第8話 告白

 俺は再び、一年生のクラスに来ていた。ただし、今日はカズと一緒の電車で登校したので、他の生徒たちも多く見える時間。それは、逃げ道を絶つためだ。

 出入り口近くに立っていた後輩に、皇さんを呼んでほしい旨を伝えて、少し廊下で待っていると、少しだけ気まずげな笑みを浮かべた彼女がやってきた。


「おはよう、皇さん」


「おはようございます……えと、お昼のお誘いでしょうか?」


 俺は、首を横に振った。きっと、今お昼を誘っても、彼女は丁寧に断ることだろう。天使の如き笑みを少しだけ、困ったように歪めて。

 だから、俺は昼食には誘わない。


「皇恋夢さん。先日は、大変な失礼を働いてしまい、申し訳ありませんでした」


 風を切るほどに勢いよく、頭を下げた。後輩たちの好奇の目が、集まっているように感じる。でも、今だけは全く気にならなかった。俺の意識の上には、皇さんしかいないから。


「武井先輩!?そんな、気にしてませんから、頭をあげてください。私こそ、先輩に嫌な思いをさせてしまって」


「いいえ。悪かったのは、全面的に俺です。俺は、あなたに引かれたり、自分の気持ちを定まった形にしたりすることが怖くて、逃げていただけなんです」


「それは……」


 ぐ、と奥歯を強く噛み締める。今も、恐怖はある。一日二日で恋愛がわかるなら、きっと世の中のティーンエイジャーは、苦労もしてないし涙もながしてないはずだから。


「だから、すみませんでした。きっと、戸惑わせてしまった、怯えさせてしまったと思います。俺は、得体の知れない先輩だから」


「そんなこと、ないですよ」


 顔を上げる。再び視界に入った一つ下の美少女は、後悔するように、申し訳なさそうに、目を伏せていた。

 本当に、なんていい子なのだろう。小さすぎる自分の器に恥入りつつ、俺は彼女の瞳をまっすぐ見つめた。


「皇恋夢さん」


「は、はい」


「俺は、武井阿智は、あなたのことが好きです。一目惚れでした」


「う……は、はい」


「俺たちはまだ出会ったばかりで、恋人なんて望むべくもないことはわかってます。俺は、不甲斐ない男ですしね」


 自嘲を、こぼす。

 ここを告白の場に選んだのは、俺なりのケジメだった。あの喫茶店と同じように、逃げたり、誤魔化したり、できないように。


「だから、友達から。知り合いからでもいいです。お昼を一緒に食べてくれたら嬉しいけど、廊下ですれ違った時に挨拶するくらいの関係でもいいです」


 なんでもいいんだ。この人の、皇さんの、光るような微笑みが見られるなら。


「どうか、俺があなたの日常の中にいることを、許してください」


 お願いします、と。廊下の真ん中で、俺は頭を下げた。心なしか、後輩たちにざわめきが走っているような気がする。朝礼のチャイムまでの時間もわずかだ。

 俺の初恋が破れるか、もう少しだけ続くか。それはきっと、後数分のうちに決まる。


「先輩、私」


「……うん」


 意を決したように、皇さんが口を開いた。開けっぱなしの窓から入った風が、茶髪を揺らす。


「恋とかって。まだちょっと、わからないんです。こちらから聞いたのに、ごめんなさい」


 ずん、と。胃に鉛を流し込んだような感覚。指先が震えて、周囲の音がなにも聞こえなくなっていく。息が、上がっていく。


「でも。だからこそ」


 天使が、微笑んだ。胸の前で、祈るように、ぎゅっと手を組んで。「終わる」はずだった言葉は、続いていく。


「一緒に、勉強していきませんか?不器用な先輩と、うぶな私で」


 窓から入った九月の風は、まだじっとりと暑い。だけど、俺の顔の熱は、体を巡る熱さは、きっとそれのせいじゃない。


「本当に、いいの?俺、デリカシーないですし、恋愛全然わかんなすぎて、友達に爆笑されるレベルですけど」


「先輩を好きになれるかは、これからですよ?でも一緒に勉強するなら、先輩しかいないって、思いました」


 大きく、息を吸った。すぅぅ、と。熱のこもった風を取り込んで、もっと熱い身体を冷まそうと、踊り出してしまいそうな自分を、抑えようと。


「……ありがとう、皇さん。これから、よろしく」


「はい。武井先輩」


 朝礼開始のチャイムが鳴って、俺はスキップで自分の教室に戻った。

 担任に注意を受けた上に、トキたちに揶揄われたことは、言うまでもない。


 ☆☆☆


 さて、皇さんとの不思議な関係が始まったわけだが、特別何かが変わるわけでもなかった。というか、どう取り繕おうとも、俺たちは知り合って一週間くらいだし、変えられるほど互いのことを知らないから。

