第6話 デートかもしれない

 全くもって訳がわからない。この一週間の感想をまとめれば、それに尽きる。

 初恋、幼馴染の謎の言動、ほぼ初対面の先輩の大暴走、あまりにも濃厚過ぎた。

 考えることはたくさんあるのに、真面目に考えようとすると、あのよくわからない事態がフラッシュバックして来て、俺の邪魔をする。


 結局週末まで、空き教室には顔を出さず、皇さんとはもちろん、時透先輩とも顔を合わせなかったし、カズとはなんとなく、通学する電車をずらしたままだ。

 そんなこんなで迎えた休日。俺は気分転換に、高校最寄り駅前の映画館にやって来ていた。

 藍と水色のグラデーションがかかったTシャツと、ベージュのチノパンは、俺がここに来る時の定番コーディネートだ。適度に目立たず、いい感じに季節対応もしやすい。

 俺の家の最寄り駅はそんなに大きくないし、映画やらウィンドウショッピングやらをするとなれば、必然この大型ショッピングモールに来ることになる。学校が近いこともあり、先輩後輩同級生問わず遭遇する確率は高いが、今日ばっかりはそうそうないだろう。

 なぜなら、俺が見に来たのはB級サメ映画なのだから。


「うわー。全ての席が空いてるってマジ?もう面白いじゃん」


 同じ時間帯に上映される、有名アニメの劇場版の方は、ほぼ満席の盛況ぶりらしい。というか、なんでこの映画を上映しようと思ったんだろう。予告編の時点で予算不足は明らかだというのに。

 有名アニメの方目当てで券売機に並んでいる家族連れたちの後ろで、俺は順番を待つ。すると、とんとん。不意に、肩を叩かれた。


「あの、こんにちは。武井先輩」


 そこには、非日常がいた。

 制服とは趣を異にする、白いワンピース。スカートの裾にあしらわれたフリルが愛らしい。セミロングの茶髪には、同じく白いカチューシャが映える。オレンジ色のショルダーバッグが、清楚な立ち姿の中でも特別目を引き、薄く引かれた似た色のリップと共に、徐々に訪れる秋の匂いを漂わせている。

 私服という、トクベツな装いを感じさせる皇恋夢さんが、そこにはいた。


「綺麗だなぁ……」


「え?え?武井先輩?」


「あ、えー、こんにちは?奇遇ですね」


「はい。先輩も、トラまろですか?」


「いや……」


 否定しかけて、言葉を切る。トラまろとは、現在満席寸前の有名アニメ映画のことだ。俺も、ということは、目の前の彼女はトラまろ目当てなのだろう。

 ここで仮に、サメ映画を見に来たことを告げたとして。その先に待っているのはなんだろう。たぶん、苦笑と「それじゃあ、これで」の一言だ。

 対して自分もトラまろを見に来たと言えば?なんと、映画館デートの発生である。トラまろに興味は全然ないが、俺がどっちを選ぶかなんて、もはや自明だった。


「うん。そうだよ」


「やっぱり!先輩もトラまろファンだなんて、びっくりです!あの、よかったら一緒に見ませんか?やっぱり、誰かと見た方が映画は楽しいですし!あ、上映後の感想会もしましょうね!楽しみだなぁ、トラまろ!」


「あ、うん。そうですね。了解です」


 突然目を輝かせて早口になり始めた彼女に押されつつも、俺は二人分のチケットを購入した。幸いにも席はギリギリ空いていて、飲み物を買ってすぐにトラまろの上映が始まった。


 トラまろは、まろ眉と竹刀が特徴のトラっぽい生き物だ。普通の小学生、だいきくんの家で居候をしていて、学校や町で起こるトラブルを一刀両断!という感じのストーリーで展開する。

 今回の劇場版は、皇さんによると第八作目らしい。さすがファミリー層に人気のアニメ。なかなかに続いている。町にやってきた転校生が実は宇宙人で、そうとは知らず友達になっただいきくんを連れ去ってしまう。トラまろはすぐにだいきくんを連れ戻すために宇宙人の基地へ向かうが、そこに居たのはすっかり宇宙人に洗脳されてしまっただいきくんで……と、子供向けとは思えないくらいえぐい内容だった。

 それを上手くほんわかした画風で誤魔化し、コミカルなトラまろの仕草に目を向けさせ、そして最後にはお約束の友情展開。正直結構、面白かった。


「うぅ…うっ、ぐすっ…トラまろ…だいきくん…ゆらんくんも…よかったよぉ…ぐすっ」


 上映が終わったあと、俺の隣で超真剣にトラまろを見ていた皇さんは、それはもう号泣していた。ゆらんくんとは、宇宙人の名前だ。彼女はずいぶんと感受性が高い方らしい。また知らない部分を知れて、なんだか得をした気分。


