第4話

後悔の無い人間なんていない。

でも多くの人は、どこかで折り合いを着けて、

その記憶を忘れたり、強引にでもふたをして思い出さないようにして、

前に進んでいくのだろう。

それでも、後悔を消せない人は、

どうしていけばいいのだろう。


ママには背中に大きなあざがある。

昔、事故で怪我をした時のあざらしいが詳しくは聞いていない。

だからママは水着を着ない。

ママと海やプールに行ったことはない。


「温泉行きたい!」

私の娘はいつも突然だ。

「来週はママも連休でしょ?一泊二日で良いから温泉行こうよ。」

「カズくんのおごりね。」

私の娘が、私の元カレを「カズくん」と呼ぶようになった。

「ほら!カズくん検索して。」

「ここはどう?部屋ごとに露天風呂とプールが付いてるよ。」

「いいねぇ。」

「プールは好きじゃないけど、温泉は入りたいかな。」

「ママもOKということで、テンション上がってきたぁ。」

「カズくん。一緒に水着買いに行こう!」

「水着で入れば3人で温泉に入れるね。」


最近の美来はとっても楽しそうだ。

どうやらカズくんを気に入ったらしい。

もっと普通の恋愛をしてほしかったけど。


その温泉宿は1部屋が1棟ごとのコテージのような造りになっていて、

庭には露店風呂と小さなプールがあり、サウナルームも付いている。

周りを大きな壁に囲まれていて外の景色を見ることはできないが

周りから覗かれる心配も無さそうだ。

「なるほど。水風呂の代わりにサウナと温泉とプールを行き来できるのか。」


渋滞のせいで遅れたこともあり、到着したらすぐに食事が運ばれてきた。

「まずは到着を祝して“カンパーイ”」

「カズ君も運転お疲れ様!」

相変わらず、二人の仲は良好そうだ。


おいしいな。この料理。

3人分でいくらするんだろう。

聞かないでおこう。楽しめなくなる。


「じゃあ、食事が済んだら水着に着替えて外に集合ね。」


私はどうしようか。

後で、一人で入ろうかな。

でも、せっかく水着も買ってきたし、多くの人に見られるわけではない。

カズくんにあざをみせたらなんて言うんだろうな。

私は意地が悪いな。


「ママ!なんでパーカー着てるの!温泉だよ!」

このバカ娘は。

言ってないから仕方ないけど。

結局、背中を見せる勇気がなくてパーカーを着ている。

「少し酔ったから。」

「覚ましたら入るから気にしないで。」


娘に詳しいことは話していない。

背中のあざはバイク事故で怪我をしたあざだが、

そのバイクを運転していたのが、カズくんだ。


20歳の時、私の父は中学校の教頭先生で、娘の私の私生活も厳しかった。

門限は20時だった。

カズくんはいつも門限を守って私を家の近くまでバイクで送ってくれた。

たった一度、門限を破ったのが事故の時だ。


私は救急車で病院に運ばれ、命に別状はなかったものの、背中に大きなあざが残った。

あざは消えることはなく、まだ私の背中にある。

カズくんは背中のあざを見てはいない。

あざが残ったことは知っている。父にひどく怒られたからだ。


事故の後、半年くらいでカズくんと別れたが、別れるまで背中のあざを見せたことは無かった。

当時、私は20歳で若かった。

自分にもカズくんにも折り合いを着けるには若すぎた。

悲しい思いや悔しい思い。

それでも好きな気持ち。

頭の中がぐちゃぐちゃしていて、感情を抑えることができなかった。


大喧嘩した後、一切、会わずに連絡を絶った。

昔だから携帯電話なんてなくて、自宅に電話するか、自宅に来るしか無かった。

電話は父と母が取り次がなかったし、家に来たこともあったようだが追い返してもらった。


私のあざを見たら言うことはわかっていた。

一生をかけて責任を取るとカズくんなら言うだろう。

カズくんなら多分その約束を守り抜くだろう。

これから何十年という長い時間をかけて。


そんな思いをさせたくなった。

だから嫌いになって、忘れて欲しかった。

しかし、忘れられないのは、自分の方だったのだ。


カズくんと別れてから3年して、ようやく前に進もうと思って彼氏を作った。

1年くらいして妊娠していることに気が付いた。

私は怖かった。

結婚して、誰かの物になんて、なりたく無かった。

だから妊娠していることを彼氏には言わずに逃げた。


私一人で子供を育てていくのは不安があった。

中絶するか本当に悩んだ。

でも、今では中絶しなくて本当に良かったと思っている。


美来も、もう20歳。本当によく育ってくれた。

この子に出会えて本当に良かった。

まさかカズくんを連れてくるとは思わなかったけど。


カズくんと別れてもう25年になる。

さすがに今は、もう吹っ切れている。

でもしばらくは後を引いていた。

この街に住んでいるのも、実はカズくんが理由だ。

もしかしたら、どこかのスーパーやコンビニで偶然出会うかもしれない。

そんな思いがあって、カズくんの自宅があるこの街に住み始めた。

でも、そんな偶然はなく、25年が過ぎた。


もう本当に忘れていた時に、いきなりカズくんは現れた。

今では娘と子づくりしている。

訳が分からない状況だ。


「背中は痛かったりするの?」

「もう痛みはないよ。25年も前だしね。」

「そうか。良かった。いや良くないんだけど。」

「今さらで申し訳ないけど。本当にごめん。」

「ずっとずっと後悔しているし、自分にできることは何でもしたいと思う。」


この人の優しさは私が一番、知っている。

だから美来をまかせても大丈夫。

きっと何とかなる。


「忘れた!もう25年も前のことは忘れた!」

「カズくんも忘れて!」

「一緒に前に歩こうよ。」

「止まっていた時間は終わり。」

「私には美来がいる。美来には私とカズくんがいる。」

「カズくんには、もう、美来がいるじゃないか!」

「3人で歩こうよ。前に。」


「やっぱり、背中は見せない!」

「でも、せっかく買った水着だし、見せなきゃ損だ。」

「前だけ見せたげる!」

「どうだ!かわいいだろ!」


「カズくん、見て!見て!新しい下着買ったの!」

「スカートまくってパンツ見せるなよ。」

「いいじゃん!カズくんにしか見せないんだから。」

「どうだ!かわいいだろ!」


25年前の忘れていた思い出が蘇る。

こんな楽しい思い出もあったんだ。

何十年ぶりだろう。

涙が出そうになった。


私は今、ママと二人で温泉につかっている。

カズくんには部屋に戻ってもらった。


「美来は、ママの事が大好き。」

「尊敬もしてる。学校の先生をしながら、美来をここまで育ててくれた。」

「すごく感謝してる。」


「私も美来の事が大好きだよ。」


「美来は、カズくんの事を好きになってきてる。」

「最初は変な男だとしか思わなかったし、美来はママの代わりだと思ってた。」

「でも一緒にいて、そうじゃないと感じてきた。」

「ちゃんと私を見てくれてる。」

「すごく優しいし、すごくセックスが気持ちいい。」

「一緒にいると幸せな気持ちになるの。」


「見てればわかるよ。」

「許してくれる?」

「許すも何もないよ。カズくんはもう私には過去の人。」

「なんの未練もないよ。」


「私はね。今、とっても幸せなの。」

「大好きな美来がいる。昔、大好きだったカズくんがいる。」

「二人が幸せそうにしてるのを、見てるだけで十分。」

「二人と同じ場所にいて、同じ空気を吸って、二人を見ていられる。」

「とってもしあわせだぁ!」


「美来もしあわせだぁ!」


どうやら私たちは、本当によく似た親子らしい。


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