第7話 夕食の席

 帰ってすぐ、ベッドに倒れ込んだ。

 誰かに、誰でもいいから誰かに、正しいやりかたを教えてもらいたかった。

 俺はどうすればよかったのだろう。何をいうのが正解だったのだろう。好きだと、正面切って告白すればよかった?それとも、友達との距離は爆速で詰める派だなんて、見え透いた嘘をつくべきだった?

 わからない。恋愛のやり方が。


「あー、ほんと」


 めんどくさ。いつもなら、その言葉が出ていたはずで、だけど。今日ばかりは出てこなかった。

 だって、それでは、彼女が悪いように聞こえるから。

 スマホを開き、トークルームを上から眺めても、解決策は浮かばない。トキ、六条、須藤。他の教科書の貸し借りをするような友人たちも、委員会繋がりで少し話す女子も。相談に適した人物は誰も思いつかない。

 なにより、俺は皇さんの連絡先を、知らなかった。


 ガチャリ。部屋の扉が開いた。

 母さんはいつもそうだ。ノックもせずに俺の部屋に上がり込んで、嵐のように掃除をしていく。息子が思春期男子だって、わからないのかな。自然と少し、口調が荒くなる。


「今ちょっと一人になりたい気分だから、出てってくんない?母さん」


「違う。私」


 しかし、そこにいたのは少しおせっかいだけど優しい母さんではなく、すっかり俺への当たりの強くなった、幼馴染だった。


「カズ……?」


「ごはん」


「いやいや、なんでカズが俺をご飯に呼びにくるのさ。というか、何年振り?うち来るの」


「ごはんだと、言ってる」


「……今日はいらないよ」


 外とは違って喋ってはいるものの、俺の問いかけを完全に無視する彼女に、募っていた不安や苛立ちをぶつけてしまう。

 本当は、カズがまたうちに来てくれて嬉しいけど、今は誰かと和やかにご飯を食べたり、母さんとカズの「俺昔話」に付き合ったりできる気力がなかった。


「だめ」


 どこまでもマイペースな幼馴染は、そんな俺の小さなわがままにも、応えてはくれないようで。


「ごはんは、みんなで食べるもの。おばさんとおじさん、教えてくれたでしょ」


「うるさいな……!大体、高校生にもなって絶対親とご飯食べてる家庭なんてないよ。カズだって」


 言い淀む。彼女は別に、望んで親とご飯を食べていないわけじゃないし、苛立っていたとはいえ、軽率だった。


「……ごめん」


「別に」


 カズは俺に何を言われても、顔色ひとつ変えやしない。昔から物静かだった彼女だけど、近頃はずっと、黒曜の瞳がなにを写しているのかわからない。

 ため息をついて、俺は立ち上がった。これ以上ごねても彼女はじっと部屋に居続けるだろうし、なにより二人きりは気まずい。


「今日はなに?」


「カレー」


「好きだったもんな、母さんのカレー」


「今も」


 この間、カズにはデリカシーに欠ける質問をしてしまった。彼女自身は気にしていないように見えるが、わからない部分も多い。それに、母さんにそのことを話していたら、夕食の席で何を言われるか。

 またひとつ、こっそりため息をついて、俺は配膳の手伝いを始めた。


 父さんが十九時過ぎに帰宅して、俺たち四人はテーブルについた。この四人がけのテーブルがちゃんと四人に使われるのは、たぶん四、五年ぶりのことだ。


「結構久しぶりだなあ、和湖ちゃん」


「おじさん。元気?」


「そりゃあ元気さ。こうしてもうひとりの子どもと晩御飯が食べられるんだからね」


「私とはちょくちょくおしゃべりしてくれてたけど、うちに来てくれるのはご無沙汰だったものねえ。阿智も最近、和ちゃんの話をしないし」


「そんなに話してないからね」


「うん」


「もっと仲良くしてもいいと思うのよ?私は」


「高校生ってのは難しい年頃なのさ。さ、食べよう。待たせちゃって悪かったね」


「「「「いただきます」」」」


 父さんがよっぽど残業で遅くならない限り、うちはいつも必ず、家族みんなで夕食を食べる。

 朝は時間が合わないし、お昼はそれぞれになるから、せめて夕食は、と。父さんと母さんが結婚する時に約束したらしい。

 俺が高校に上がって、両親に対する不満みたいなものは色々溜まるようになったけれど、なんだかんだその約束を俺も守ってきた。もし、今日カズがいなければ、初めて予定や事情なしに、夕食の約束を破ることになっていたかもしれない。

