礎(いしずえ)

 孝公の後を継いだ息子の恵文王のもとにある一族がやってきた。鼻削ぎの刑に処された公子虔の一族である。

 彼らは、この時とばかりにもっともな理由をつけて商鞅が謀反を企んでいると訴えた。貴族の中には商鞅を弁護する者は一人もおらず、また恵文王は太子だった時に法を犯し、商鞅に処罰されそうになったことをずっと根に持っていたため、商鞅を快く思っていなかった。


 「今すぐお逃げください。恵文王さまの軍勢がこちらに向かっています。商鞅さまが謀反を企んでいるとお考えのようです」

 「なに、私が謀反を企んでいると。そんなものはでっち上げだ。誰も弁護する者はいなかったのか」

 「はい」

 すべては秦を強国にするためにやってきたのにもかかわらず、それが謀反人扱いとは。

 商鞅は怒りと悔しさで体を震わせていた。

 「一刻も早く他国へ亡命しましょう」

 「わかった。私を必要としている国があるだろう」

 商鞅はわずかな供を連れて亡命をはかった。そして国境の函谷関までたどり着き、そこで宿を取ろうとした。

 「急にすまぬ。一晩ここに泊めてほしいのだが」

 「旅行証はお持ちですか」 

 「いや、そんなものは持ってはおらん」

 「申し訳ございません。商鞅さまの決めた法律で旅行証のない者を泊めると罰せられてしまいますので、他をあたってください」


 商鞅はいき過ぎた法律の弊害に気付いたが、時すでに遅かった。

 その後、間道を伝わって魏に逃げ込むことができた。

 しかし、魏の人々は商鞅が公子仰をだましたことを忘れてはいなかった。

 秦の謀反人をかくまうと侵攻の口実を与えるという理由で、魏は商鞅を秦の国境まで送り返した。

 商鞅は北方の鄭に向かったが、秦は商鞅により監視制を徹底させていたため、この動きは察知され秦の軍勢は後を追った。そして商鞅の姿を確認することができた。

 

 もはやこれまでと商鞅は刀を抜き、自らの首を切った。

 

 恵文王は商鞅の遺体を車裂きにし、バラバラになった体は見せしめとして引き回しとされた。商鞅が定めた連座制により、一族も処刑された。


 冷酷な手法が災いし、非業の死を遂げることになった商鞅だが、中央集権体制と法律でなんでも規制しようとする法律万能主義は、秦にその後も受け継がれ約100年後、始皇帝が中国を統一するさいの最大の武器となった。



      ----完----

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商鞅(しょうおう) 奈良 敦 @gm58plus

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