第5話 ボッカの力
ベルはボッカに頼み、村まで案内をしてもらった。こちらの世界での人間の暮らしが気になる。どうしても自分の目で見ておきたかったのだ。
ボッカの村は二メートルほどある木製の柵で覆われた
ボッカは柵に沿って村の外周を歩きながらベルを案内した。柵には補修した後もあり、魔物の襲撃を感じさせられる。
「——経年劣化で腐食したり、大きな動物や魔物に破られたり。早く気がついて直すのも俺たちの大事な仕事だよ」
歩きながら説明するボッカは頼もしく見える。同年代のはずなのに、随分としっかりしている。環境の違いだろうか。
ベルはボッカのそばをふわふわ飛びながら熱心に耳を傾けた。魔物の存在の有無はあれど、害獣に悩まされるのは世界共通のようだ。
あらかた説明が終わり、ボッカは柵に設置された扉の前で立ち止まる。
「村の中に入ってみる??」
善意の問いかけにベルは少し躊躇う。
ボッカは優しい人間だ。それはしばらく一緒に過ごしてみてよく分かった。では他の人間は……?
手のひらに乗るほどの小さなベルにとってボッカですら巨人と感じるのだ。気を許しているから怖くはないが、これが他の人間だったら握り潰されると思ってしまうかもしれない。
そもそも見つかったら騒ぎになるのでは? そうしたら、ボッカに迷惑がかかる。
わずかな
「何サボってんだ、ボッカ!」
三人の少年が近づいてきた。ベルは咄嗟にボッカの後ろへ隠れる。
それぞれ
その中央の少年が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「弱っちい奴は暇でいいもんだなあ! 少しは役に立とうって気はないのか? それとも、ウサギやネズミと遊ぶのがお前の仕事だっけ??」
他の二人が大袈裟に吹き出し、腹を抱えてゲラゲラ笑い始めた。
不穏な空気にベルはボッカの肩から顔を出して表情を見上げた。ボッカは唇を横に引き締め、黙ったまま。頭は少し下に傾いている。いつもの快活な雰囲気はどこへやら。
その沈んだ表情を見た途端、ベルは身体がカアッと熱くなるのを感じた。ボッカが少年たちの言動を不服に思っているのは歴然としている。彼らはボッカを馬鹿にしているのだ。なぜ親切で勇敢なボッカがそんな目に遭わないといけないのか。
前世では感情を押し殺してきたベルにとっては初めての激しい感情。家族だったイッカクたちとの生活で自由を手に入れた彼女の心は、ボッカという少年によって大きく揺れ動くようになった。十代の少女らしい健全な感情だ。
『ボッカのこと、馬鹿にしないで! ボッカはあなたたちに劣ってないっ』——そう喚き散らしたい。理性で何とか衝動を抑える。妖精がこの場に現れれば場は混乱するだけだ。
ボッカが何も言い返さないことに調子づいたのか、ますます少年たちの言葉が荒くなる。「お前が装備してたって無意味なんだよ」「大人しく牛のケツでも追いかけてろ」
そんな罵倒にさえボッカは「うん、そうだね……」と力なく肯定する。その手は人知れず強く握られており、決して本心ではないことが窺える。
どうして言われているままなの……? ボッカの振る舞いに少なからずベルは傷ついた。信頼している人が虐められている姿なんて誰しもいい気分ではいられない。
それと同時にボッカが無抵抗な理由も理解してしまった。圧倒的に自分より強いものに対して歯向かうという選択肢は
「西側の柵にガタが来てるとこあるから、せめてそれは直してくれよ」
「じゃあな!」
少年たちは嘲笑を含んだ言葉を残し、機嫌よくその場を立ち去った。
「ボッカ……」
ベルはボッカの背後から飛び出し、声を震わせた。
「ベル……なぜ君が泣くんだい?」
「……泣いてない」
ベルの目の縁に涙が溜まり、きらきらと光っている。
「あなたは強いのに、どうして何も言い返さなかったの……」
ボッカは困った表情を浮かべてから口元を緩める。
「あいつらの言ってたことは本当だよ。俺は力もないし、運動神経もあまりよくない。鍛えてはいるんだけどね」