「グッズは見ていきます?」


「はい!もちろん!…ひっぐ」


 ハンカチで涙を拭い、ポケットティッシュで可愛らしく鼻をかんでから、彼女は映画館入り口近くのグッズショップへ歩いていく。

 そこらの子供よりもずっとキラキラ目を輝かせ、高校一年生女子がグッズを買い込んでいる。その様子があんまりにも面白くて、平穏で、俺は思わずくすっと笑ってしまった。


「あ、先輩!?今、笑いましたよね……?大人気なく騒ぐなって。うう、恥ずかしい」


「いやいやそんなことないって。笑ったのは認めるけど、皇さんを馬鹿にしてってわけじゃないですから」


「じゃあ、それじゃあどういう意味だったんですか?あと、先輩トラまろ好きって嘘ですよね。私、匂いでわかるんです。真の同志かどうかなんて」


「匂いでばれちゃあ仕方ないか。仕方ないのか?とにかく、ごめんね。別に騙したかったとかじゃなくて、あんまり皇さんが楽しそうだったから、面白いのかなーって興味惹かれただけなんですよ」


「むー、馬鹿にしてないんですね?」


「誓ってしてない」


「悪気がなかったっていうのは、信じます」


 まだすこし不満げな表情だが、彼女はどうやら納得してくれたらしい。ほっ、と胸を撫で下ろし、俺もキーホルダーを一つ手に取った。


「それで、もう一個の方はまだ聞いてませんよ。なんで笑ったのかって」


「あー、それは」


 ぽりぽり、頬を掻く。ずっと考えても、この間の皇さんのしようとした問いに答えは出ないままだから、今回も少し誤魔化したい気分だった。

 キーホルダーの会計をしながら、俺はできるだけなんでもないように、それでいて、周りに聞こえもしないように。あの瞬間感じた「しあわせ」を答えた。


「君が幸せそうで、俺もなんだか幸せな気分になっただけ」


 皇さんは百面相の後、押し黙って自分の分の会計を済ませた。大量のグッズの入った袋を抱えるその横顔が、少し赤く見えたのは、たぶん気のせいじゃない。



「いまさらですけど、これ。チケット代です。私、なんだか舞い上がっちゃってたみたいで、支払ってもらってたことにも気づかなくて、本当にごめんなさい」


 すぐに解散というのもなんだかさびしくて、入った喫茶店のテーブル席で。まだぎこちなさのある彼女は、俺にチケット代をぐっ、と押し付けてきた。


「もらえないよ。というか、もらうつもりで払ったわけじゃないですし」


「そういうわけにはいきません。私、武井先輩に奢ってもらえるほど……たぶん、まだ仲良しではありませんから」


 ずきん、という音が聞こえた。それはきっと、俺自身の胸の奥から。


「……とりあえず、なんか食べませんか。お腹空いてたら、ですけど」


「そうやってあやふやにしようとしても、ちゃんと受け取ってもらいますからね?」


 曖昧に笑みを返して、俺はアイスコーヒーとカツサンドのセットを頼む。皇さんは、ミルクティーを注文した。


「先輩。私、まだちゃんと聞けてなかったこと、思い出しちゃいました」


「……」


 もう注文は終えた後なのに、メニューに目を落とす。本当はずっと見ていたい、目の前の少女の美しい瞳から視線を逸らすため。


「武井阿智先輩。私たち別に、どこかで会ったことがあるとか、前世からの因縁とか、ないんですよね」


 大真面目に、皇恋夢さんは俺を問い詰める。まだ、目線は下げたまま。


「ない、かな」


「それなら、どうして。私たち、まだ出会って一週間も、してませんよ?」


「そう、だね」


「……正直、少し怖いんです。こんなに、好意をまっすぐ向けられたことなんてないですし、しかもそれが歳上で、出会って間もなくて」


 怖がらせてしまったなら、それはすごく、不本意だ。俺は、そんなつもりではなくて。でも、目線は上げられない。


「先輩。あなたは、その。私が好き、って。恋愛的な意味で、好き……なん、ですよね」


 まだ。でも。だって。そんな言い訳は通じない。俺はたぶん、「接点」を急ぎすぎたのだ。焦って、戸惑って、突っ走りすぎてしまった。

 この感情はきっと恋だろう。俺は間違いなく、皇さんのことが好きだ。だけど、今。それを認めて、簡単な二文字の羅列を告げることが、なぜかとても、怖かった。


「俺は」


 やっと、目の前の少女を見る。やっと、視線が絡む。光沢を湛えたオニキスのような瞳は、俺のせいで不安に震えていた。


「お待たせいたしました」


 開きかけては閉じて、言葉を紡げやしない口がなにかを告げる前に、カツサンドとアイスコーヒーがやってくる。

 俺は情けないことに、また結論を先伸ばして。


「ごめん」


 無心で、大きすぎる一口にパンを詰め込んだ。無理やり、出てくる言葉に蓋をするみたいに。


「……私、帰りますね」


 あんなにも目を輝かせて、あんなにも幸せを振り向いていた愛しい後輩は、ミルクティーをひと啜りだけして、席を立った。

 当然とばかりに、チケット代とミルクティー代、さらにはコーヒーとカツサンドの代金まで、テーブルに置いて。

 俺は、その背中になにも言えなかった。

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