 複雑に思いながらも、一応の感謝を込めてちらりと隣の席を見れば、彼女は普段とは打って変わって、カレーに表情を綻ばせていた。


「昔から、和ちゃんは私のカレーをすっごく美味しそうに食べてくれるわよねえ。別に、特別なものは全然入れてないんだけど」


「でも、私には、これが一番」


「嬉しいわあ」


「小春ちゃんのカレーは美味いからな。うんうん、阿智も好きだもんな」


「そうだね。カズがきた時の定番メニューだし」


「ちゃんと教わった通り、作ってる。でも、私には、同じ味が作れない」


「母さん、実はなんか隠してるとかじゃないんだよね」


「もちろんよ!和ちゃんに隠し事なんかないんだから」


 俺のやらかしたことは隠して欲しいんだけどな、なんてきっと無駄なことを考えつつ。数年前に一度、カズのカレーを食べた時のことを思い出していた。

 確かにあの時の味は、なにかが母さんのものとは違っていて、俺はそのことをちゃんとカズに伝えた気がする。今より少し多弁に、忌憚のない意見を聞かせて欲しいと、言っていたから。


「そりゃあ、和湖ちゃん。きっと、隠し味が足りてないからさ」


「調味料は全て再現してる」


 ちっちっち、と芝居がかった仕草で、父さんがスプーンを持っていない方の指を振る。ロマンチストというか、なんというか、この人はこういう演出が好きだ。


「愛さ」


「父さん……」


「ぷっ、ふふっ!そうかもね。そうかもねえ…愛、愛かしら。ふふ!」


「笑うことはないだろう、小春ちゃん!」


「ごめんね、家族のことを考えて作ってるのはもちろんだけどね、なんだか…ぷふっ、そんな顔で言うんだもの。可笑しいわ」


 ドヤ顔をへにょりと歪ませ、父さんはカレーに向き直った。いつも通りの、うちの食卓。久しぶりにそこに参加しているお隣さんは、クスリとも笑わず、真剣な表情でカレーを見つめていた。


 ☆☆☆


 夕食の後。カズはしばらく帰らず、母さんとなにか話していたらしい。俺の黒歴史に関すること、または母さんが新ネタを提供していた場合、俺は彼女を家から叩きださなければならないけれど、盗み聞きはさすがに趣味が悪いのでやめた。

 なんとかご飯は食べたものの、結局悩んでいたことは一切解決していないのだから、俺は悶々と自室のベッドで寝返りを打っていた。


「アサト」


 またか。何を言っても変わらないマイペースな幼馴染が、夕食の前と同じように、ノックもせずに俺の部屋に入ってくる。お互い、それなりの歳だと思うのだが、カズ相手に男女を意識するのも気恥ずかしく、文句は言わなかった。


「なにさ」


「悩んでる?」


「そりゃわかるか。でも別にいいじゃん。俺だって高校生だし。悩みの一つや二つはあるよ」


「そう」


 言葉数の少ないまま、俺の転がっていたベッドに、彼女は無造作に腰掛けた。少し驚いて起き上がるが、カズは何も言わずに開け放ったドアの方を向いていて、表情は見えない。いや、見えても読めないことが多いけれど。


「帰らないの?」


「もう少し」


 小さい頃は、母さんのカレーを食べたら彼女はすぐに帰っていた。あまり遅くまで起きているわけにもいかないから当然だが、昔はそのことが無性に不満で、帰ってしまうカズの腕を握ったこともあったっけ。懐かしくも、気恥ずかしい記憶だ。


「アサト」


「……なに?」


「聞く」


「は?」


「悩み。私が聞く」


 思わず、呆気にとられる。ぼんやりと昔のことを考えていたこともあるが、それ以上に。

 あのカズから、小菅和湖から、他人の悩みの相談に積極的に乗るなんて言う言葉が出るとは。明日は槍でも降るのかな?


