9.底なしの滝壺——騎士と古地図
黒ヤロヴェ川沿いの街道を東へ進む途中、どうにも珍妙な旅人に出くわす。
壮年の白髪交じりの男は偉丈夫と呼ぶにふさわしい。がっしりした肩に引っかけた狼皮のケープも立派だが、下の鎖帷子にはところどころに錆と継ぎが見えた。乗馬姿勢は様になっても、言葉遣いには訛りがちらほら。色だけは乙女の夢見る白馬にピシリ、ひとつ軽快に鞭をくれるや、騎士を名乗るその男はパカパカ近寄って道を尋ねてきた。
汚れた毛織りの鞄から古めかしい地図を取り出す。主からの任務を負い、山中の滝壺へ向かう途中だとか。覗き込んでみるとそう複雑な道でもなく、旅慣れぬ田舎の騎士とは?といぶかりながらも簡略に経路を教えてやった。
翌日、身ぐるみ剥がされた男と路上で再会する。
道ばたの樫の木の下でしょんぼり座っている彼を見つけたときには、思わず二度見したものだ。金品どころか服や靴、馬まで奪われて、立派な口髭が残っていなければ浮浪者と勘違いしたところだった。
野盗の群れに出会っておいて、一発殴られただけで済んだらむしろ幸運だ。水筒を渡して励ますと、今や哀れな男は力なく首を振った。
盗賊は二人だけ。自分は腰を抜かしただけで、立ち向かうどころでもなかった。実は、実はと躊躇いながら、赤面して彼はうなだれた。「わしは騎士様なんかじゃなく、剣を振るったこともない農夫なので」
事情を聞いたところ、こんな話であった。
男は町の近郊に畑を持つ、そこそこの規模の農場主である。家業を継がせるつもりの息子もあるが、子らは父親に反発している。土まみれの貧乏暮らしにはうんざりだ、冒険家となり一旗あげると言ってきかない。そうした愚痴を酒場で友人と言い合っていると、ある夜、すり寄ってきた女があった。
「こちらの古地図を買いませぬか? もしあなた様がご子息よりも先に冒険家として大成なされば、ご子息方もあなた様の偉大さを認め、落ち着くやもしれませぬ」
若くも老けても見える奇妙な、だが非常に魅惑的な行商人は、ひょっとすると黄金時代の埋蔵品があるかもしれぬとも囁いた。
「地図はマ・フア谷はザイー首長の陵墓を記したもの。都を追われたある学者が、貴族への意趣返しで売りさばいた掘り出し物ですよ」
弁が立つから詐欺師である。当然あやしく思ったが酒の勢いもあり買ってしまった。手元にあれば気にかかる。場所も遠くなく、行ってみるかと思い立ち、野盗よけの騎士の変装が楽しかったのもまた悪かった。うかうか野営などした結果が今の宿無しもどきということだ。
とにかく彼も身に沁みたろう。自分は替えの衣服を譲り、家まで送ると申し出た。ところが呆れた話、男はまだ宝の地図に固執していた。
「裸で戻ったのじゃ、息子どもはますますわしを軽んじる。礼金は払う。せめて滝まで案内してくれなかろうか。地図は賊に盗まれたが、ここからならほんの一刻の道のりだ」
自分はため息をついて承諾した。どうせ何も見つかるまい。だが素朴で信じやすい農夫にとっては良い経験になるだろう。
唯一の懸念は盗賊たちだ。連中が宝の地図に気づいたなら当然、陵墓へ向かうはずだからだ。用心しながら進むと案の定、滝壺には先客がいた。しかし、それは二人の賊だけではなかった。
滝の轟音がこちらの気配を消してくれて助かった。自分と連れは茂みに身を隠し、目前の戦いを見守った。水辺で五人が争っている。いきさつはともかく、宝を狙う人々が一堂に会してしまった場面らしい。二人はすでに刺されて動けず、偽騎士を襲った賊の一人も矢で射られて膝をついた。流れ者らしい蛮族の大男が長剣を振りかぶったときだった。突然、滝壺の淵がごぼごぼ沸き返ると、黒光りする触手のようなものが跳ね上がった。
それは人々をなぎ倒し、いとも簡単に絡め取った。死者も生者も関係なく宙高く差し上げるや、水面から現れ出た牙を並べる大口へ放り込む。
骨肉を咀嚼する、恐ろしい音がしばらく聞こえた。やがて滝を挟んだ反対の木立から黒頭巾の人物が歩み出てきた。男とも女ともつかぬ声で、そいつは怪物に声をかけた。
「腹は満ちたか? 五人とは望外な数だった。これで次の泉まで水脈を辿れるだろう。さあ行くぞ。おまえが存分に肥え太るまでまだかかる……」
黒頭巾の人物を、怪物は触手でそっと掴んで自らの皮膚へ押しつけた。すると黒インク色のゼリーに埋まるように、人影は怪物の身の内へずぶずぶと沈んでいった。
彼らが淵深くに去った後、自分は意を決して水辺に近寄った。怪物から滴り落ちた粘液らしい何かが、岸の岩に少しだけ赤い光を反射している。油膜めいた色彩を揺らめかせるそれを封魔晶の小瓶に掻き入れていると、腰を抜かした農夫が茂みから震える声で断言した。
「あの声は間違いない。わしに地図を売った行商女だ……」
男の家に着く前に、街道で父親を捜し回っていた息子たちと出くわす。
農場は予想よりずっと立派で、自分は男の一家に盛大にもてなされた。黒スグリの蒸留酒で大いに酔いながら、あの怪物と使い手の話を息子たちに聞かせてやる。何者かは不明だが、いずれ黒い魔術の使い手だろう。
黒スグリ、黒魔術という話でそういえばと思い出し、自分はあの不気味な粘液を入れた小瓶を卓に置いた。黄金時代の宝は嘘だったが、この黒魔術の産物はもしかすると高値で売れるかも。
大事な農耕馬まで奪われた父親の名誉のため、自分は採取したのだが、一家は恐れをなして受け取りを拒絶した。無事に父親が戻ってきただけでありがたいという。男はなんのかんのとボヤいていたが、端から見れば互いを思いやる良い家族だった。
赤光りする粘液は後日、街で期待以上に高く売れた。これで自分もしばらく路銀に悩まされることはない。たまにはこんな幸運もある――と思いつつ、気を引き締めた。
うまい話には罠がある。浮き草のような旅の身には、何度言い聞かせても足りないということはない。
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