第10話 初デート(二回目)

 迎えたデートの日は生憎、あまり天気に恵まれなかった。

 沖縄には台風が近づいているらしく、こちらもぐずぐずとした曇り空だ。今は降っていないものの、降水確率は四十パーセント以上。いつ降り始めるか、という話だった。


『映画、どうしますか?』


 ぽろん、と。通知音が響く。皇さんの連絡先は、この間ようやくゲットすることができた。正直、このチャンスを逃したくはない。けれど、せっかくのデートが、雨で台無しになってしまうのは、もっと嫌だった。


『無理にとは言いたくないかな。どうせサメ映画ですし』


『好きなものに、そういう言い方をしてはダメですよ』


『じゃあ、撤回するけど』


 少し時間を置いて、続ける。


『皇さんは、雨降るかもしれなくても、サメ映画を一緒に見に行ってくれるの?』


 送ってしまってから、なかなかぶっ飛んだメッセージになってしまったことに気づく。世界中どこを探したって、友達以上彼女未満──と、思いたい──の後輩美少女と、雨の中B級サメ映画を見に行くか検討している高校二年生なんて、いないんじゃないか。


『この間は、私の好きな映画に付き合ってもらったんですから。今度は、私が行く番です』


『ありがとう。じゃあ、予定通りでお願いします』


 ウェストポーチに財布とスマホ、ハンカチを入れて、俺はかなり早くに家を出た。

 この間の定番コーディネートではなく、白のシャツにジーパン、カーキ色の薄いフリースを羽織っている。玄関に立てかけてあった傘を手に、モノトーンのスニーカーの紐を縛れば、それなりに小洒落た高校生になれている……と思う。


 トキたちに限らず、男の友人と出かける時に、服装なんて考えたことはない。そもそも持っている服が少ないし、同性とどこかに行く時、服装を気にする男の方が稀だ。

 だから、今回は相当迷った。実は、この間皇さんと会った時、いつもの何も考えてない服だったことに、ちょっと後悔したから。


 電車に乗っても、曇り空が変わることはなかった。俺の気分は上がっているけど、そんなに地球はサメ映画の気分じゃないんだろうか。

 駅に着いて、少しずつ高揚していた気分が緊張に変わっていく。偶然出会った先週と違って、約束して好きな人に会うというのは、こんなにもドキドキするものなのかと、びっくりしている自分がいた。


「おはようございます、武井先輩」


「皇さんって実は女神ですよね。好きです」


「は、はい?」


 今日の皇さんは、ボーイッシュな雰囲気だった。

 黒のキャップ、同色のTシャツは、明るい色の髪色にクールさを与え、裾の広がったワイドパンツは水色。羽織っているデニムジャケットも、彼女によく似合っている。


「あー、ごめん。えっと、こんにちは」


「はい。……あの、先輩、あんまりそうやって、歯の浮くようなことをいっぱい言われるのは。恥ずかしい……です」


 もじもじと、かっこよさを感じさせる服装で、可愛らしく照れる。俺はもうこの世に未練はないなって、薄れる意識のなか、そう思った。


「ちょ、ちょっと先輩!倒れちゃいますよ!?」


「あ、おっと。ごめん、あんまり皇さんが可愛くて、かっこよくて、意識が飛びかけてた」


「っ!?も、もう、そういうところですからね!」


 OK。恋愛って、最高だね。


「と、いうか、皇さん。流石に早すぎじゃない?」


 時刻は、十時を指している。約束は十一時半で、お昼を食べてから映画館に向かう予定だった。


「武井先輩こそ、まだ十時ですよ?」


 お互いに言ってから、ぷっ、と吹き出す。なんだか、今までで一番気安いやりとりに感じて、密かに喜びを噛み締めた。


「どうするつもりだったの?こんなに早く来て」


 自分のことを棚上げにしつつ、聞く。


「少しお洋服を見てから、あそこのカフェのテラス席で、本を読んでいようかと」


「偉いね。俺、気持ちがはやって来ちゃったはいいけど、何にも考えてませんでしたよ。時間潰す方法とか」


「ふふ、先輩って、行き当たりばったりって言われませんか?」


「前以外も見ろって、よく言われるかな」


 緊張を紛らわすためにも、おどけてそう言えば、彼女は口元に手を当ててくすくすと笑う。今だけは俺一人に向けられるその宝石が、余計に胸を高鳴らせた。


「それじゃあ、一緒にお買い物、してみますか?デートの勉強、ですし」


「うん。……うまくできなかったら、ごめんね」


「こちらこそ。不束者ですが、エスコートお願いします」


 一瞬よぎったカズとトキのことを頭の隅に追いやり、皇さんの健康的ながら色白の手をそっと握る。少し汗ばんだ手のひらと、指が触れた途端に頬に差した朱が、余裕そうに見えた彼女の緊張を示しているようで、なおさら愛おしさが込み上げた。