「話して」


「いや、別に。大したことじゃないからいいよ」


「大したこと。アサト、約束破るところだった」


「それはっ!……そういう日があってもいいだろ」


「ダメ」


 珍しく強硬な態度に浮かぶのは、苛立ちよりも困惑。なんと言えばいいのかわからないが、そう。キャラが違うのだ。


「母さんの入れ知恵でしょ」


「……話して」


「図星かよ。いいから帰んな、もう八時過ぎだ」


「アサトが口を割るまでここにいる」


「言わない」


「話して」


「言わない」


「ダメ」


 はぁ。今日何度目かの、ため息。そろそろ少し、面倒になってくる。そもそも、俺は帰ってきて一人になりたかったんだ。なんで、こんなことに。


「カズがここにいるっていうなら、俺が外に出るよ。好きにすれば?」


「それはっ……もっと、ダメ」


 少し荒くなった語気に、彼女の方も言葉を詰まらせた。それに構わず、俺は立ち上がる。


「さっき聞いた。アサトは最近帰ってからよく動画を見てる。大体恋愛の方法とか、女の子に好かれる方法とか、そんな感じ。おしゃれするために雑誌買ったけど、クローゼットに押し込んだまま。お風呂に入ったらいつも歌ってるけど、ここのところ静かだって。帰ってきた時の顔はすごく嬉しそうな時と、すごく辛そうな時の両極端」


「待て待て待て待て???」


 俺を引き止めるつもりか、ぎゅっと手を握って、カズはここ最近の俺の、自分でも意識していなかったような行動の数々を早口で語り始めた。

 百パーセント、母さんだ。さっき、母さんがこのマイペース幼馴染に、なんでもかんでも全部話したんだろう。もう、本当に。本当に!


「いいって。もういいって。ちょ、静かに」


「たぶんアサトは恋煩いだって。友達関係で悩んでるところ見たことないし。黒歴史ノートに出てくるヒロインはなんか、薄っぺらだし。アサトは女の子の気持ちが」


「黙れ黙れっ!」


 ばっ、と掴まれた手を強引に振り払う。この間もそうだけど、なんでこんなに急に早口になって、しかも俺の黒歴史とか、悩みとかをずけずけと。


「なんのつもりなの?いや、『それ』を知ってるのは母さんが悪いから、知ってること自体はどうにも言わないけどさ。なんでそれを俺に言うんだよ。俺もデリカシーなくて悪かったけどさ。流石に、恥ずかしいよりも、怒るよ」


「っ……!?ご、ごめんなさい」


 手が離れて、彼女は怯えたような、酷い悲しみに包まれているような、そんな瞳を俺に向けてくる。本当に、いつも表情も感情も読めないくせに。


「いいよ、もう。それで?母さんはカズに、なんてアドバイスしたの」


「……ちゃんと」


「ちゃんと?」


「ちゃんと、まっすぐ向き合って、話せって」


「…………」


 痛いところをついてくる。カズを利用する形で、というのがすごく嫌な手だけど、さすがは俺の母さん。なんでも、お見通しだった。


「アサトは、誰が好きなの?」


「言いたくない」


「そう」


 互いに少し落ち着いて、俺たちはベッドに並んで腰掛ける。俺から聞きたいことはまだあったけど、すでに無理やり母さんの思惑を言わせている。これ以上、カズに無理強いするのはさすがに気が引けた。


「そろそろ、本当に帰った方がいいと思うけど」


「うん」


 帰るわけでもなく、俺にもたれかかってくるわけでももちろんなく、ただただ彼女は俺の横に座っていた。

 その後、母さんが見かねて呼びに来るまで、ずっと。

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