6.煙雨のむこう――死霊術師
荒天の道行きになったが、これでよかった。
峡谷沿いの街道に賊が出ると聞いていて、わざと大雨の日を選んだのだ。ろくでなしの集団である、こんな日には塒にこもって酒盛りでもしているはずだ――そう判断して出立したが、やはり隊商と連れ立つべきだった。
逃げ場のない
もはやこれまでと思ったとき、頭上から轟音がした。激しく突き飛ばされる衝撃があり、土煙が収まってみると、局所的な地崩れで半身が埋まっていた。
だが自分は運の良い方だった。賊はほとんどが土砂の下。必死に這い出ると、同じく幸運を掴んだらしい女盗賊が岩の影からよろめき出てきた。
一瞬のうち睨み合う。そのとき「殺せ!」と横手から叫びがある。
折り重なる倒木のあいだから巨大な山熊が飛び出てきて、とっさに女賊と共闘になった。
打ち倒してわかったことに、熊は異様なありさまだった。
そもそも地崩れで死にかけていたのか、顎は砕け肋骨は突き出し、動けたのが不思議なほどの惨状だったのだ。
疲れと疑念で放心していると、後ろで「よせ、やめろ」と悲鳴があがる。
男の呻きに振り向いたときには、女賊が血濡れた剣を片手に払い、ぼろぼろの黒長衣の男の首を裂いたところだった。
男の手から滑り落ちた魔術師の杖を彼女は拾った。
憎々しげに、「こいつが首領だったんだ。腐れ魔導師が。あたしらは怖くて逆らえなかった。やっと殺せたよ」
熊と共闘したことで、奇妙な絆が生まれていた。
土砂崩れの現場からさほど遠くない場所で、自分たちは木の枝を組んだだけの簡素な差掛け小屋を作った。
湿った薪では炎が上がらず、小さな
どこにでもある話だ。町から遠い田舎の山村。十三の時に両親が死に、叔父を頼ったが虐待された。いきつくところは盗賊で、しばらくは楽しくやっていた。
だがある日、この魔術師が現われてから、盗賊団は残虐になったという。
「女子供も容赦なし。あの
聞きながら自分は心配になる。女の肌色があまりに青い。そも火壺では熱量が足りないが、それにしても酷い顔色をしていた。
実は女が最初から茶に手をつけていないのにも気がついて、注意したのだがうるさがられた。魔術師から奪った杖をいじりながら、女はただ
「あたしだって盗人なんかになる気はなかった。だけど町じゃろくな職につけなくて。家なしの小娘を雇おうとする店はみんな同じさ。奴隷扱い、愛人、玩具。山賊の家は居心地がよかった。みんな似たような
あら、と女は首をひねる。魔道士の杖の先端にねじ込まれた、血を固めたようにどす黒い柱石。そこに新しくひび入った割れ目をしげしげ見つめながら、女の語りは次第しだいに囁き声になっていく。
「それからどうしたんだっけ? たしか
自分はとうとう外套を脱いだ。彼女に着せてやろうと思ったのだ。
だが濡れて張り付いた袖をなんとか引き抜いて振り向いたとき、女の姿は消えていた。寸前、こつんと虚ろな音がした。
地を見ると転がった杖。その先端に赤黒い結晶はない。かわりに灰の小山が、わずかに乾いた血の色を残して積もっていた。
そして女が座っていたあたりにも、大きな塵灰のひと山が。
土砂崩れのあとに歩いて戻った。二人で倒したはずの熊の死体も崩れた塵山と変わり、雨に打たれて細く長く、汚れた流れを作っていた。
大岩近くで放置された死霊術師の死体だけが、半分埋もれた体勢のまま、首から鮮血を流していた。
やがて雨が弱まり、霧もなかった。自分は一人で差掛け小屋を解体し、柱に使っていた折れた太枝を目印のように地に突き立てた。
女の遺灰を埋めた上には、雨で
火壺を片付け、外套の水を絞り、その場を後にした。
死霊術師の杖はへし折り、木立の中へ放り捨てた。雨ざらしの死体同様、杖もそのうち朽ちはてて、主の屍ともども跡形もなく消え去るはずだ。
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