第18話 魔族の隠れ里
墨を塗りたくったような空に輝く星々の光の粒が
このモンスターの名前はロックだとヒイロは言った。
ロックはベルが知っているどのモンスターよりも大人しくヒイロに従っている。それはロックがヒイロの力に屈して配下についたからだという。
「我らはこの者たちのことを魔獣と呼ぶ。種族としては我らに近い。我らは基本的に好戦的で単独行動を好む習性がある。力ある者に従うことはあっても、隙を見て歯向かうことも多い。油断ならない生き物。加えて魔獣は知性が低い。慣れた者にでも急に飛びかかる。大人しそうな個体を見つけても近づかないように」
ヒイロはロックの背に立ち、風に髪と上着を
風に飛ばされないように、ベルはヒイロが羽織る上着から顔だけ出していた。ヒイロの全身に薄い魔力が覆っているのが見える。かつての魔王のそばにいるのは、不思議な気分だった。
「どこへ行くの?」
ベルは吹き荒ぶ風に負けてしまわないように、声を張ってヒイロに話しかける。
「大蛇の住処と呼ばれる
ヒイロは真っ直ぐ前方に視線を向けたままベルの問いに答えた。声量は変わらず落ち着いたままの声なのに、はっきりとベルの耳に届く。
「子どもたちを中心に力のない者をそこに集めている。我らのような古い家系の者は、一人でも生きていける。しかし、末の者たちの力は弱い。人間が自然を破壊するたびに命が失われていく。いくら気位が高い闇の者でも、子どもたちの命は大切なもの。集めたか弱い者たちを力が強い者が守っている」
ロックは木々が密集した深緑色の広がる地域の上空を進む。同じような景色が続き、突如として緑の大地に深い切れ目が現れた。まるで鋭いナイフで切り裂いたよう。
そこに向かってロックは高度を下げる。器用に崖と崖の間をすり抜け、最下部に辿り着いた。
崖の高さは後ろに倒れそうになるくらい頭を上に向けなければ終わりが見えないほど。切れ目から夜空が細く見える。恐らく、昼間は光が届かないのではないか。足場はほとんどなく、すぐ横には急流が走っている。泳げるものではないし、ボートに乗ったとしても危険そうだ。
魔族にとって住みやすい場所なのか、ベルには判断がつかなかった。少なくとも、人間は寄りつかなそうだ。
ヒイロはロックに石のようなものを放り投げる。石は弧を描いて飛び、ロックの
目的の場所は崖しかないこの場所にあるらしい。ごつごつとした荒い岩肌にヒイロは手を当てた。すると、何もないように見えたそこは、大きな音を立てて引き戸のように動いた。高さ三メートルほどの長方形の穴が空く。
「わあ……」
ベルが思わず声を出す。自動ドアのようだが、分厚い壁が動くのは前世でも見たことがない。
「ある程度の魔力で開くように造った。子どもや人間では開けられない」
ヒイロは迷わずに暗闇が広がる口の中へ進む。手を上向きに開き、テニスボールほどの輝く炎の玉を生み出した。半径二メートル先まで見えるようになる。
崖の中は洞窟のようになっていた。真っ直ぐ奥まで掘り進められているようだ。ひんやりと冷たく、湿気を感じる。
コツコツ、と足音を響かせてヒイロが前へ進む。しばらく歩くと、前方に明かりが見えた。細道が終わり、開けた場所に出る。広場のような場所。明かりが灯っている。かなりの人数が集まっても余裕のある広さ。天井は来た道より二倍は高い。さらに奥には今通ったような細道が幾つか見える。
「主さま!!」
甲高い声が聞こえたかと思うと、方々から背丈の低い魔族がわらわらと集まってきた。姿に統一性はなく、様々な種類であろうことが分かる。角がある、太い牙がある、羽が生えている、鋭い爪がある、逆にそれらがない——。
ベルは驚いてヒイロの懐に引っ込んだ。
「お帰りなさいっ!」
「待ってました!」
「あるじさまだ!」
小さな魔族たちは楽しげにヒイロの周りを取り囲む。口々に喋り、落ち着きがない。まるで人間の子どもたちのようだ。
随分とヒイロは慕われているらしく、本人は一声も発していないのに、彼らの間で話が発展していく。今日あったこと、できるようになったこと、遊んだこと。
「よい子にしていたか?」
ヒイロが一言だけ声をかけると、子どもたちの顔が輝く。興奮して我先にと話し始めるので、さらに賑やかになった。
表情は少ないものの、ヒイロの口元は緩く弧を描いている。それだけで冷たい印象はない。血のように赤い瞳でも、恐ろしくは見えない。
「お前たち、客人が驚いてしまうから今日はこの辺で終わりだ」
隠れているベルに、ヒイロの手が差し出される。乗れ、ということだろう。ベルはおっかなびっくりと手のひらに降りた。
子どもたちはぽかんと口を開けてから、一斉に声を上げる。
「妖精だ!!」