指先で小さな妖精の頭を撫で、あやすように言葉を続ける。
「君が悲しむことなんてないんだよ」
ベルは手の甲で涙を拭い、首を横に振る。
「ちがうの。わたし、初めて他の人間を見て分かった。ボッカには大きな力がある。視えるの。あの子たちとは比べ物にない力——」
ボッカの腹にそっと触れ、
「ここにある。知らなかった? 怖い魔物よりずっと大きいの。これが魔力なのね。だから、きっとあなたは強くなれる」
ベルの話にボッカは数回瞬いてから信じられないような顔をした。
「俺に魔力が……? でも、今までそんなの感じたことなかったんだよ」
「わたしが魔力を送ったら分かるかもしれない」
ベルは力をボッカに伝わるように意識する。金色の光が手からボッカに注がれ、体内にある緑色の力と結びつく。
「あたたかい……」
「それが魔力だと思う。集中して。わたしの魔力を頼りに手足を動かすのと同じように魔力を動かすの」
異世界人であるベルも魔法の使い方など知らなかった。練習を重ねて簡単なものの移動がやっとできるようになったのだ。そのときのことを思い出してボッカに言葉で伝えようとした。目に見えない力の言語化は難しい。懸命に知っている単語を並べる。
基本的に動物は身体を動かすことを意識していない。歩いたり、手を振ったり、筋肉を動かそうと、わざわざ考えていないはずだ。アスリートなど、肉体を動かすことに長けた人間は、もっと効率よい筋肉の使い方を身体に叩き込んでいる。逆をいえば、潜在的に才能があっても、鍛練しなくては無意味になってしまう。
ベルは魔力もそれと同じことと考えた。まずは魔力を意識し、使い方の感覚を覚える。慣れれば、自由に使いこなせるはず。そして、練習をこなせば、魔力量にあった実力を発揮できるかもしれない。
ベルの魔力がボッカを導く。見えないものを感じろというのは難しい。灯台の明かりのようになって、ボッカに魔力の存在を示す。
「魔力を感じるの……うんとね、血液だと思って。血管を巡って全身を流れるの」
ボッカは体内にある力に初めて向き合った。ベルの魔力を頼りに身体を巡るイメージ。額から汗が流れる。何かが身体の奥にあることは感じられたが、それを操るのは逆立ちをするより難しい。何回も挑戦し、身体の中心に収まっていた重い何かがゆっくりと動き出す。
「そうそう。液体みたいな感じ」
腹から上半身へ上半身から下半身へ。一度動き始めた魔力は不器用ながらも体内を巡る。生き物のように身体を流動する魔力を今やボッカは感じていた。
「凄いや、ベル! 俺にこんな力があったなんて」
屈託のない笑顔を向けられ、ベルは慌てて首を振る。
「これは元々ボッカにあった力なんだよ」
「都会にしか魔法学校はないし、通えるのは選ばれた金持ちだけなんだ。こんなことを教えてもらえるなんて、滅多にないよ!」
手放しでベルを褒めるボッカの顔は太陽のように輝いていた。
*****
それから、毎日のようにベルとボッカは魔力の扱い方の練習をした。ベルのように物を動かしたりはできないが、体内の魔力を滑らかに移動ができるようになった。始めは大雑把だったのに、今では指の先まで魔力が移動できる。
それに伴い、ベルも人に教えることで魔力の扱い方に磨きがかかっていった。木の柵の補修くらいなら、魔法を使えば朝飯前だ。
ボッカの力になれるのが嬉しかった。きっと他の人間ではできないことだろう。少し優越感もあった。
喜びの影で他の世界からやって来た元人間だということは明かせなくなっていった。この世界でも異世界や転生という話はおとぎ話扱いだと知り、ますます言い出せなくなった。本当のことを知られて、もしボッカに気味悪がられてしまったら? 妖精であることが受け入れられただけでも幸運なのに。好きな気持ちが大きくなればなるほど、嫌われたくないと思ってしまう。よき理解者であり、導き手である今の状態が一番いい。こうしてベルは出自を胸の奥にしまった。
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