2.草原の道――風の予言
風渡る草原の道を歩いていると、ふと頭上が陰る。
過ぎていった影は鳥にしては淡すぎ、雲にしては速すぎた。青空には雲の一片もなく、感じた気配にふさわしい大きな鳥の姿もない。
不思議だったが、そのときは大して心に留めなかった。
しばらく先に脱輪した荷馬車があり、道への復帰を手伝った礼に次の村まで乗せてもらう。先客が一人。ほっそりした長身で、荷馬車の救助も手伝わず見守っていただけだから女性と思いきや、男性であった。それも異常なほどの美形。声を聞かねば勘違いしたままだったろう。輝くような白磁の肌、青みを帯びた銀の長髪。
驚きがもう一つ。終始目を瞑っているので、どうしたかと尋ねたところ、かすかに笑って長い睫毛に縁取られた両目を開いてくれた。眼球が水晶のように澄んでいる。
頭巾の作る影の中で、やや
夕暮れ時に村へ着く。
荷馬車は自分を降ろすとすぐ発ったが、いつのまにか詩人もついてきていて驚いた。連れだってゆく
木立に囲まれた農村は祭の最中らしい。音楽と踊りで賑やかな広場に入るや、自分は度肝を抜かれて立ち尽くした。
中央の櫓で火の粉をあげて燃えさかる少女の身体が見えた。だが隣人が含み笑いし、よくよく見れば乙女を模した人形だった。
知っていたらしく、詩人が祭の由来を教えてくれる。
およそ四百年ほど前、水晶と光の龍があたりの風脈を通りかかった。
村は最初の定住者が家々を建築しようとしていたところで、こまごまと立ち働く人のようすを楽しんだ龍は、その礼に一つだけ予言を与えてやった。
二百年のち、また龍はこの付近を通りかかった。すると村では、精霊への捧げ物という儀式で子供を生贄にしていた。ひどい臭いが風脈を汚していたので、龍はひと吹きで炎を消してしまった。それで今では人形を燃やしている。
どうせ燃やすなら、香りの良い草でも燃やせばいいのに。
そんな話を、村に一つだけの宿の食堂で聞いた。
祭なら吟遊詩人の稼ぎ時だろうに、男は勝手に相席してきて、仕方なく食事を奢ってやる。といって彼が口にしたのは果実酒少しと、蜂蜜とナッツの菓子だけ。
たっぷりのナッツを蜂蜜で固めた甘い菓子をたいそう気に入っていたので、話の礼のつもりで土産に持たせてやった。
「明日は遠回りしろ」喜んだ男は、別れぎわ微笑んで言った。透明な、碧みを帯びた両眼を開き、自分をじっと見据えて。「必ずそうしろ」
翌朝、男はいなかった。そもそも宿泊しなかったらしい。
人に訊いても、見かけた村人がいないのも怪しかった。あの人間離れした美貌だ、目にとまらぬはずがないのに。
出立前、広場で寸劇を鑑賞する。祭の所以を語り継ぐ人形劇だったが、なぜだか昨日の詩人の話とは微妙に異なっていた。
四百年昔、村の建設時。人々は不可視の偉大な精霊から予言を
以来二十年ごとに、予言を得るため村は処女を犠牲にしてきたが、二百年後、再降臨した精霊は生贄の炎を吹き消した。以降、燃やされるのは藁人形となり、村は精霊の再度の予言を待ち続けているのだという。
幾人かに尋ねたが、誰もがそれこそ正史というので、そのまま村を発った。
まもなく道の分岐点にて、詩人の忠告を思い出し、どうするか迷う。予定どおりに歩きかけて、結局なにか気味悪いので遠回りの道をとった。
何事もなく、目的地の都ルフレフに到着。
一服しに入った路側の茶店で、こんな話を聞く。
自分が行くつもりだった近道に鉄砲水が出たという。日中、川にかかった大橋が流されて多くの犠牲が出た、と。
もし予定通りに行っていたら――脳裏をよぎったのは、碧みのある水晶の眼差しだ。自分は蜂蜜菓子ひと袋で、村が四百年も待ち望んだ予言を奪ってしまったのだろうか。
強い風が吹き、淡い影が石畳の舗道を流れ過ぎた。だが見上げても、今度のそれはちぎれ雲の影だった。しばし考え、給仕を呼んで薬草の香を焚いてもらう。
大気のどこかに、あの秘密めいた低い含み笑いを聞いたのは、きっと気のせいだったろう。
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