第4話 運命の出会い

 赤髪に空色の瞳をした少年は一瞬だけ驚いた後、手早く妖精を抱き寄せた。そして、後ろから襲ってくる巨大コウモリに向かって持っていた短剣を振り回す。コウモリは羽ばたいて対抗しようとする。

「くっ……このッ……!」

 妖精は少年の胸に抱かれたままコウモリの奇っ怪な鳴き声に震えていた。しかし、妖精を包む腕が頼もしい。抱き寄せられた胸が温かく、まるで励まされているような気分になった。

 コウモリは何度目かの攻撃を食らって力尽き、地面に落ちて動かなくなった。

 少年は剣先でコウモリをつついて動かないのを確認してから妖精を解放した。

「あ……ありがとう」

 妖精の顔が薄紅色に染まっている。まだ少年の温もりが残っている。緊急事態とはいえ、異性に抱きしめられたのは初めてだ。

 年齢は生まれ変わる前の少女と近い。まだ幼さを残した素朴な顔立ち。燃える炎のような鮮やかな赤髪に爽やかな空色の瞳をしている少年。腰のベルトで絞めたチュニックのような上着とズボン。まるで大昔の西洋かファンタジーの世界にあるような格好だ。妖精が思わずまじまじと見ていると、

「本物の妖精だっ」

 少年は人懐っこい笑顔で口を開いた。驚いているようだが、愕然としている様子はない。妖精の存在は常識の範疇はんちゅうということだろうか。空想上の生き物や幽霊などを目撃すれば、前の世界の感覚では大騒ぎになるに違いない。

 妖精はこの世界で初めての人間に緊張しながら訊ねた。

「妖精は他にもいるの?」

 少年が不思議そうな顔をしたので、言葉をさらにつけ足した。

「あ……、えっと……わたしは他の妖精を知らなくて……産まれたときも一人だったから」

 それで納得をしたのか、少年はうんうんと素直に頷き、

「最後に人間が妖精を見たのは五十年前くらいかなあ。オレのじいちゃんが子どもの頃に一度見たきりって言ってた。オレたちの間では、絶滅したことになってる」

 あまりに自然に話すので、妖精は自分の存在が少なくとも夢物語に登場するものではないと感じた。今まで動物や植物たちと暮らしていただけに、もたらされる知識が新鮮だ。

「あの、わたし、訊きたいことが沢山あるの」

 またとない機会だと縋るように話す妖精に、少年はいとも簡単に了承した。

「今日は用事があるから帰らなくちゃならないけど、明日ここにまた来てくれれば話せるよ」

 前向きな少年の言葉に妖精は胸を撫で下ろす。

「うん」

 それが後の勇者になる少年と妖精の出会いだった。

 その夜、妖精は太い木の枝に葉を敷いたベッドで横になりながら少年のことを思い出した。強く抱きしめられた感覚が忘れられず、気持ちが高揚してなかなか寝つけなかった。きっと初めて人間に会えて嬉しかったのだ、と彼女は判断し、夜空にぽっかりと浮かんだ月を眺めていた。



*****


 それから少年と妖精の交流が始まった。

 少年はボッカ・ブレヴァニア。近くの村に住む牛飼いの三男坊。彼は親切で優しい気持ちのいい人物だった。妖精の疑問に一から回答し、さらに知らないであろうと、この世界についての基礎知識を説明した。

 ボッカの話から推測すると、この世界は前の世界でいうところの西洋ファンタジーに似ているらしい。人々は近代以前の暮らしをしていて、電気やガスなどという便利なものはない。洗濯機や掃除機が当たり前の妖精からすると、不便な生活をしているようだ。

 この世界には想像上の生き物でしかないと思っていた魔物や妖精が存在する。とはいっても、妖精は何らかの原因で今は見かけなくなってしまったらしい。

 かなり歴史を遡ると、神に近い存在である精霊や神獣が生息していた時期もある。今や聖なる力を宿した生き物は絶滅したというのが、人間たちの定説だ。それらの存在を人間たちの間では神族と呼んでいる。相対する存在は魔族だ。