「それじゃあ、服からでいいんだよね」


「はい」


 駅ビルの広い服飾専門店街、地元民の通称「ハイカラ通り」を、二人で歩いていく。

 十時過ぎといえばまだ開店直後で、人通りはまばらだけど、それぞれのショップの店員さんたちは、愛想よく仕事をしていた。

 母さんの付き合い兼、今着ている服を買いにハイカラ通りに来たことはあった。でも、今日はその時感じた圧迫感や退屈といった感情は、全然覚えない。きっとこの、繋いだ手のお陰で。


「皇さんは、よく来るんですか?」


「はい。たくさん買ったり、持ったりしている方ではないんですが、こうして見ているだけで楽しくて」


「なんか、イメージ通りかも」


「そうですか?先輩も、今着てらっしゃる服、オシャレですよね」


「そう?一張羅なんだよ」


 さらっと言いつつ、心の中ではガッツポーズ。買った時は面倒くさかったけど、母さんの言う通り本当に役立つ日が来るとは。


「あ、ここのブランド。夏物セールです!って」


「お買い得な訳だ。なにか買っていきます?」


「はい!」


 その後、三十分以上、その店でセール品を物色した。女性ものの服には疎く、役に立つアドバイスや気の利く感想が言えていたとは思えないが、終始笑顔の皇さんのおかげで、居心地の悪さや退屈も覚えなかった。

 願わくば、一緒に選んだ若草色のワンピースを、来年の夏。見られますように。

 他の店も周りながら、俺は彼女の手を握る力を、少しだけ強くした。


 ☆☆☆


「もうこんな時間ですよ、先輩。ごめんなさい、色々付き合っていただいちゃって」


 時刻は本来の待ち合わせ時間だった十一時半を過ぎ、すっかり昼時になっていた。


「大丈夫、俺も楽しかったからさ。それより、お昼ご飯、どうする?この時間じゃ、レストランなんかは混んでるだろうけど」


「そうですね。私はファストフードでも、大丈夫ですよ」


 初デートがファストフードじゃかっこつかないし、なにより皇さんがハンバーガーをかじっているところを想像できなかったから、なんとなく検討に入れていなかったけど。

 彼女の提案ならと、俺は了承し、二人でチェーンのバーガーショップに向かった。


 若者御用達の駅中ファストフードは、休日昼とあって当然混んでいた。しかし、商品の特徴的に、待ちすぎることなく、俺たちは昼食にありつけた。

 吹き抜けになっている場所の一階で、白いプラスチック製のテーブルを囲み、バーガーにかぶり付く。対面を見れば、皇さんもしっかり一口に量を含んでいた。


「あっ、ごめんなさい。ちょっと、はしたなかったでしょうか?」


「いやいや、いつもお弁当も中身詰まってるなって思ってたから」


「う、やっぱり一口は小さめで……」


「いいですって。バーガーはがっつりかぶりついた方が美味しいでしょ?」


 カズなんかはもきゅもきゅと小さな一口でちびちび食べるので、こうして同じくらいのペースで食事ができることは嬉しい。

 どうか気にしないで、というように、俺は少し行儀悪く、ポテトをごそっと掴んで口に詰め込み、サムズアップした。


「ぷ、ふふっ」


「ふぉふぉふぉうふぁうふぁいふょ(この方がうまいよ)」


「ちょ、ちょっと武井先輩、そのまま喋るのはずるいですっ」


 その後も笑い合いながら食事を続けて、お互いドリンクだけになった頃。時計の針を見れば、上映までは一時間と少しあった。余裕を持ち過ぎたかもしれない。


「そういえばさ、皇さん。聞いていいのか悩んでたんだけど」


「はい?なんでしょうか」


 なにもせずにぼーっとしているのも勿体無いからと、俺は彼女に出会った日から覚えていた疑問をぶつけてみることにした。


「この間、教室に行った時は結構、同級生に囲まれてたみたいだったけど。なんでお昼は、一人で?」


「うーんと、それはですね」


 少し悩むように、ストローに唇をつけて、中身を吸い上げることもなく、咥えた。

 やっぱり、デリケートなことに踏み込み過ぎちゃったかと、一瞬後悔が湧く。でも、ここで質問を撤回するのも違う気がして、俺はそのまま、彼女が答えてくれるのを待った。


「私、あんまり友達っていないんです」


「そうなの?」


「はい。教室でお話ししたり、勉強を教えたりするクラスメイトはいるんですけど。こうやって休みの日にお出かけするような人は、全然」


 あはは、と苦笑する。皇さんの表情には、苦悩こそあれど、悲壮感はなかった。


「じゃあ、本当にお邪魔だったわけだ。あの日は」


「そんなことないですって!……本当に、誰かとお弁当を食べるなんて久しぶりで、楽しかったですし、楽しいです。今も」


 自分から一人を選んだのに、笑っちゃいますよね。なんて言って、彼女は今度こそ、ドリンクを啜りきった。


「ごちそうさまでした。そろそろ行こうか、映画館」


「はい」


 人の波の引き始めた駅ビルを並んで歩きはじめる。それなら、なんで俺は今隣に立てているんだろう。そんなことを考えていたら、自然と揺れる右手を掴めはしなかった。

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