「初めて見た!」
「すごい!」
ベルは圧倒されつつも好意的な反応に安堵した。今まで戦ってきた魔獣や魔族は敵対心を剥き出しにしてきた。予想していなかった歓迎ムードに戸惑いもある。
「は……初めまして」
緊張しながら日本人らしく頭を下げると、子どもたちはますます盛り上がる。
「かわいい!」
手のひらに乗る大きさのベルは、小柄な魔族の子どもたちから見ても人形のように違いない。まるでおとぎ話の親指姫でも見るように興味深げな視線が向けられる。
「この森の娘はしばらくここに滞在する。体調が優れないため、騒がしくしないように」
手のひらに乗ったベルを前に、子どもたちは元気よく手を上げて返事をした。
「過ごしやすい場所を案内する」
ヒイロは広場から伸びる道の一つを選ぶ。来た道と同じ岩肌が剥き出しの細道だ。奥には広場と比べると狭い部屋があった。一般的な個人部屋程度。天井も低い。
けれども、その天井には色彩豊かな鉱石が一面に埋め込まれている。石は柔らかい光をそれぞれ放ち、ナイトライトのように穏やか。地面には柔らかそうな苔が生えている。
「種族によって好む環境が違うからな。ここは野原に生息する者のために
苔の絨毯にベルが降り立つと、ふわふわと優しい感触が足に伝わる。
「住み心地やすく改良してもいいぞ。簡単に部屋は増やせるからな」
「ありがとう」
ベルは絨毯の上に座り、苔を撫でて緑の感触を味わう。緑はいつもベルに元気を与えてくれる。触れているだけで心地がよい。
「……あなたはどうするの? 魔王ではなくなったと言うけど、まだ慕われてるみたい」
ヒイロは顎に手を置き、考えている素振りを見せる。
「言いたくなければ構わないの」
慌てて手を横に振るベルに、「いや」という平然とした答えが返ってくる。
「我らのことを知らない者に、どう説明をすればいいかと思ってな」
ヒイロの人差し指が虚空を舞う。次々と赤い光の細かい粒が生み出される。赤い光たちは一つ一つがふわふわと違う動きをしている。
「これが我らだ。個を重んじる性質があるので協調性がない」
そこに大きい光の粒が複数生まれる。各々の大きな光に小さな光は集まっていく。
「ただし、圧倒的な力を持つ者には従う」
一際大きな光が二つあった。人間が作る人差し指と親指の輪っかと同程度の大きさ。そのうちの一つにヒイロの鋭い爪が生えた人差し指が向けられる。
「これは私。もう一つは私と同じく古い家系の長老だ。これが食えない老人でな。実力がありながら穏健派を名乗る。光の者たちと同じように、我らも大人しく朽ちるのを待つそうだ。我らの主義に反する考えだが、力のある長老に従う者が多く出た。つまり、我らと対立することになった。歪み合っているわけではない。単なる意見の食い違いだ」
米粒のような大多数は、ヒイロが中心となる強硬派と穏健派に分かれる。数は強硬派の方が多いと目視でも確認できる。
「だが、私が力を失った。それでも人間に敗北するほどはないが……」
ヒイロを示す大きな光が五分の一程度まで縮む。それでも他の光には負けない大きさだ。穏健派の長老には敵わないが……。
「こうなってしまうと、私には他の者たちを束ねられなくなる。長老には敵わなくなってしまった。私はしくじった。だから、もう『魔王』ではないのだ」
ヒイロの表情は落ち着いている。自身のことも周りのこともよく見えていて、受け止めているようだ。その冷静さがベルには悲しく見えた。
「……あなたはどうするの?」
「すべてを時流に任せることしかできないが、私が守れる命だけでも守ろうと思う」
ヒイロは胸元に手を置いた。小さくカチャンと硬い音がする。
「出なければ、この者たちに示しがつかない。私を慕ってくれた者だ。元々は一戦を交えたことで従うようになったが、『世界のため共に
ベルの魔力を見通す眼力でも、そこには何も見えない。仕草で大切なものがあるのだろうと察した。
ヒイロは声を少しだけ明るくし、
「さあ、私の話は終わりだ。ベル、ゆっくりと身体を癒せ。ここは安全だ。子どもらもお前のことを認識した。傷つけはしない」
パチン、と指を鳴らすと、赤い光はすべて消えた。天井の温かい色彩豊かな輝きだけが残る。
「やるべきことがある」とヒイロは言い残し、部屋から立ち去った。
ベルはまだ重い身体を緑の絨毯に横たえ、休むことにした。ヒイロから聞いた話を思い出し、頭の中で整理する。唯一生まれた光の者としての役割をじっくり考えた。そうして思考しているうちに、疲れから眠気が訪れ、やがて深い闇の中に意識が落ちていった。
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