 とにかく、俺たち二人は、「接点」である空き教室で、備品の扇風機をかけながらお昼ご飯を食べていた。


「そういえば、先輩。この間、トラまろを見に来たんじゃなかったんですよね?」


「うん。結果的には結構面白かったから、別に後悔してないよ?」


「それはよかったです!あ、でも。それじゃあ、何を見る予定だったんですか?」


「サメ映画」


「サメ映画」


 オウム返しをした皇さんは、きょとんとして、綺麗な瞳を向けてくる。それに一瞬ぐらりときてから、俺はお決まりの説明を始めた。


「そう、サメ映画。大体低予算でハチャメチャなストーリーのやつを見てるかな。なんで?ってよく言われるんだけど、何にも考えずに笑える感じが好きなんですよ」


 目玉焼きを一口。今日の弁当は、自分で作ってみた、目玉焼きとミートボールのロコモコ風だ。手抜き感半端ないけれど。


「それ、じゃあ。見にいきませんか?サメ映画」


「え、悪いよ。俺は言うのもなんだけど、確実に大衆受けするものじゃないし」


「この間のお出かけは、その。喧嘩別れみたいに、なってしまったじゃないですか。だから、ちゃんとやり直したいなって」


「それは、俺も嬉しいですけど……もっと他の場所の方がいいんじゃ?」


「いえ。ちょっと面白そうだなっておもっちゃったので。是非」


「それじゃあ、今週末。面白くなかったからって、怒らないでね?」


「もちろん」


 現実感の湧かないままに結ばれた初デート(二回目)の約束に、少しドギマギしつつ。箸を進めていると、時透先輩が空き教室にやってきた。


「や。お二人さん、元気?」


「こんにちは、時透先輩。お陰様で元気ですよ」


「俺の方も普通です」


「そういや聞いたよ。一年生の教室の前で、超堂々と告白したんだって?」


「あー、まあ」


 さすがに派手にやりすぎたのか、昼休みにここへ降りてくる途中も、何人かの生徒に野次馬的な視線を向けられた。

 まあ、俺としてはそういうところも織り込み済みだったし、トキや六条ほど面倒な絡み方をしてくる人もいないだろうから、気にしていなかったんだけど。


「う、時透先輩がご存じということは」


「たぶんみんな知ってるよ」


「ううぅ……恨みますよ、武井先輩」


「ごめんって。ちょっと自分本位になりすぎた。皇さんの風評を考えるべきだったよね」


「……どきどきしたので、許しますけど」


 半眼を向けながらそれはずるい。小さくても彼女の声がしっかり聞こえてしまって、俺は思わず咳払いをひとつ。にやにや見てくる時透先輩にしっしっ、と手を振った。


「そういえば、皇さんと時透先輩はなんで知り合いだったの?」


「先輩は、美術部によくいらっしゃるんです……」


「そうそう。今でこそ生徒会会計だけど、去年まで美術部だったからさ」


 俺は皇さんが美術部だったことも知らなかったので、ちょっと自己嫌悪に陥る。本当に、何も知らないんだ。この、可愛らしい後輩のことを、なにも。


「だから、時透先輩に情報がいってるってことは、今日の部活では先輩方みんなにからかわれるってことなんです。憂鬱です……」


「大変申し訳ない」


「あ、でも私が知ってるのは廊下で新聞部の号外見たからだよ。弁論部メンバーの一人に取材したっていう、武井くんのプロフィール付きで」


 その情報提供者は間違いなく、俺の腐れ縁幼馴染だ。トキ、やりやがったね。あとで絶対に殴る。


「俺の友人が本当に、申し訳ないです……」


「どの道広まっちゃうのは仕方ないですから。もう、気にしないことにしますよ。先輩も謝らないでください」


「やっぱり天使?」


「あ、あはは……」


「おやおや、私はお邪魔かな?」


 その後もなんとない談笑をしつつ、昼休みは過ぎていった。今週末が楽しみだ、とても。

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