どういうことだ……?」

「俺は確かに……あのとき……」

 一人は魚の鱗を持つ青白い肌の男。人間の耳に当たる部分にはヒレのようなものが生えている。

 もう一人は炎のように燃える髪を持つ筋骨粒々の浅黒い肌の男。頭からは垂直の二本角が生えている。ヒイロのものと比べるとだいぶ短い。昔話に出てくる鬼の角に似ている。

「よくぞ戻った」

 慈悲深い声色でヒイロは二人に声をかける。その声を聞いて二人は息を飲む。すぐに地面に擦りつけるくらい頭を下げ、

「申し訳ありません。お役に立てず。それどころか、お手を煩わせてしまうなど……。謝罪のしようもありません」

「右に同じ!!」

 ヒレの男は謝罪の言葉を伝えると、二本角の男が続く。

「よい。頭を上げろ。それにお前たちを助けたのは私ではない」

 ヒイロは後ろを振り返り、ベルに視線を送る。二人はその視線を辿り、ベルの存在に気がつく。

「え……えっと、わたしは……」

 助けたことは事実だが、剣を交えた相手でもある。ベルは何と言っていいのか言葉も浮かばずに戸惑っていると、二人はまだ満足に動けないであろうに身体を起こし、片膝を立てて敬意を示す。ヒレの男の方が頭を垂れて口を開いた。

「森の尊いお命とお見受けいたします。貴女は我々を救って下さいました。温情に報いるため、これ以降なんなりと望みをお申しつけ下さい」

 二本角の男も追随し頭を下げる。ヒイロも同じように跪いている。魔族三人にかしずかれ、ベルはどう反応をしていいか分からずに狼狽うろたえた。まるで身分の高い者のような扱い。こういった場合の礼儀作法など知らないし、実際に見たのはアトラルで王に謁見したときくらいではないだろうか。そのときは勇者のおまけでしかなかったから他人事のようなものだった。

 誠心誠意を示す魔族たちを前に取り繕うことは失礼に思えた。ベルは正直に自分の気持ちを伝えようとする。

「あ、あの……頭を上げて下さい。わたしはそんな……偉い人じゃないですから。元々あなたたちを傷つけてしまったのは……わたしたちです。だから、お礼を言われる資格なんて、ない……です……」

 最後の方は自信を失くして声が小さくなり、着地点を見失う。もじもじと肩を揺らし、恥ずかしさに頬が赤くなる。

 一番先に反応したのは、二本角の男だった。喉奥が見えるほど大口を開けて笑う。隣のヒレの男が小声で「おい、失礼だぞ!」とたしなめるも、気にする様子はない。

「面白いぞ! 妖精! 勝負に負けた者が忠誠を誓うのが我らの習性よ。かしこまる必要なし!」

 その場に立ち上がって腕組み。鍛えられた腕の筋肉がさらに盛り上がる。威風堂々とした仁王立ち。

「くそ……。お前はいつもそうだ……」

 ヒレの男も仕方がなくといった様子で立ち上がる。こちらは足を揃えて執事のような礼儀正しさがあった。

「我らは我らの理念に基づき、あなたに従う、ということです。どうか深くお考えにならないで下さい」

 そう言ってから、うやうやしくお辞儀をする。

「こいつは元々こういうヤツなんだ。気にするな!」

 二本角の男はおおらかに笑う。隣の男が睨みつけていることは気にしていないようだ。

 ベルが反応に困っていると、ヒイロは笑いを堪えているのか目を細めて口を横に広げ、

「つまり、私たちはお前に深く感謝をしているということだ。自分たちの自由意志でな」

「うん……」

 まだ緊張気味のベルの代わりにヒイロが紹介をすると、二人はそれぞれ名乗りを上げる。

「私は『暗緑の沼地に棲む民の守り人』と申します」

「俺は『灼熱砂原しゃくねつさわらを司る番人の末弟』。よろしくな、妖精の娘よ」

 ヒレの男と二本角の男、二人の名前を聞いたベルは難しい顔をして、「やっぱり長い……」と呟いたのだった。

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