 魔族は強大な力を持ち、好戦的な性質を持つ。その末席に連ねているのが魔物だ。神族と魔族は人間の文明以前から戦っていたという伝承が残っている。いわゆる神話の世界だ。神族は魔族に敗れてしまったのではないか、という意見もある。

 そして、この世界の特徴として魔法がある。一部の生き物は体内にある魔力を操って炎や水を生み出せるのだ。人間ではセンスが必要らしく、魔法を自由自在に操る魔道士という存在は稀なのだという。

 なるほど、と妖精は理解する。森の中で時折現れた強大な力を持つ動物は魔物で、強大な力は魔力だったのだ。きっと自分が使う不思議な力も魔法に違いない。謎が解けて世界が広がったような気がした。


 ボッカは魔物に襲われないように村の周囲を見廻りのが役目だ。小さな村には警備隊など存在しない。自分たちで守るしかないのだ。男はそれなりの年齢になれば誰でも村を守る役目を負う。妖精と出会ったのは、ちょうど見廻り中らしい。ボッカが対処できるのは小型の魔物くらいで、あとはすぐに町へ知らせるのが役目だそうだ。

 一番上の兄は出稼ぎに、次兄は家業の手伝いをしている。まだ働ける年ではないボッカは、家族の手伝いをしながら見張り役に従事しなければならないと決めていた。

「オレには力はないけど、みんなの役になりたいんだ!」

 そういうボッカは前向きで眩しかった。妖精は目を細めて「偉いんだね」と心の底からの言葉を口にした。


    *


 ボッカは妖精に興味津々で物珍しそうに見る。ほとんど絶滅種とされているから他に見つかったら騒ぎになるかもしれないと、人目を避けるように忠告してから質問を投げかけた。

 妖精に答えられることは少なかったが、数々の説明のお礼にと可能な限り答えることにした。食事、空の飛び方、魔法。そのすべてにボッカは目を輝かせて感銘を受けたようだった。

「羽が透き通っていて綺麗だね。太陽の光でキラキラ光って、教会のステンドグラスみたいだ」

「葉っぱのダンス、なんて優雅なんだ」

「その服も葉っぱでできてるの? 君はお洒落なんだね」

 ボッカの反応が嬉しくて、妖精は会う度に服のアレンジをしてみた。ボッカとの毎日が鮮やかで心が踊る。訳もないのに鼻唄を口ずさんてしまう。もしかしたら——とある予感がしていた。


    *


「君はどうやって産まれたの?」

 草地に腰を下ろし、穏やかな風に吹かれながらボッカが問う。

「うーんと……」

 妖精は蝶のようにひらひらと揺れてボッカの周りを飛び、見覚えのある花を見つけると指を差した。

「これ、この花。この花から産まれたの」

 太陽に向かって可愛らしく咲いている純白のラッパ型の花。もう妖精にとっては窮屈きゅうくつな大きさだが、やはり懐かしく感じる。

 ボッカはまじまじと花を見て、感心したような声を出し、

「花からなんておとぎ話みたいだね」

「変……?」

「ううん。素敵だと思うよ」

 妖精の顔が熱くなる。「素敵って言った?!」と頭の中で大騒ぎしたものの、言葉に出せずに宙でくるくると回り、喜びを表した。

 ボッカは楽しげに舞う妖精に目を細める。

「あの花はね。聖なるベルの花って言うんだ。ねえ、名前がないのなら、君のことベルって呼んでもいい?」

 妖精は瞳を輝かせ、ボッカの顔を覗き込む。

「ベル? わたしの名前? 凄く可愛い!」

 何度もベルと口にする。口にする度に実感が込み上げる。名前を与えられたことで、今まで曖昧な存在だった自身が命を得たような気がした。

「ありがとう、ボッカ!」

「気に入ってくれて嬉しいよ」

 二人はのどかな風景の中でくすくすと笑った。


 ベルはボッカと別れた後も有頂天だった。住処としている枝の上で、昼間の出来事を何度も思い出しては、じたばたと足を動かしてきゃあきゃあと騒ぐ。そうしているうちに、自分の中にほのかな恋心が芽生えたことを自覚した。

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