11.万流江——色クラゲの占い方

 漣々譜れんれんぷの月、彩贈あやおくりの日。


 万流江ばんるこうの港町から対岸へと船で発つ。大陸のあまねく川を束ねると謳われる大河は、まったく海のよう。渡し船も大きな客船で、水平線の向こうに着くまで七日の間は世話になる。


 細かい泥の黄色みを帯びた翠色の川水は、滔々としてほとんど流れのないように見えるが、河の民に言わせれば色も匂いも味も異なる万もの水流があるという。その流れのうちに時折、特に緩やかな渦ができると、瑞蓮ずいれんや浮きあしまどあおいが密生して、層の厚い浮島を造ったところが河の民の集落となる。

 揺れもなく、快適な船旅は退屈になるかと思われた。だが河の民の集落に近寄るたび一斉に商い舟が寄ってきて、その賑わいは自分を大いに楽しませてくれた。


 河の民の小舟は浮き葦を束ねた素朴な造りにもかかわらず、茎の節内に含んだ空気で相当の浮力になるらしい。見ているこちらが危ぶむほどに、ありとあらゆる商品が小舟に満載されてくる。水牡丹みずぼたんを飾った笠をかぶり、満面に笑みを浮かべた川の民は、腕や足腰を色鮮やかな組紐で飾り立てている。その編み方や模様については、集落ごとに独自の様式や特徴があるらしい。


 目にもあやなる品々は肩掛け用の染め織から始まって、紅藁帽べにわらぼうや五色の編み籠、川真珠飾りの小物入れや、魚や精霊に似せた葦藁細工あしわらざいくの魔除けのおもちゃ、龍魚りゅうぎょの巨大な頭骨まで。ワニ鯰の串焼きが魚笹に雑多に包まれては次々と客の手に渡されてゆき、泡モロコシの炊き込み飯の香ばしくも甘い匂い。


 自分は水草の果実だという蜜卵果を買い求めた。青みのある厚い外皮を剥くと、見た目は魚卵に似ているが、味はライチにも勝る芳醇な水菓子を頬張る。滴った汁を舐め取りながら、次には生花の舟の向こうから聞こえる少女の唱和が気になった。


 自分が興味を示すやいなや、少女たちは大人の小舟を押し分けて寄ってきた。鮮やかな伝統衣装を纏い、よく日に焼けた肌の彼らが熱心に見せてきたのは、不思議な透明の水袋に入った一掴みの藻草であった。


「旅人さん、河渡りのあいだにちょっとした運試しはどう?」


 競うように姉妹が説明するには、藻草の中には一粒の種が包まれているという。それは彼らの家がある流鱗花りゅうりんかという名の集落の、神の御使いのもとなのだとか。


「この水袋を部屋に吊しておくだけだよ! 港に着く頃には〈フゥロロ〉が勝手に孵ってくれるの」


「フゥロロの色や模様で、旅の運を占うんだよ。綺麗な柄なら万事は順調。濁りや汚れや、死んでしまったら、体に気をつけて慎重にって!」


 フゥロロとは彼らの言葉で『浮かぶもの』という意味だとか。多少高価だが面白そうなので一つ購入。ただし姉妹二人は口を揃えて言うのだった。


「港に着いたら、フゥロロは絶対に河に帰してあげてね。じゃないと神様のお怒りに触れて、人喰い鬼魚おにうおが追ってくるから!」


 自分と相部屋の乗客は迷信深い質らしく、窓際に水袋を吊すのは許しても、あまり嬉しそうな顔はしなかった。


「この袋は知ってるよ。泥芋どろいもの大きい葉を煮て、何日か流れにさらすと葉脈を残して透き通るんだ。だけど革袋ほど丈夫じゃないから、あんた、あんまり突かないでおくれ。御使いとやらが死んだら縁起が悪いじゃあないか。それにしても、神様の使いを売りつけるなんて河の民も罰当たりだな……」


 水質さえ汚さなければ、水にいろいろな供物を入れるとフゥロロの色に違いが出るという。姉妹の教えを聞いた自分は、さっそく旅の道中で拾った色硝子や磁器の破片を、水袋に盛んに出し入れしたのだ。


 五日後、船はツィキアパの港に到着した。藻草の中で孵った御使いは、小指の先ほどに育っていた。

 姿は海の水母くらげに似ている。やや潰れた饅頭型で半透明、触手は産毛のようにほんの短く、絹糸めいてさざめいて動く。自分は水袋を手に提げて下船し、石造りの雁木へ向かい、広大な河の波打ち際でしばし途方に暮れた。


 少女たちは色模様で占うと言ったが、水袋の中の水母は小さすぎて模様もあるのかないのか。日も暮れて辺りは暗くなりつつあり、自分は苦笑して袋の口を緩めた。はたして自分の御使いはうまく育たなかったのか。それとも商売上手な子供たちに巧いこと騙されたのか……。


 けれどそのとき、視界を過ぎった光に目を奪われる。薄暮の中、淡い紫を流したような河の面を、燐光する行燈めいたものがゆらゆらと浮遊していった。


 気づけば自分の手の中にも、ぼんやりした灯りが点っていた。できそこないの水母めいていたフゥロロが水の中から浮き上がったとたん、空気を吸ってぷうっと膨らむ。先に流れていく仲間を追うように、ふよふよと自分の手を離れていった。

 あれは動物の一種なのか、それとも植物の類なのか。今もって自分にはわからない。が、ただ一つ、流れゆくそれぞれのフゥロロが固有の彩りをもっていたのは少女たちの言うとおりだった。


 淡い金色にルビーの縞柄、青から緑に色変わりするもの。翡翠と白の渦模様に、真珠色のツタ模様。墨色に銀の流し模様のものがいるかと思えば、水色とオレンジに半分ずつ塗り分けたようなのまで千変万化だ。


 自分の他にも、フゥロロの種を買った客が大勢いたらしい。色とりどりの行燈が川面を流れゆく光景は幻惑的で、まるで河の民の神話世界に踏み込んでしまったようだった。自分のフゥロロ——乳白色に輝く傘に、レモン色の水玉模様——も、旅の水先案内さながら河を遙かに下ってゆく——と、そこで自分はまたもや目を擦ることになった。


 いつまでも見送っていたかった神秘的な灯火が、ふいに消えてしまったのだ。すわ、噂の鬼魚にでも呑まれたかと心配してよくよく眺めると、眼に入ったのは長柄つきの網を振り回す小舟に乗った子供たちだった。

 なんということ、彼らは河の民の神の御使いたるフゥロロを捕獲していた。だが、声を上げかけた自分は寸でで言葉を飲みこんだ。漁り火に浮かんだ彼らが身につける伝統衣装と組紐は、そもそも御使いの種を売りつけてきた姉妹と同じ色・模様だったのだ。

 笑って自分は河を離れる。相部屋だった乗客の、呆れたぼやきが耳に蘇った。


『神様の使いを売りつけるなんて、河の民も罰当たりだな……』


 御使いを必ず河に帰せと誓わせたのは、育ったフゥロロを収穫して、観光客に売りつける種をまた得るためなのかも知れない。あのかわいい水母たちは、本当に神の御使いだったのか。そうでなければ、割の良い河の民の飯の種だったのか……。

 わからないが、そんなことはほとんど気にならなかった。薄暮の大河を群れなして流れゆく灯火の彩りは美しかった。もし再びこの河を渡るときは、また御使いの種を買うだろう。

 旅の前途を考えながら宿を探す。自分がかえしたフゥロロの明るい色彩が示したとおり、その夜の宿は上等だった。

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