第3話 巣立ち

 妖精は生まれ変わってから約一年、少し身長は伸び、 溌剌はつらつとした笑顔が増えた。相変わらず、自分については分からないが、魔法のようなものが使えることを知った。最初に葉っぱで衣服の代わりを作ったのがそうで、強く念じれば軽い物体を自由に動かすことができた。

 そもそものきっかけは、巣に吹き込む雨をどうにかしようと困っていたところ、金色の光をまとった草が飛んできて、みるみるうちに穴を塞いでいったときのことだ。

 それから、やはり妖精には不思議な力があるのだと気づき、少しずつ使うようになっていった。今では葉を上手く操れるようになり、服をドレスやチュチュのように凝ったデザインにできるようになった。しかも魔法で操った草花は枯れることはない。

 草のつるで髪も好きに束ねて変える。ハーフアップやシニヨン、自由自在だ。以前は親に見つかると苦言を呈されるからできなかったお洒落を存分に楽しめた。

 共に暮らす子犬たちもすっかり大きくなり、今や母親の大きさに近づいている。母親の手からはほとんど離れていて、今は狩りの勉強中だ。

 妖精は小枝や草を獲物に見立て、兄姉たちの前で魔法を使って不規則に動かす。すると、兄姉たちは体勢を低くして飛びつく。獲物はすんでのところでするりと避ける。

「ふふっ! クッキー、頑張ってー!」

 ひと運動終わった後はみんなでじゃれ合いながら休憩する。母親はそれを満足そうに見守っている。そんな穏やかな毎日だ。


    *


 ある日、いつものように遊んでいると、大勢の鳥が一斉に空を飛んでいた。しかもギャアギャアと鳴いて尋常ではない様子。

 森の奥からネズミやウサギに似た小動物たちが同じ方向から現れる。さらに鹿や猪たちの姿も混じった。

「え……? なに?」

 困惑する妖精の耳に、「逃げろ!」「大変!」「怖い!」など数え切れない叫び声が届く。情報の処理がしきれず、手で耳を覆った。彼女にとって騒音だ。頭痛すら感じる。

 兄姉の中で一番体格が大きいアイスが低く吠えて毛を逆立てた。それと同時に轟音ともいえる地鳴りが聞こえ始めた。子どもたちは全員固まって震える。 

 バキバキと枝を壊して木の間から巨体が現れた。巨木の高さと変わらない見上げるような背丈、筋肉が盛り上がった逞しい肉体、顔には大きな一つ眼。ただの動物ではなく、強大な力を持った生物であることは一目見ただけで分かる。巨人は妖精たちを見つけると大地を揺らしながら向かってきた。

 そのとき、猛然と走ってくる姿が一つ。母親のイッカクだった。素早く子どもたちの前に躍り出ると、角を突き出すように全身で巨人を威嚇する。

 体格差は赤ん坊と大人だ。しかも、妖精には巨人が宿す力が見えている。ただの野生動物であるイッカクにはまったくない。勝てる要素など一つもない。それでも母親は一歩も引かず、低い唸り声を上げて子どもたちを庇う。

 そこへ向かって巨人が腕を振り上げる。巨体から繰り出される攻撃を受けては一溜りもない。

「ママ……ッ」

 妖精は身体を強張らせ、目を瞑って衝撃に耐えようとした。もうダメだと思ったそのとき、妖精の身体が金色に光った。周囲に半円の薄い半透明の膜が現れる。巨人のこぶしが振り下ろされ、膜に触れた途端——。

 パァン、何かが弾ける音がして巨人の身体が後ろに吹っ飛んだ。

 妖精が目を開くと、離れた場所で仰向けに倒れている巨人の姿があった。よほどの衝撃だったのか、目を回しているようだ。

「……え?」

 一体何が起こったのか。疑問だらけのまま、巨人を見つめる。すると、自身が金色の光に包まれていることに気がついた。

「なに……? これ……」

 金色の光は次第に弱まっていく。同様に半円の膜も薄れていった。

「ワンッ」

 母親は大きく鳴いて子どもたちを正気に戻すと、この場を離れるように急かした。「早く逃げるのよ」といった意味のことを言った。

 イッカクの群れは巨人から走って逃げ、遠く離れた場所にあるで身を寄せ合って一晩を過ごした。驚異はそれきりで、もう襲われることはなかった。

 妖精は恐らく発揮したであろう力について、温かい毛に包まって半信半疑のまま考えていた。


    *


 暖かくなり始めた季節、まずアイスが巣穴から旅立った。別れる前にみんなで毛繕いをし、母親は名残惜しそうにペロペロと顔を嘗めた。そして、母親の「強く生きるのよ」という言葉を最後にアイスはどこかへ消えた。

 それを皮切りに、兄姉は日にちを開けて順番に体格が大きな順で巣立っていった。一週間後にクッキー、その四日後にキャラメル、二週間後にマカロン。最後は一番小柄なチョコだけが残った。

 六匹と一人でぎゅうぎゅう詰めだった巣はいつの間にか広々としていた。全員が揃ったときは賑やかだったのに今は静かだ。チョコもここ数日は気もそぞろ。別れの予感をさせている。

 イッカクたちと暮らし、妖精は知っていた。自然界では弱い生き物が群れることは危険だ。外敵に見つかりやすい。逃げるときに子どもたち全員の面倒を母親が悠長に見ていたら、その間に襲われてしまう。実際に今まで危ういことがあった。だから、子どもたちは巣立ちをするのだ。いつまでも温かい場所でぬくぬくと過ごすわけにはいかない。

 次の日、チョコは母親と妖精に身体をこすりつけ、巣をあとにした。母親は妖精に向かって「あなたはどうするの?」と慈愛に満ちた眼差しで問いかける。人生でこれほど感情が揺れ動いたことはなかったと思う。妖精は母親に抱きつき、「ママ、ママ……今までありがとう」と涙を溢した。前の人生では手に入らなかった愛情を注いでくれたのがイッカクのママだった。


*****


 妖精も母親に別れを告げて森の中を飛んでいた。行く宛はないけれど、自然界では一人で生きていかなければならないのだ。森を抜ければ、もしかしたら人間が見つかるかもしれない。そうでなくても、何らかの知的生命体がいれば、この世界のことを知ることができるかもしれない。とにかく町を見つけたい。

 勇気を出した第一歩で、早々に巨大なコウモリと目が合い、追いかけられた。大きさにして一メートルほどだが、妖精にとっては怪獣に襲われたようなものだ。叫び声を上げながら逃げた。

 コウモリは翼を広げてもうスピードで追う。飛行機のように飛んで空を切り裂く。あと数センチで追いつかれてしまう。

——誰か助けて……!

 無我夢中で逃げ回ったところで、急に木々を抜けて視界が広がり、

「うわっ!!」

 赤毛の少年が前方に立っていた。

 これが後に勇者になる少年との出会いだった——。

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